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神様の贈り物は“予定外“に降りてくる -パリの空港で飛行機に乗れなかった日-

フランス、パリ・シャルル・ド・ゴール空港、第2ターミナル。

成田からの便を降り、入国審査を経て、EU各地への便が出るターミナルを猛ダッシュ。映画ホームアローンの冒頭シーンのように。

辿り着いたゲートには誰もいなかった。スクリーンに自分が乗る予定だった便の名前、行き先、時刻のみが表示されている。

あたりを見回したら運よく航空会社のカウンターを発見。慌てて駆け寄り航空券を見せる。

「すみません、この便は…」

全てを言い終える前に職員からの返事に遮られる。

“Too late”

ああ‥。

“You can get on the next flight(次の便に乗っていいよ)”

最終便の一つ前に搭乗予定だったことが幸いし、その日のうちに最終目的地まで飛べることになった。

時刻はフランス時間でほぼ18時半。次の便が出るのは21時半。

海外は幼少期に親に連れられて行ったことはあったものの、十何年ぶりの日本出国ゲートは一人で通ってやってきた。

初めての「一人での海外」。いきなり乗り継ぎ便に乗れず、パリの空港ターミナルで私は2時間半の待ちぼうけを喰らうことになってしまった。

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その年の夏、当時大学生だった私は短期の語学留学をすることにした。

行き先はフランス。

行くならやはりパリかなと思っていたが、留学エージェントの提携語学学校を眺めていると、思いの外、地方の諸都市の語学学校も豊富にあり、パリ以外に留学するという選択肢があることを知る。

過去の留学体験記を読むと、パリへの短期留学では以下のようなデメリットがあることがわかってきた。

・日本人の割合が高い。クラスのほぼ全員が日本人だったケースも。
・ステイ先によっては学校まで片道1時間弱かかる場合もある。

また、当たり前だが大都会ほど治安への不安は高くなる。

せっかくフランスまで行って周りが日本人ばかりだと勿体無いし、治安面と通学の楽さも考慮し、パリではなく地方の都市に留学することにした。

夏ならやはり地中海だろう!ということで南の方の学校を探し、私は地中海沿岸にあるモンペリエという聞いたこともなかった街に決めた。

サッカーが好きな人はかろうじて聞いたことがあるだろうか。

地中海沿岸のほぼ真ん中にあるこの街は、フランス最古の医学部を抱える大学もある学生都市。物価も比較的安く治安も良い。

東に行くと電車でニースまで三時間、マルセイユまで二時間、西に行くとスペイン・バルセロナまで四時間。南仏観光の拠点としても抜群の立地である。

エージェントのパンフレットに載っているモンペリエの語学学校の日本人の割合は5%以下。(パリだと大体20%前後)

地球の歩き方のフランス版にはモンペリエの情報はたった見開き1ページ(当時)しかなかったのだが、他の都市と迷う中、この紹介文が決め手となった。

観光客として訪れるよりも、住んでみたいと思わせる町がある。モンペリエはそのひとつだ。13世紀創立の由緒ある大学があり、町では片手に本、片手にパンといういでたちで、詩人ペトラルカや作家ラブレーの後輩が歩いているのに出会う。地中海から吹いてくるさわやかな風を受けて、旧市街をゆっくり散歩するのがベストかもしれない。

「地球の歩き方 〜フランス〜 」より

行き先が決まったので、再度留学エージェントに相談しに行くと、留学日程についてちょっと難色を示された。

私のフランス語のレベルだと、入門クラスに振り分けられる可能性がある。入門クラスは毎月第一週のみ新規生徒を受け入れているので、8月か9月の第一週からの留学にした方がいいとのことだった。(結果的にその一つ上のクラスに振り分けられたが、今考えるとそのレベルでよく留学に行ってみようと思った…)

8月頭はまだ大学の試験中だったため、9月の最初の日曜日にモンペリエに行き、月曜日から授業を受け、そのまま大学の休みが終わるギリギリまで語学学校に通うことにした。最終週の金曜日に学校が終わり、土曜日に日本に帰れば、次の月曜日の大学の後期授業の開始に間に合うという算段だった。

母親にその日程で行こうと思うと話すと、こう言われた。

「あんた、パリには行かないつもり?」

パリからモンペリエは飛行機で一時間半、電車では三時間半かかる。パリで観光するのであれば、モンペリエに向かう前か、日本に帰る前に寄るのが一番都合が良い。

だが、留学開始前に、たった一人でパリのホテルを自分で手配、観光してから空港に戻ってモンペリエまで行くのは不安でやりたくなかった。

できれば語学学校を終えて、フランスにもフランス語にもある程度慣れてから行きたかったが、パリに数日滞在する日程的余裕はなく、語学学校か大学の講義か、どちらかの授業を削るしなかったが授業料がもったいない。

