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アウトプットの科学

むしろ必要こそが発明の母であり、
困難こそが偉大な成果を生むための
真の学校であると言えるだろう

スマイルズ:自助論

1年以上前、ぼくはひとつの『必要』をつくってみた。
文献抄読を毎日1つアウトプットするという、ささやかな必要を。
はじめ、軽い気持ちだったのだ。
「毎日文献抄読はやっているし、出力すると頭に残るともいうから、やってみるか」
初回投稿。ほぼ、アブストの和訳のみ、いいねは自分でつけた1件のみ(いまだに😭)。

2日、3日・・・。やまびこは一向に返ってこない。
それでも、歩き続けた。
「なんで、そんなことやってんの?」
一見、不毛とも思われる努力を継続できたのは、どうしてだろう。
それは、アウトプットの帰結を「自分の生長」に置いたから。
「自分の成功」ではなくて。
成功が帰結なら、思わしい反応が得られなかった最初の10日間が、容易に僕を駆逐したろうと思う。
生長に帰結を置いたから、反応のなさは一向気にせず、ずんずんと進めた。
続けていくと、不思議なことがいくつも起こってきた。

「もっと良くするにはどうしたらいいだろう」・・・この思い、何?
「明らかに、興味をもつ論文の範囲が広がってる」
「最近、抄読した内容を臨床に応用できてる率が高い!」
「あれっ、コメントをくれた人がいる」
「この考えをあの人に伝えるのに、noteリンク送るだけで済んだ」
「ほぉ、あれとこれを組み合わせると、なるほど!」
「ん?、最近、記事のQuality上がってない?」

そうして、春-夏-秋-冬が瞬く間に車窓の後ろに過ぎ去り、365日。

1年後の投稿(最近のNo.1閲覧数記事)がこんな感じだ。

1年前の僕がみたら、きっと、驚くと思う。
そうだ。生長したのだ、僕も、note記事も。
今回は、その生長についての分析、『アウトプットの科学』をまとめたい。
これまで、方々でアウトプットの威力について、語られてきた。
僕は、それらを見て学びながらも「もっと、科学的な裏付けや、仕組みの考察を知りたい!」と感じていた。
・・・。
「先ず隗より始めよ」か。
やれるだけ、やってみようと思う。
今回、長くなる。

▶︎①「質を高めたい」という進化圧

「もっと良くするにはどうしたらいいだろう」・・・この思い、何?

この思いは超早期、というか初日からずっと、起こり続けてきた。
「いいのかな、こんな記事で・・・。」という感じ。
なぜ、アウトプットしようとすると、この感情が生じるのだろう。
そして、その感情とは、具体的に何だろう。
まず、「アウトプット」と「自分でまとめる」の明らかな違いは、『人の目に晒される』可能性の有無。
noteの会員登録者数は、500万人(2022年4月時点)らしい。
すなわち、noteにアップした途端、その寸前まで自分一個のものでしかなかった記事が、500万にリンクする樹状突起をもつことになる。
僕には、その公衆・社会との関わりの中で、大きく2種類の感情が想起された。
それは、「羞恥心」「虚栄心」

羞恥心とは、「こんな記事をアップして大丈夫かな?、雑魚だと思われないかな?、間違っているものを出したくないな」という、マイナスを防ぐための感情。
羞恥心を惹起するFactorには大きく4つあって、アウトプットが引き起こす羞恥心は「自己不全感」というものにあたる。

✅ 自己不全感とは?
自分の行動等について反省する場面の項目に因子負荷量が高まっている。
この因子における羞恥は,自らが描く理想的自己像に達し得ない場合に代表される羞恥である。
具体的な他者の存否には比較的無関係で,自分の到らなさを自ら恥じるという自省的羞恥であると言えよう。
📕成田健一, 寺崎正治, and 新浜邦夫. 人文論究 40.1 (1990): 73-92. >>> doi.

