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グループで協議する時は、答えのない問いを議論する方がよいのか?

皆さんは、グループで協議することがありますか?
職場で、家庭で、趣味で、地域で…
様々な場で、グループで協議することがあると思います。

その際
・答えのある問いを議論する場合と
・答えのない問いを議論する場合と
どちらが議論の価値があると思いますか?

もちろん
答えのない問いを議論すること
です。

これはだれも否定ができない事実であります。
だって

答えがあるなら、議論なんてする必要がないじゃないですか!

大人がグループ協議を
するならそうなんです。
答えがあるなら
ググればいい。
生成AIに聞けばいい。
答えがないから
議論するんです。

しかし、学校ではそうは行きません。

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グループで話し合うことがあります。

ある気体に火を近づけると消える理由を
グループで話し合うことがあります。

答えが分かった時
するどい考えでも
オリジナリティのある考えでも
試行錯誤してやっと出た考えでも

答えは1つです。
子供は間違いであれば

「ステキな考えに至ることができたね!」

と称賛しても喜ばないでしょう。
だって間違っているから。

私が言いたいのは
答えのある問いを議論してはいけない
と言っているのではありません。

答えのある問いを議論する時は
間違った時にネガティブ思考になる子供が
いるという前提で、
教師は対応しなければならないということを
念頭に置くことが大切だと言いたいのです。

「みんなの色々な意見があるから、この答えにたどり着くことができたんだね」

という価値づけをしておかなければなりません。

私も実際に、
算数であえて間違っていると分かっていて
指名して発表させることがあります。
3つくらい考えを出させて
比較検討する算数の授業構成は当たり前にあります。

そんな時
子供のフォローやねぎらいはもちろん

教室は間違うところだ
安心して手を挙げろ
安心して間違えや

の考えを教室全体に浸透させておきたいものです。
そうすれば、安心して学級で発言することができます。
グループ協議でも活発な意見が出て
クラス全体の理解度が高まります。

大人では答えのない議論が当たり前ですが
学校では答えのある議論がある
ということを踏まえた上で我々は学級経営を
していかなければならないのだと考えます。

今日の記事は以上になります。
最後までお読みくださりありがとうございました。


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