留学中の土日を使うという手もあったが、平日は授業があるため、土日は近辺にある南仏各地への日帰り観光に充てたかった。

結局、わざわざフランスまで行くのにパリの街中には一切行かないということになってしまったが、パリならまた行くこともあるだろうと思い、今回はやむを得ずパスすることにしたのだった。

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そんなわけで、当初の予定では、パリに16時に着き、18時半発のモンペリエ便に乗り換え、20時にはホストファミリーの家に到着して顔合わせを兼ねたディナーをするはずだった。

よく飛行機に乗られる方はお気付きかもしれないが、乗り換え時間が1時間半しかないという結構危ないスケジュールだった。だが、当時は飛行機で乗り換えをしたことがなかったし、乗り換える時に入国審査があるのもよくわかっておらず、旅行代理店が提示してきたチケットでそのままOKを出した。

案の定、日本からの便が20分ほど遅延した状態で入国審査で長蛇の列に並ばされ、ゲートに着いた頃には最終搭乗が終わっていた。無知とは恐ろしいもので、10分前にゲートについても飛行機は山手線みたいに飛び込みで乗れないことも、入国審査は乗り継ぎ便の出発が迫っていることを伝えば意外と配慮してくれることも、旅慣れてない私は知らなかったのだ。

航空会社のカウンターでひとまず便の振替はできたので、モンペリエで空港からホストファミリーの家まで送迎予定だった留学エージェントの方に連絡し、事情を説明すると、ホストファミリーへの連絡はエージェントの方でしてくれると伝えられた。

日本で午前11時の飛行機に乗って、この時日本はすでに深夜2時。日本にいる家族友人への連絡は憚られ、必要な手配と連絡が終わったら、心細さを抱えながらも、適当に空港内の売店を見たりしてなんとか時間を潰した。

夏のヨーロッパは日が暮れるのが遅い。この日、パリの日没は21時過ぎ。空港のガラス張りに強烈な太陽の光が差し込み、徐々にそれは遠ざかり、やっと飛行機に乗ろうという頃には綺麗な茜色の空が広がっていた。

慣れない10時間のフライトを経て、目的の便に乗れるかで乗れないかで神経をすり減らしながら空港をダッシュし、疲労困憊だったが、予定の便に乗っていたら、今頃はホストファミリーとのご飯を終えて、シャワーを浴びるなり、荷解きをしていただろう。こんな一面ガラス張りの夕日はおそらく見ていない。

シャルル・ド・ゴール空港の夕日に見送られて搭乗する21時の便。

案外悪くなかったかもしれない。

日曜日の夜に南仏に向かう最終便は、満席だった日本便よりかなり余裕があった。CAさんの丁寧な接客と笑顔が身に沁みる。無事飛行機に乗れたことも相まってなんとも言えない安堵感に包まれる。

窓の方に目をやると、太陽はとっくに地平線の彼方に消え去っており、あたりはすっかり暗くなっていた。

そうやってぼんやり外を見ていた時だった。

パリだ。

窓の外には、闇夜にくっきりと姿を現した、シャンパンゴールドに輝くエッフェル塔と花の都パリの街。

パリだ!

ほんのわずかな時間だった。慌ててカバンからカメラを出しても間に合わなかったので写真は残っていない。

でも、私は確かに見た。

上空何メートルからのパリの夜景を。
夏の夜に浮かぶパリの街を。

私はクリスチャンでもなければ、神道を信心深く信じているわけでもないが、もしこの世に神様がいるならば、パリに行かないことにした私を少し可哀想に思ってくれたのかも知れない。

可哀想に思って、少しだけ私にパリを見せてくれたのかも知れない。

ほんの少しだけ。

でも、おそらくパリが最も美しく見える時間に。

パリが最終目的地だったら、私はこの夜景を見ることはなかっただろう。なんだか全ては神様の計らいだったような気がして目頭が熱くなった。

溢れた雫がほおを伝う頃にはもうパリの街は見えなくなり、私はうっすらと目を閉じた。

金色に輝くその夜景のなんと美しかったことだろう。

最終目的地まではあと少し。

飛行機はどんどんパリから遠ざかり、私を南へと運んでいった。

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◆留学先モンペリエの街について書いた記事はこちら


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