岡田温司『フロイトのイタリア 旅・芸術・精神分析』

現代思想を対象にした学術書的啓蒙書という体裁なので、確かに読む人を選ぶ書物ではあるのだけれども、それをあまり気にせずに読み始め、丹念に言葉を追っていくと、『フロイトのイタリア』は掛け値なしに感動的な探究的ドキュメントだということに気づくはず。

フロイトの思想および精神分析の理論の形成に、実は、彼のイタリア旅行と、この国の芸術や文化が深くかかわっていたのである。

「はじめに」の三行目にすでにみられる本書の作業仮説から、フロイトの様々な言葉が集められ、読み解かれ、配列されていく。そこに現れるイメージこそ、「フロイトイタリア」だ。

本書が、「フロイトイタリア」ではなくて、「フロイトイタリア」と題されている理由もそこにある。つまり、並列関係を示す便利(だが曖昧)な並立助詞「と」では埒が明かず、所有や所属を示す格助詞「の」のほうがぴったりとくるような内在的な関係性が、両者のあいだにははっきりと存在するのである。(太字部分は、原文ではアクセント)

すでにここから面白い。

フロイトと言えばドイツ圏に属するユダヤ人の精神分析学の祖だが、それがなぜイタリアという国に惹きつけられ、あまつさえそれが精神分析学という知見にまで発展していったのか、という問い自体スリリングではないだろうか。

学術論文を基礎にした学術書の場合、「はじめに」が最も良い書評=自註になっていることが普通だ。本書も例外ではなく、「はじめに」をまとめてしまえば、私によって屋上屋を重ねる必要はないように思われるが、それでも、

かねてよりの念願であったイタリア旅行をフロイトが開始するのは、すでに齢四〇を迎えようとする頃であったが、とりわけ、憧れと恐怖とがない混ぜになったローマへの「神経症的」な思い入れには、特筆に値するものがある。というのも、イタリア旅行に着手してからも、ローマにだけは、なぜだか強い抑止が働いてしまい、なおも数年間は足を踏み入れることができないままでいたからである。

こんなふうに書かれると、ドキドキしてはこないか。

ローマに行きたいけれどもローマに行けず、なんていうフロイトの姿そのものが新鮮だ。第3章の紹介を見てみよう。

第Ⅲ章「「イタリアに向かって」(ゲン・イターリエン)/「生殖器」(ゲニターリエン)」では、そのイタリア旅行がきわめて大きな影を落としているフロイトの三つのテクスト―『夢判断』、『日常生活の精神病理学』、「W・イェンゼン著『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢」―を取り上げ、その内部にさらに踏み込んで、いわばとどめの一撃を刺すことが狙われる。夢の解釈、度忘れのメカニズム、空想小説の分析と、それぞれ対象こそ異なれ、いずれもイタリアの都市、芸術、考古学などが中心的トピックをなすテクストである。フロイトによるフロイトの自己分析、それがここでのキータームとなるだろう。

えっ、そうなの?とフロイト思想を専門的、体系的に読んで来てはいない私としては、驚く。それぞれのテクストは学生の頃に翻訳で読んだことがあるにせよ、そこにイタリアとの絡みは見いだせなかった。

だから、否が応でも、期待は高まる。

岡田温司さんは美術史家で、著作も多数ある。

啓蒙的な書籍も多く出版されていて、私もそのいくつかを読んだことがある。

そんな中で、イタリアを語るフロイトに切り込んで論じるというのは、他流試合ではあるものの、異種格闘技戦を見るように興奮してしまう。

フロイトがまず訪れたイタリアの都市は「トリエステ」であるようだが、当時はオーストリア=ハンガリー帝国の所属であり、定義上はイタリアではない。けれども、フロイトの中では初の地中海世界との遭遇であるという。この街で、フロイトは不思議な体験を記憶することになる。

のちに、「不気味なもの」(一九一九年)という小気味いいエッセーのなかでフロイトは、ある町での「不気味」な体験談なるものを披露しているが、その町とは、ほかでもなくトリエステのことだといわれている。散策の途中で彼は、ある通りに偶然踏み込んでしまう。小さな家々の窓から化粧をした女性ばかりが顔をのぞかせているその通りが、「どういう性質の場所であるかは一見してすぐにわかった」ので、急いで立ち去って、あちらこちらと徘徊するのだが、知らず知らずのうちに何度も同じ場所に舞い戻ってしまうのである。そんなことが三度くりかえされる。

このフロイトの体験のような小説を、私たちは知っている。

萩原朔太郎の『猫町』である。

モルヒネ等の後遺症になやんだ「私」は、体力を回復させるために養生する中で、薬の力を用いずに内面的な深みへと降りるために、わざと方位の認識を混乱させることで、普段の景色を一変させるという技巧を開発した。

次に語る一つの話も、こうした私の謎に対して、或る解答を暗示する鍵になってる。読者にしてもし、私の不思議な物語からして、事物と現象の背後に隠れているところの、或る四次元の世界—景色の裏側の実在性—を仮想し得るとせば、この物語の一切は真実である。だが諸君にして、もしそれを仮想し得ないとするならば、私の現実に経験した次の事実も、所詮はモルヒネ中毒に中枢を冒された一詩人の、取りとめもないデカダンスの幻覚にしか過ぎないだろう。