他方、虚栄心(& 自己重要感)とは、「このアウトプットによって、誰かが自分を認めてくれるかもしれない。少しでも良いものを書きたい」という、プラスを獲得するための感情。
これは名著、人を動かすの中でデールカーネギーが述べた「偉くなりたいという願望」であり「重要人物たらんとする欲求」に、ほぼ等しい。
この感情の影響力が本能に訴えかける力は強く、たとえば「SNSにハマる脳の働きはエサを狙う実験動物と同じ」であることが報告されている(📕Lindström, 2021 >>> doi.)

✅ 人間は自己重要感を欲しがる
人間は、何をほしがるか?
ーたとえばほしいものはあまりないような人にも、あくまでも手に入れないと承知できないほどほしいものが、いくつかはあるはずだ。
普通の人間なら、まず、つぎにあげるようなものをほしがるだろう。
1.健康と長寿
2.食物
3.睡眠
4.金銭および金銭によって買えるもの
5.来世の生命
6.性欲の満足
7.子孫の反映
8.自己の重要感
このような欲求は、たいていは満たすことができるものだが、1つだけ例外がある。
この欲求は、食物や睡眠の欲求同様になかなか根強く、しかも、めったに満たされることがないものなのだ。
つまり、八番目の「自己重要感」がそれで、フロイトのいう「偉くなりたいという願望」であり、デューイの「重要人物たらんとする欲求」である。
人を動かす P. 34

「羞恥心」と「虚栄心」。
この世間から、悪く思われたくない(羞恥心)、より良く思われたい(虚栄心)という、本能的に生じる社会的感情の2馬が自分を動かす、駆り立てる。
その抑え難い2つの感情が進化圧となって、アウトプットし続ける者は、よくなっていく「しか」ないのだ。
よくなれない者には、ただ、自然淘汰が待ち受けている。
それは、自分自身が2つの感情による圧力に耐えられなくなった瞬間に、訪れるのだろう。
アウトプットは、強大な2つの感情による進化圧を与える。

進まない者は必ず退き
退かない者は必ず進む

福沢諭吉

▶︎②インプットの質が高まる

「明らかに、興味をもつ論文の範囲が広がってる」
脳の一部にはRAS (Reticular Activating System: 網様体賦活系)と呼ばれ、生死に関わるものや成功に必要なもの以外の情報を全て排除してしまう機能がある。
RASは中脳から脳全体に張り巡らせた脳の情報ネットワークシステムだ。
だからこそ、あなたが目標を明確にして、脳に何が重要かを教えなければ、気づくこともなく、夢を叶えるための脳機能も働かないのだ。
しかし、ひとたび目標を明確にしてRASのスイッチを入れると、この神経は磁石のように、目標をすばやく達成するための情報や機会を引き寄せる。
文字通り、数日から数週間で人生が変わるのだ。
アンソニーロビンズ

人間には、自分の興味や必要が生じた対象を優先的に取り込む機構があるらしい。
面白い実験がある。

✅ 気分一致効果
- 大学生が対象の実験。
- 「気分が表現のスタイルに及ぼす影響について検討する」ということだけが事前に伝えられていた。
- 学生は催眠の手続きにより楽しい、もしくは悲しい気分のどちらかに誘導された。
- それから学生は、アンドレという楽しそうに過ごしている人物と、ジャックという何をやってもうまくいかずに落ち込んでいる人物が登場する物語を読まされた。
- そして、24時間後にまた実験室へ戻ってきた学生は、前日に読んだ物語を可能な限り詳しく思い出して書き出すよう頼まれた。
- その結果、物語について思い出した内容のうち、悲しい内容を思い出していた割合を参加者ごとに算出した結果、楽しい気分に誘導されていたグループの平均は45%だった一方で、悲しい気分に誘導されていたグループの平均は85%にのぼり 、統計的にも差があることが示された。
📕Bower, Gordon H. American psychologist 36.2 (1981): 129. >>> doi.

