キラキラした記憶の記録 〜ゆるく本を紹介する 4〜

君塚太編著『原宿セントラルアパートを歩く 1962-86 あの場所にいたクリエーターを訪ねて』(河出書房新社 2004)を読んだ。

理由は、明治神宮交差点の建物として有名だった「原宿セントラルアパート」を調べることで、1960年代から1970年代の原宿の空気を知ることができると思ったからだ。そして、その目的はある程度果たされた。

ただ、基本的に狙いは原宿を描くことではない。ラフォーレ原宿を描くことである。そういう点では、原宿セントラルアパートにキラキラした記憶を抱く向きにとって、ラフォーレ原宿は原宿の変化の象徴として映るようだ。

静かだった原宿が子どもの街になってしまった、という感慨は、セントラルアパートの記憶が語られる中で、しばしば目にするものである。

ただ、1974年生まれの私にとって、セントラルアパートはすでに取り壊されることの決まった老朽化した建物であり、その後にできたティーズ原宿のイメージの方が強い。しかし、時代はそのティーズ原宿すらも洗い流して、明治神宮交差点は東急と森ビルの覇権争いの様相を呈している。

私は、セントラルアパートの記憶組からすると、子どもっぽくなった時代の原宿を代表する竹下通りの芸能人の店時代に、原宿を初めて経験した世代であり、テレビで竹の子族を見、バンドブームのメッカと芸能人の店が林立する中を歩き、裏原宿ブームの最中に思春期を送った。君塚さんがこの本を出した2004年ごろは、私はアルネやリンカランなどのライフスタイル誌に対抗する新たなライフスタイル誌の刊行に向けて、忙しくしていた時期でもある。

2004年は、秋葉原がより「趣都」としてのイメージを明確ににしていた時期でもあり、グラマラスやグリッターといったセレブ系女性誌も刊行ないしは準備され、翌年にはっきり打ち出される「リアルクローズ」なる言葉を支えるコンテンツが着々と準備されていた。

この本は、地上げにあい1990年代末に取り壊されるに至った、昭和を代表する集合住宅であるセントラルアパートに集ったクリエーターたちの記憶を、卓抜なインタビューで引き出していく本である。集ったクリエーターたちは、1970年代から1980年代の日本のカルチャーシーンを牽引した人々である。その中で、6人がピックアップされて本になった。

写真家・繰上和美、写真家・鋤田正義、イラストレーター・宇野亜喜良、編集者・矢崎泰久、編集者・オキ・シロー、マルチクリエーター・淺井愼平。

固有名詞を記憶しているかどうかはともかく、おそらくはどこかでこの人たちの作品を目にしたことはあるはずである。私も繰上先生(と呼ぶしかない大家だった)とは一度だけお仕事をしたことがある。また、オキ・シローさんとかつて『NOW』という雑誌編集のエディトリアルを担当していた江島任さんには、何らかの縁でインタビューをしたこともある。

お蔵になってしまったが、私のような若造にも、楽しそうにお話をしてくれた。すでに当時80歳を過ぎていらしたが、『NOW』のことは楽しそうに話されていた。すでに鬼籍に入られてしまったが、遊んでいるのか仕事をしているのかわからない中で、様々なものを作った記憶は、このインタビューの中にも見ることができた。

そういう内容である。セントラルアパートは、吹き抜け構造の集合住宅であり、お互いの入り口が見えた。そして、誰がどこにいるか、どこでどんなことをやっているか、というのを推測して、クリエーター同士がお互いに自分の能力を分け合って、新しいものや面白いものを生み出していった。

可視化された空間におけるクリエーターの交流は、アイデア同士を組み合わせる場となり、真の意味での新結合(イノベーション)を起こすことを可能にしたのだろう。この時期の進化の加速度は傾きが大きく、だからこそ沸騰した時代としても記憶されているのではないだろうか。

私がつべこべ述べるよりも、一読していただくことで、その面白さを実感していただけると思う。いい本である。しかし、もしかしたら、すでに忘れられているのかもしれない。それでも、いい本である。

言うなれば、Youtube草創期において、有名youtuber同士がコラボしあって、新たなコンテンツが生み出されているのを見るような楽しみがある。何かのメディアの草創期は、常に何らかの出鱈目な交流が、何とも楽しいものとして観察できることを私たちは知っている。その感じで読んでいただくと、きっと、経験は異なれど、様々なことを知ることができる。

私はセントラルアパートを知らないが、同じ興奮は知っている。

これが世代をつなぐ記憶の力であろう。

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