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女の子は…

もう、何年も前のことだけど、
たまにふと思い出す光景がある。


リビングのテーブルの上で開いた鏡。
その鏡を丁寧に拭く姉の姿。

あまり几帳面ではなかった姉の意外な姿に視線が向いた。

そんな視線に気づいてか、
ただ話したくなっただけなのか、
鏡を拭きながら姉が言った。

「鏡は自分の顔を映す物だから女の子は鏡を綺麗にしておきなさい。て、きいちゃんに言われたんだよね。」


“きいちゃん” 我が家では祖母をそう呼んでいた。


あの時の姉が、なんだか嬉しそうで、
自分も少し、暖かい気持ちになったことを覚えている。



「女の子は…」「男の子は…」
この言葉は今、言わない方がいいとされるようになった言葉だ。


うん。分かる。


この言葉に苦しい思いをしてきた人が、
きっとたくさんいる。

どう生きるかは本人が決めることで、他者が押し付けることじゃない。

だから、避けられるようになったのは理解できる。


ただ、この言葉が、押し付けになるばかりでは無いことを、自分は知っている。


あの時、この言葉を想って、
優しく笑った人を見たから。



「女の子は…」「男の子は…」

この言葉の始まりは、
きっと “願い” なんだと思う。

大切な存在に、こうあって欲しいとか、
生きる術として知っていて欲しいとか、

女も男も同じ人間だけど、やっぱり違う。

この先どんなに時代が進んでも、
同じになることは、きっとない。

時代を遡るほど、その違いは大きかっただろうから、分かりやすく伝えるために、頭にこの言葉を付けるようになったんだろう。

度が過ぎたら押し付けになってしまう危ういものだけど、根底にあるのは、きっと愛情だ。 


受け取るかどうかは、本人が決めればいい。
持ち続けるかどうかも自由でいい。
要らなくなったら、そっと置いていけばいい。


姉は、祖母からの愛情を受け取った。

数年前に結婚し、母になった姉が、
忙しく廻る毎日の中で、あの言葉をまだ持っているかどうかは分からない。


でも、

女の人として生きてきた祖母が、これからそう生きていくであろう姉に、知っていて欲しいと願い伝えたのであろうあの言葉。

あの言葉は、ほんのひと時だったかもしれないけど、姉の人生に、暖かく存在していたと思う。



言わない方がいい言葉は、
きっと年々増えていく。




その言葉の中に、誰かの人生に暖かく存在したものがあったであろうことを、

勝手に覚えていようと思う。


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