人は、テレビチャンネルを変えるが如く、自分が受信し、自分に映る情報を、「自ら」選択している。
それが、アンソニーロビンズのいう、「RAS機能」なのだろう。
さて、アウトプットの話だ。
アウトプットする必要やそれに伴う興味は、人間にどのようなアンテナをつくるか。
それは、『興味深い知見を与えるものすべて』が引っかかるアンテナだ。
すなわち、使える論文や、使える知識を自動選別して、良質な情報だけを取り込むようになる。
僕は、それを1年間、毎日経験してきた。
アウトプットを始める前から、文献抄読はこの3年くらい、毎日、同じように続けてきた。
だが、違うのだ。それは違うのだ。
アウトプットを始めてからというもの、自分が興味をもつ範囲が明らかに拡大したし、取り込まれた1つの論文が伸ばす樹状突起の数も増えた。
目が、変わった。
同じ鹿を見るにも、狩る意志をもって見る鹿と、サファリパークで家族と一緒に車内から見る鹿では、全く別物に映るだろう。
そういう感じだ。
アウトプットは、目を変える。

▶︎③実行可能性が高まる

「最近、抄読した内容を臨床に応用できてる率が高い!」

ぼくは、noteの文献抄読の最後は、実行につなげるような言葉や、自分の行動を鼓舞するような言葉で締めくくることが多い。
最近の例を以下に示す。

✅ 例1. 具体的な行動案イメージの示唆(🌱 >>> note
今回の論文の情報を得て、図を見せながら、
「発症して1年くらいで車の運転を再開することが、運転技能や試験パスの点から見て、最も妥当とは思われます。それでも、早急に必要な場合には適性検査を受けることを検討していきましょう」
運転に関するコミュニケーションが、1段階グレードアップした❗️
✅ 例2. 熱い言葉(🌱 >>> note
この瞬間からできること。
目を、体を、心を。
目の前の尊い相手から逸らすな。
いつだって、ここが天王山。
ここで、勝敗が決する、その連続なだけだ。
連続しているからわかりにくい、が、
原点は、ここにしかない。
原点であり、最終目標である、いま、ここ。
それ以外は、空想に過ぎない。
集中しろ。いまを、焦がせ。
✅ 例3. 自分の行動を鼓舞(🌱 >>> note
今回の論文を読んで感じたことは、「記憶の補装具使えや」ってこと。
代替手段の科学。
記憶にも補装具がある。それを知った。
身体機能(内的記憶戦略)としての認知機能改善が難しそう。
そこを見極めて、現実的ゴールに支流する川も尊いだろう。
だが、そこを、なんとかするのがセラピストでは?、とも思われた。
認知機能低下の代替手段。真剣になろう、必死に勉強しよう。

「そういう人間だから、そういう言葉を言うんでしょ?」
いや、内実は、その全く逆なのだ。
そういう人間ではないけれど、そういう人間になりたいから、そういう言葉を書くのだ。
つまり、これらの言葉たちが、ときに、ぼくを導く先導者となる。
またときに、ぼくを誘惑に向かわせない鎖となる。
心理学では、このような効果を「(プレ)コミットメント効果;宣言効果」と呼ぶ。

✅ プレコミットメント戦略(人々がある行動をとることを約束する方法)
- 人はしばしば、ある目標(例えば、飲酒や喫煙をやめる、生産的な活動をする、お金を節約する)を持っているが、自分の行動がその目標に達していないことがある。
- もし、禁煙プログラムのような特定の行動を取ることを事前に約束すれば、目標に沿った行動を取る可能性が高くなる。
- 特に、将来のある時点で具体的な行動を約束することは、行動の動機づけとなり、先延ばしを減らすことができる。
📕Sunstein, Cass R. Journal of Consumer Policy 37.4 (2014): 583-588. >>> doi.

