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「同一の空間は二物によって同時に占有せらるる事能わず」夏目漱石『虞美人草』第四章

ざっと最後まで見たら、19章もあるのか。そんなに続けられるのかなあ。1日で4章まで来てるんだから、わざわざ一章ごとに何か書かんでもいいだろう。心の声が語る。まあでもままよ。

4章は小野の来歴を提示する章である。貧しく、不自由な幼少期が提示される。その中ただひたすらに、励んだ。努力した。けれど、優柔不断である。会いたいけど、会いたくない。そんな面倒な感性の持ち主が小野である。

モデルは厨川白村。と言われるが、こんな性格づけ、不愉快だろう。漱石のアカハラを見た。白村は、漱石の授業にきっちり出た人である。師のくせに、この仕打ちはない。ただ、全部が全部モデルというわけでもなさそうだ。幼少期の頃の話は、漱石自身の何かも反映してそうだ。けれども、優柔不断は、多少使っているのかもしれない。

小野を根無草に例えることはあるが、これは白村よりも漱石自身の話じゃないだろうか。

小野はでももちまえの優柔不断で、恩義ある先生の娘と結婚するか、自分が好きな藤尾に恋を打ち明けるか、悩んでいる。恩義なら先生である「井上のお嬢さん」、自分主体なら藤尾。実は近代人の悩みでもある。

小野は先生の指導と持ち前の真面目さで、恩賜の時計をもらい、博士までもう一歩のところまで来ている。未来も向こうに見えている。だから、藤尾という選択肢も、そこにあるのだ。「井上のお嬢さん」を選べば、可能性(有り得たはずの未来)に呪われる。藤尾を選んだら、過去に呪われる。小野はもう、どちらにしても重苦しいものを選ばざるを得ない。こうした設定も、漱石は上手だ。

小野の下に先生から手紙が来る。それを読んで血相を変える小野。おそらくは結婚のことについて書かれていたのだろう。先生は、未来に投資した。そのリターンを求めている。小野は、それを煩わしく思う。

友人たちは、小野の前に敷かれたレールを羨ましく思う。小野は煩わしく思う。だから、会いに来た友人と話すことを厭う。なぜなら、みんなが羨むルートは、自分にとって重荷でしかないからだ。哀れな小野。切ない小野。

小野パート、甲野さんと宗近君パートを交互に配置して、運命を交錯させるように近づけていく。通俗、なのかもしれないけれども、これはこれで面白い。

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