筒井康隆みたいだ。
筒井にも『バブリング創世記』というリズムに特化した音楽のようなユーモア小説があるが、この太宰の「創世記」も、もちろん太宰の純な、はにかんだ心持ちが通奏低音で流れている、内容をもっているけれども、どこか音楽的で、リズムを感じる作品である。筒井康隆みたいだ、というのは、私の中の読み順での錯覚だけである。
ラップ、だよね。あるいは無意味な地口というか、ナンセンスな言葉遊びとか。電気Grooveの「B.B.E」とか「電気ビリビリ」とか、そういう感じ。ナゴムなセンス、というか。太宰、恐るべし。「オ辞儀サセタイ校長サン」とか、ナチュラルに出てこないよね。
「マダムの鼻は豚のちんちん」なんて、シラフじゃ出てこないフレーズだよね。イ・パクサだよね。
ただの子どもがいうナンセンスと、突き抜けたナンセンスと、違う。突き抜ける過程において燃えた灰が沈殿して、キラリと光る。灰とダイヤモンド。あいつ、くうだらねえ比喩かましやがって。キム・スー・イルのアレンジをみよ。
なんだろうな、この小説。1930年代の後半って、なんだったんだろうな。