名著、独学大全において、理想の自分や望む行動を宣言して、自らを向かわせる行動を「オデュッセウスの鎖を自らつくる」と呼んでいる。
毎日アウトプットすることは、理想の自分に向かわせる「オデュッセウスの鎖」をつくり、鍛えていることに等しい。
アウトプットは、理想を現実のものとする。

▶︎④誰かが見ていて、評価される可能性が高まる

「あれっ、コメントをくれた人がいる」

最高のSF小説「三体」を読んだろうか。
読んでいない人、急いで読んでほしい、多分、人生がすこし変わる。
その中で、『暗黒森林理論』というものが出てくる。
思いきって、一文で説明してみる。

・宇宙空間に自分自身の存在(位置情報)を明らかにすると、宇宙空間という無限の暗黒森林の中の見知らぬ誰かが見つけて、必ずそれを破壊する

この背景には、異なる宇宙文明が自分たちを滅ぼさないと信じることがほぼ不可能という「猜疑連鎖」がある。
SNSにも、似た構造がある気がしている。
違う点は、相手は異なる宇宙文明ではなく、同じ人類だということ。
だから、ほぼ自分を滅ぼさないと信じることができる。
そこで何が起きるか。
『暗黒森林機会』が生じると信じている。

・SNS空間に自分自身の存在(記事)を明らかにすると、SNS空間という無限の暗黒森林の中の見知らぬ誰かが見つけて、必ずそれに光(シェア・評価)をあてる

暗黒森林に、自分自身の考え方や、価値観や、統合された知識を投げる。
すると、誰かがそれに共鳴したり、評価したり、いろんなことが起こりうる。
2022年6月現在、フォロワーがTwitter > 350、note > 550になった。
Twitterなど、2014年からアカウント持っていたにも関わらず、フォロワーは「1」だったのに。
アウトプットを始めてから、世界の様相がガラッと変わった。
全力で暗黒森林に球を投げてみよう。
すると誰かが打ったり、キャッチしたり、球速を測ったり、することがある。
アウトプットは、他者に知られる、出会う可能性を高める。

できるだけ人を知り、
できるだけ人に知られなさい
福沢諭吉

▶︎⑤共有の迅速化

「この考えをあの人に伝えるのに、noteリンク送るだけで済んだ」

一読して、刺青のように心に刻まれた。
が、その真意はよくわからない。
そういう言葉が、ある。
僕にとって、その圧倒的な第一位となる言葉が『オソイホドハヤイ』だ。
この言葉は、ミヒャエル・エンデ著、自動小説「モモ」の一節に登場する。
文面のまま捉えると、まさにパラドックスとしか、言いようがないし、意味がわからない。
にも関わらず、不思議とぼくの身体にいつまでも残り続ける、この言葉。

この1年間で、なんとなくではあるが、その言葉の意味が体感された。
たとえば、以下のような現実を指すのではなかろうか。

アウトプットしない場合
・1つのアイデア(Idea-A)を、人に説明しようとすると30分かかる
・3人に説明したところ、1時間30分かかった
・7人に説明したところ、3時間30分かかった

アウトプットした場合
・Idea-Aを、note記事にまとめるのに3時間かかった
・記事にまとめようとしなければ、1分もかからなかった
・7人にnote記事にまとめたハイパーリンクを送るのに、3秒かかった(3時間3秒)

すなわち、他人に見せられる品質で作品をつくり上げるには、とても時間がかかる。
だが、ひとたび確固たる1個ができあがると、永遠にそれを共有できる。
3秒で。
だから、最初はオソク見える。
だが、数年後、結果的にはハヤクなる。
これが「オソイホドハヤイ」の真意ではなかろうか。
アウトプットは、「オソイホドハヤイ」を可能にする。

Not only to add years to life, but also to add life to years
人生に時間を与えるより、時間に命を与えよ

ハワード・ラスク(もしくはその師であるモリス・ピアソル)

▶︎⑥引用可能性が高まる

「ほぉ、あれとこれを組み合わせると、なるほど!」

アウトプットを始めて、一番驚いたのがこれだ。
とにかく、自分の中で知識がリンクしまくる。
メモが追いつかないほどに。
これは、なぜなのか。
3つ理由があると思っている。

知識がスマートだから
⑤で説明したように、1つ1つの知識がハイパーリンク一行にまとまっているので、Idea-AとIdea-Bの2つを組み合わせたとしても、思考を圧迫しない。
人間の頭のまな板(ワーキングメモリ)にいっぺんに置けるのは7±2個あたりと言われている(📕Miller, 1994 >>> doi.)。
だから、まとまっていない膨大な情報量のIdea-AとIdea-Bでは、まとめようがないのかもしれない。
スマートなIdea-AとIdea-Bは、容易に関連しあって、Idea-Cをつくるかもしれない。

