遺書

この間Yahooニュースかなんかで、震災を昔経験したアナウンサーが大きくなってから、一年に一回遺書を書いてるというものを見た。
確かに日々老いを感じる中で、いつ病気になって余命を宣告されるかわからない。いつ交通事故で即死するかわからない。となると、遺書は確かに残しておいた方が良さそうだ、それもかなり元気なうちに。
最近も祖父が亡くなった時に遺書がなくて、財産を分けるときにかなり揉めていた。現実はそんなもんだよな。お金だけじゃなくて、いままで言えなかった気持ちや、感謝の気持ちなど、そうゆうのはハッキリ文字としても残しておいたほうがいいと思う。
うちの父はそうゆうことをする人だけど、母は適当人間だからまずしてないな。遺書があればお守りみたいに持ち歩けるかもだし、この人は生きていたんだ、という印になりそう。うん、私の遺書はこのノートにいつか書いていこうかな。

話は変わり、今朝も朝から子供に怒って自己嫌悪だ。送り出した後は涙が止まらない。こんな母親でごめんと死にたくなる。怒らなくて優しいママがいいよな、勉強なんかできなくても死にやしないし、それよりもっと幸せになれる方法を勉強したり、幸せだと感じる日々を送る方がいいよな、どちらにとっても。
祖父の死をキッカケに、確実に私の中でナニカが変わった。説明するのはとても難しいんだけど、1日1日をより濃く、後悔なく生きようと決心したのに。両親にもきつく当たらずになるべく優しくしようとしたのに。結局これももって数日、数週間か。
朝に怒って自己嫌悪の気持ちからスタートすると、どうもその日はそのあとから切り替えられない。堕落して寝たり、ひたすら泣いたり、マイナスなことばかり考えてやる気がなくなる。
私は自己中だ。これまで周りがなんでもしてくれたから自立ができない。そしてまさに、一人っ子の我が子もそうなろうとしている。過保護で色々手をかけてしまうから。でも私みたいに自立できないと、本当に何もできない人間になって将来困るだろう。だから信じてもう少し子離れするべきなのにできない。心配だから。
賢くなって欲しい、色々経験させたい、一人でやらせてあげたい、などの気持ちと反対にいつも付きまとう、心配という言葉。この言葉はとっても厄介で、これさえつけておけば私が主導権を握れて、子供がしたいことも、子供のこれからの可能性も、全て潰すことができる怖い言葉だ。だれのための幸せか、誰のための人生か。
私は同じことを繰り返す馬鹿だから、頭をかち割って綺麗に掃除してからもっかいゼロから考えていきたい。

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