この話、北越の湯治場へ行った「私」が、散歩の途中で方位を見失い、迷った挙句たどり着いた瀟洒な街で、猫また猫が町中に人のように現れてこちらを見ている町をさまよう。そういう話である。萩原朔太郎は、その場所から出ようとして元に戻ってしまうという経験を書き記しているわけではないが、フロイトのトリエステと、朔太郎の北越は、ずいぶん似ていると感じてしまう。

ただ、このトリエステ体験から20年間、フロイトはイタリア行きをためらう。

次に再開されるのが、1895年である。

そして紹介される1897年のウィルヘルム・フリースへの手紙。

僕の心のなかは発酵していますが、僕は何も仕上げていません。心理学には大いに満足しています。神経症学では重大な疑惑に苦しめられ、考えるのがたいへん億劫になっています。そして、ここでは、頭の中と感情のなかの動揺を鎮めることをなし遂げていません。そのためにはまずイタリアが必要です。

「まずイタリアが必要です」と、私も言ってみたいものだ。

そんなにイタリアが?という疑問はある。スペインじゃだめなのか、英国じゃだめなのか、ポーランドじゃだめなのか。

このようなイタリア幻想、ローマ幻想自体が、ヨーロッパの富裕層や知識人に共通してあったものだということは、様々なところで言及されてはいるけれど、それにしても、繰り返しイタリアを希求するフロイトの姿は異様でもある。

かつて一八世紀には、イタリア旅行は「グランドツアー」と呼ばれ、一部の貴族や富裕層にのみ許されていた特権で、古代とルネサンスへの彼らの憧憬を刺激し、そして満たすものであった。その旅行は、芸術家や文学者、哲学者たちを駆り立てていたばかりでなく、貴族や富豪の若者たちにとっては、人文主義的で博物学的な教育の最後の仕上げとなる必須のカリキュラムでもあった。イタリアはまさに、文化と芸術と自然を学ぶための現地実習場だったのである。

戻ろう。

イタリア旅行を再開して初めて訪れたのはヴェネツィアだった。そこでフロイトは様々な聖堂を訪れ、宗教芸術を堪能している。

私たち日本人には、わかりにくいのかもしれないが、ユダヤ人であるフロイトがカトリックの聖堂を訪れ、芸術鑑賞を楽しみ、場合によってはルネサンスにおける人文主義的モチーフ(ギリシア神話の多神教的世界)を楽しんでしまうのは、二重の意味で信仰のくびきを脱し、自由な精神文化の世界を飛翔していると言っていい。

フロイトは「ヴェネツィアのすべての美しいものに逆らうことができない」と書き記しているくらいに、美の蒐集に我を忘れている。

この姿は、思想家としてのフロイト像よりも、私たちの傍にいるパラノイアックなフロイトおじさんのような親近感を持つのに充分ではなかろうか。

1896年、フロイトは、トスカーナへの旅を開始する。身辺が慌ただしかったにも関わらず、である。ヴェネツィア、パドヴァ、ボローニャ、ラヴェンナそしてフィレンツェと回っている。

ボローニャでは、

マルタへの短い便りのなかで彼は、「本当においしいワイン」、「おいしい料理」、「とびっきりの料理」、「ここの料理はあまりに美味すぎる」と、まるで子どものように同じせりふを連発している。まさしくそれが本音だったのであろう。

というくらい、舌鼓をうっている。

ラヴェンナでも「僕たちはすこぶる機嫌がいい。これはたぶんワインが大きく貢献しているのだろう」と述べている。

その一方で、フロイトはバロック芸術やモダンアートに興味があまりなかったようだが、なるほどフロイトは、官能的なものが強調されている図像の方に、あるいは嗅覚、味覚といったもののほうにイタリアでは惹かれていたのではないだろうか。

フィレンツェでは、「いちばん美しいのは、この町を取り囲むようにして広がる、オリーブとブドウの木におおわれた数々の丘だ」とする反面、鉄道旅行に対する不安や嫌悪、そして、それをすると「町が圧倒するようにのしかかってくる」ように感じられてしまう。

要するに、

圧倒的な芸術を前にしてフロイトは、エクスタシーと麻痺、魅了と無感覚、満足感と焦燥感の両極端の気持ちのあいだを揺れ動いているのである。それぐらいだったら最初から行かなければいいのに、と思われるかもしれないが、そういうわけにはいかない。ひとたび火の点いてしまった欲望は、容易に抑えることはできない。

こんな形で、第1章、第2章がつづられ、フロイトのイタリア旅行の実態が、縷々つづられるのである。これを読むだけでも、食べる人、飲む人、旅する人であるフロイトの生の姿が「追体験」できる。

本書前半のハイライトは、このようなフロイトのイタリア旅行の姿である。これだけでも充分フロイトの一側面を知る、という目的は達せられると思う。

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