すぐ引き出せる自信があるから
勉強をやらなくなる理由の1つに「見つからない or 見つけるのに時間がかかる」があると思う。
あの教科書のあそこに、あれが書いてあると思ったんだけど・・・(探すのに20分間)。
引き出すのに時間がかかりすぎるから、嫌になってしまうのだ。
その点、アウトプットしていることで、知識の所在はクリアになっているはず。
Idea-AとIdea-Bの関連性を思いついた、その刹那あとに、手もとに2つの知識を召喚できる。
このように、思考の出口が涼やかだからこそ、多くの風が吹き通ることができるのだろう。

樹状突起が明確になっているから
アウトプットをする際に、(noteの場合)その記事の『タグ』を明確にする。
タグとは、その記事のもつ一般的な特徴のこと。
たとえばリンゴであれば「甘い」、「赤い」、「植物」などになるだろう。
そのタグに収束するように、他の知識がリンクする。
リンゴを考えると、同じく「赤い」ものとしてポストが思い浮かんだりする。

アウトプットは、自分の知識が再度使われる可能性を高める。

▶︎⑦アウトプットする力が高まる

「ん?、最近、記事のQuality上がってない?」

出力者と傍観者の間には、『10対1の法則』が働いている。
出力する人は、つくり上げるために10の力を必要とする
傍観する人は、つくり上げられたものに「+1」だけできれば上に立てる、批評できる。
だから、出力者は10を得て、傍観者は1も得ていないのに勝った気になる危険を孕む。

毎日アウトプットすることは、毎日山の頂上まで登ることに等しい。
毎日「ROM専」にふける人は、毎日山をハタから眺めていることに近しい。

すなわち、アウトプットは『脚力』を鍛える。
アウトプットするほどに、アウトプットする力がつく。
学習のピラミッドにおいて、忘却率に85%もの差がつく理由も、この法則にあると思っている。

図1

本は、読めば読むほど豊かになる
文章は、書けば書くほど確かになる
話は、話すほど機敏になる

ジャーナリスト 堤未果

強力な装備品を得るのではなく、自身がレベルアップするのだ。
そういう類の力は『累積するスキル』と呼ばれる。

アウトプットは、あなた自身の力を強くする。

▶︎まとめ

この1年間を、Full outしきった。
いま思うところは、出せた。
1年間か・・・。
月並みだけど、早いもんだ。
今後もこれを続けていって、どうなるのだろう。
何の役に立つのだろう・・・。
わからない。
わからなくて、いいではないか。
むしろ、わからないからこそ、いいのではないか!
開き直りきって、むしろ信念にすらなっている。
中身が分かりきった福袋ほど、つまらないものはない。

僕たちは、いつだって、「ために」を重んじすぎている。
今日という日は、ただ、いつかのための1日か。
もっと刹那的に、いまという瞬間を、生きられたら!
それが、生きるということではないか。
生ききった先に・・・、なんて考えない、僕は。
ただ、自分を生かしきって、目の前のものにFull outする。
その点において、高校球児たちの“あの輝き”にだって、負けたくはない。
ただ、アウトプットを続けてみる。
うんうん、牛のように、押してみる。
灼熱の太陽から隠れるようにして、涼しい室内でこの記事を書いている。
あの太陽のように、燃え盛る理由を考えることなく、ただ、燃えたい。

牛になる事はどうしても必要です。
吾々はとかく馬にはなりたがるが、牛には中々なり切れないです。
あせつては不可せん。
頭を悪くしては不可せん。
根気づくでお出でなさい。
世の中は根気の前に頭を下げる事を知つてゐますが、
火花の前には一瞬の記憶しか与へて呉れません。
うんうん死ぬまで押すのです。
何を押すかと聞くなら申します。
人間を押すのです。

夏目漱石『漱石全集 第二十四巻 書簡下』 岩波書店刊

【あり】最後のイラスト

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