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死にたくなるとき *HSP

タイトルが衝撃的ですが、
消えてなくなりたいときってありますよね。。
最近はだいぶなくなりましたが、以前は何かあるたび
消えてなくなりたいとよく思っていました。
それは死にたいって気持ちと一緒かもしれないけれど
死ぬのはどの方法も怖くて、実行できず、
ただすっと消えてなくなってしまえたらいいのに、、
と願ったものです。

子供のことや夫婦のこと、家族単位のことでよく悩みました。
おそらく連子ちゃんたちがいたとき、わたしはもっと弱かったし
失ってから気がついたことも多かったので、当時は悩み苦しむ日々が
多かったように思います。
連子ちゃんたちの話は、また次の機会に詳しくお話ししたいと思います*

わたしが死にたくなってしまうとき、
自分にすることは、現実逃避はもちろんですが
それでは解決できなかったとき、
家を出て少し近所を一人で歩きます。

本当は昔家のそばにあった河原を思い出し、
そんな環境のところに行きたいのですが
今の家の近くには河原はないので、
とにかく嫌いじゃない道をひたすら歩きます。

そして無心になんてなれないので
ひたすら悩んでることで頭を埋め尽くします。
死にたい、消えたいという思いを背負って歩くと
歩道橋の上から身を投げたくなるし
道路に飛び出したくなります。
どこかの怖いひとに殺されてもまあいいかなんて
気持ちにもなります。

そんな気持ちの波を繰り返す中で
人から聞いたこんな話を思い出します。

「生き物は小さい原子の粒でできていて
 死ぬと小さい原子の粒がバラバラになって
 空気中へと溶けていく」

「そして、また別の種類の原子同士が固まって
 別の個体となって生まれ変わる」

すごく不思議な感覚にもなりましたが
なんとなく、わたしにとっては腑に落ちる感じがあり
すっと心に入りました。

だから本当にそうなるんだなって思ったとき
自分という今の個体を終わらせたら、
小さい原子の粒がバラバラになって
もう元には戻らないんだと実感しました。

そして知らない誰かとして新しい自分になる。

そう思ったとき、今現在の自分に相当未練があると
気が付くことができました。

「あぁもうこの子たちのお母さんではなくなるんだな」と
思ったとき、

それは嫌でした。

わたしが死んだら、残された子供はどんな人生を生きるのか
そう考えると、自殺はできないとは思っていて、
せめて事故死を装うことを考えたりもしましたが、
それも違うことに気が付きました。

わたしは子供たちのお母さんでなくなることを拒否していました。

別の個体になってしまったら、もう今の夫の妻には、
今のわたしの人生には戻れない。

それはとっても悲しかった。

こんなに今現在に未練のある自分は幸せ者だとも思いました。

弱虫で逃げたかっただけ。
辛いことの全部から、逃げて逃げて
終わらせたかっただけ。

でも、逃げ切ったあとには、
最も自分の望まないゴールがあると知りました。

消えたいとき、逃げたいとき
きっとこれからも辛いことは
たくさんあると思う。

でも、この自分の人生は手放しちゃいけない。
こんなに幸せだと思える人に出逢わせてくれた
今のわたしを大切に生きよう
と思います(*´꒳`*)

そばにいてくれる人に感謝を忘れず
今の自分の手にある幸せを忘れず
無理せず歩いて行こう***

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