正岡子規『病牀六尺』

歴史ドラマをあまりみないので、『坂の上の雲』のドラマは見ていないが、例のスーパー歌舞伎(?)役者の息子(と言っていいのか)が名演技をしたらしい。人格的な問題と芸の技倆は相関しないというが、彼の演技は好きだったので、残念なことである。やったことは事実だとしたら申し開きもしようもないが、ああいう人は市井にも結構いる。

その役者が演じたのは正岡子規だという。案外、良いキャストだと思って、いつか観たいと思うものの、明治の政治や軍事にいまいち関心が抱けないでいる。正岡子規については以前、紙媒体にて、野球のユニフォームについて書いた時に、「野球」命名者問題を検討していたところで行き合った人物でもある。

俳人としての正岡子規については、あまりよく知らず、語るべきものを何も持たなかったのだが、手元に最晩年のエッセイ集である『病牀六尺』があったので、先日田舎の帰ったあたりから読み始めた。

正岡子規の神経質さが顕に出ていて面白い。そして、あらゆる事柄を観察しようとしている節がある。『狂言記』なるものを読みながら、二人称の「オヌシ」と「ソチ」について、考察するところなど、興味深かった。

二人称に悩むことは割と頻繁にある。「あなた」「おまえ」「きみ」。意外に少ない。「おたく」「われ」「きさま」「キデン」などいう言葉もあるし、だいたいの人は名前プラス敬称で呼ぶ。

「オヌシ」と呼ぶ人は今までに1人いた。詩人の母を持った木津川くん(仮名)で、人のことを呼ぶ時「オヌシ」と言っていた。高橋瑠美子のファンなのかと思えば、そうでもなく、体が小さかったが、小林まことの『柔道部物語』に憧れて、中学2年生の時分に新設された柔道部に入部していた。

木津川くんは、誰の影響かは知らないが、「オヌシ」人称にこだわっていた。今のユーチューバー界というかネット界における「ワイ」に近いこだわりなのかもしれない。なぜ「オヌシ」だったのか。詩人である母のことが、私には想像された。木津川くんのお母さんとは会ったことはないが、詩人の母、という響きに甘美なものを感じてしまったことは間違いない。

私のイメージの中で木津川くんのお母さんは、文机の前に座って、長い髪を整えながら、詩を書いては、ゴミ箱に投げる、そんなイメージなのだ。誰なんだと言われると、自分でも笑っちゃうのだが、木津川くんは最後まで「オヌシ」という二人称は抜けなかった。

「オヌシ」という二人称を使った人はもう1人いて、妻のお産を見てくれた産婦人科の女性の先生であった。割と公的な場での「オヌシ」だったので、多少の動揺はあったが、まあそういう関係性ができているのかなと後ろで見ていて思った。もう、その病院にはいないらしい。

この『病牀六尺』だが、最期に至るまで切々とした内容が綴られていく。きっと今なら立派なツイッタラーになるのではないだろうか。子規は生まれてくるのが本当に早かった。いずれにしても、名随筆の一つである。

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