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ばあちゃんの日記帳

小さい頃、昔話の短編が書かれた冊子が家にあった。私は、ばあちゃんの隣に座って読んでもらったり、自分でもよんだりしていた。

ばあちゃんは、文字が書けなかったから、私が小さい頃は識字教室に通っていた。文字を知らないと言うことが、ばあちゃんにとってはあまり、生活に影響があるものではなかった。

私の両親が同居していたし、文字が漢字が読めないことは、急いでどうにかする問題ではなかったのかも、、ばあちゃんが46歳の頃に両親が結婚したし、問題はなかったんだろう。ただ、ばあちゃんは俳句とか短歌で、日本語の冗長的で文脈を学んだので、書き言葉を多くもたないが、よく短歌を読んでいて、ノートにつづってもいた。

現代は言葉で溢れかえっている。google検索で日本語挨拶の仕方と調べたら、17億検索結果が表示された。

わたしが知っているだけでも、おはよう、こんにちは、こんばんは、ほう方言や、行事挨拶、冠婚葬祭、仕事も含めると、たくさんのパターンがあると想像つく。さらに、この検索結果の数から、必要な情報を探す必要があるのだから、リサーチ力は結構必須だったりする。

google検索の一番の悪い点は、思考が移動してしまうことだ。本来何を調べていたのか、気づくまでに私は、本来の道筋から大分それていくこともある。

Chromの設定を変更して、googleの拡張機能で、最善の検索結果が表示されるようになった。それでも私は、最善の検索を手に入れることに成功したはずなのに、下に続く大量の検索結果からもっと有益な情報がないかと、探してしまう。

chatgptも私のリサーチの重要な相棒となりつつある。こちらはより、プロンプトが重要だ。

プロンプトを作成して、望みの答を手に入れると、googleで検索窓に文字を入れなくとも、不必要な情報や浅い情報、煩わしい広告から解放される、思考もそのことに集中できる。プラグインを使えばさらに便利。たまに嘘の情報をあたかも本当かのように生成するので注意が必要だが、事実確認が必要なライティングの場合、資料のリンクを貼ってくれるGPTを見つけたので、それも利用すれば嘘の情報をつかませられることも減るかもしれない。大事なことはその情報の出所。

AIが仕事を奪うんじゃない、AIを扱える人間が仕事を奪う、と言う、ニュースには随分納得した。私も動画や投稿サイトなどで、これからは、『○○な人間が生き残る!』や『AIの出現で淘汰される人間はこれだ!』というパワーワードは、このままじゃ生き残れないと焦燥感がつのる。

先日、プログラミング用語の、オブジェクト指向やプロパティ、データ構造の説明を聞く機会があった。話を聞いているうちに、平野啓一郎さんの分人化の定義を思い出していた。分人主義とは、簡潔に言うと、

「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます

分人主義oficial site


というもので、自分の人格を再定義し分人化する、という新しい考え方だ。


これからの時代を語る時によく、AIなしには、AIに変わる、など言われる。分人主義は、人格を分け、多数ある自分の中の一つの人格として、フィルタリングし登場させる。というような、おもしろ定義だ。

noteを書いている自分がとっても心地が良いから、本当の自分、というわけではなく、ただ夕焼けざくろの中の人格の一つだということ。

そういった視点でいくと、私は今、新しい分人を育てている段階だ。
新しい分人は馴染みがないし、なんだか居心地が悪いのだが(その分人でいるとそわそわ)それでも、この新しい人格の成長を見守りたい、となんだか俯瞰して見ることもできるのが、この定義のおかげかもしれない。

平野さんの分人主義のサイトで自分の分人を視覚化できる。
松村圭一郎さんの演劇の本を読んだ時も、似た感覚があったなあ。演じるということも分人なのかな。こちらは再読。かなり話が逸れてしまった。まるで、私の頭の中のよう笑

話がそれてしまったが、ばあちゃんは4年前に92歳で亡くなった。
去年の夏、実家の仏壇が置いてある部屋で、ばあちゃんの書いたものを広げました。風呂敷に包まれたばあちゃんの痕跡には、様々な「分人」がいた。

姑として嫁の悪口を書く分人、孫の成長を喜ぶ分人、妻として30年半身不随の夫を介護する分人、入院して医者や看護師に帰りたいと泣きつく分人、自慢の息子とお出かけする分人、娘時代を思い出す分人、儚い短歌を読む分人。

日本では口承伝承として技術や事実だけでなく、ナラティブも継承してきた。これはコミュニティや人々の精神を形成するものだ。地方の小さな城下町に住んでいると、この伝統は強く感じる。知識は時代と共に変化し、私の好奇心を満たすと同時に、焦燥感を募らせる。ナラティブは時を超えて心に残り続ける。

時には良くも、悪くも。


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