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漫画みたいな毎日。「探しに行くよ、内なる花を。4」

旅の記録1~3はこちら。

渋滞を何とかくぐり抜け、オープンスクールへの参加となった。公開授業の様子から、この学校に「学びとは自発的なもの」という意識が存在している気がしていた。

公開授業が終わると、下宿制を利用して高校に通っている生徒たちとの座談会が予定されている。

生徒も見学者もランダムに、なんとなく分かれて4つのテーブルに分かれて座る。私たちが囲んだテーブルには、高校二年生が一人、一年生が二人。
見学者は、私たちともう一家族の二家族。合計八人での座談会だ。

高校二年生の生徒が、事前に生徒たちが書いていた「この高校に通ってみて」といういくつかの質問に答えた内容に沿って話をしてくれる。

初対面だが、誰も緊張した様子もなく、とても自然体だなという印象を受ける。

高校二年生の彼は、小学五年生の頃から蟻の研究を自由研究として初め、この高校に入り、大学を目指しており、将来は学芸員になり蟻の研究をするという目標を持っているのだそうだ。

学校の授業はどのようなものであるか、フィールドワークはどの様にして行われるか、各学年で授業の内容がどう違うのかも詳しく説明してくれる。下宿生に関しても私たちの疑問にもざっくばらんに答えてくれる。

ここでも職員が介入することは一切ない。

高校二年生の彼は先輩として、一年生にも気を配り、話を進めていく。

高校二年生の彼は、最初から「生き物が好き」でこの高校を選んだ。しかし、一年生の二人は、「最初から生き物が好きでこの高校を選んだわけではなかった。」とのこと。

一人は、「家を出て寮生活をすることを親が決めていたので、この高校を選んだ」といい、もう一人は、「自転車が好きで、自然環境に恵まれたこの場所であれば、自転車で走るのも楽しいだろうなと思った。」とのことだった。

自然環境のことを学べる学科なので、その答えは意外だったが、彼らの話を聞くにつれ、「あぁ、そういうのも、アリなんだよなぁ。」という気持ちになった。

「下宿先の友達がとても楽しい人で、学校も毎日、楽しい。」

「今までは、自転車に乗る友達がいなかったけれど、此処へ来て、一緒に自転車で走る友達が出来たので、休みの日に自転車で出掛けられたりするのがいいです。」

「最初は生き物にもそんなに興味がなかったけれど、ここで学ぶうちにフィールドワークの面白さを感じたり、大変なこともあるけど、自分でやったらやっただけ自分の身に着くから、楽しいです。やらないと、できるようにならないってわかっているから、大変でもやります。」

「とにかく、毎日、楽しいです。」

生徒たちが、日々の暮らしのことを笑顔で話してくれる様子は、〈誰かに評価されるため〉でもなく、〈上辺だけのもの〉でもなく、彼らの日々の充実ぶりが感じられるものだった。

日々の課題やフィールドワーク授業後のまとめ、親元を離れての生活は、決して大変でないわけではないのだろうけれど、彼らは、それが「自分の為になる」ということを経験を通じて知っていて、先輩たちの姿がモデルとなって「今、頑張ればあんな風になっていけるんだ!」と確信しているのだ。

あぁ、いい時間を過ごしているんだなぁ、この子たちは。

部活動の話になったとき、「部員だけれど、参加しない人も数人います。まぁ、それもどうかなぁとも思うけど、でも、色々な人がいるし、それぞれ事情もあるし、まぁ、そんなこともあるかな、って。」と高校二年生の生徒が話してくれた。一年生の生徒たちも、それに同意するように微笑みながら頷く。

色々な人がいて、色々な事情がある。

この生徒たちがそう考えられるのか、この学校の空気がそういうものなのか。


きっと相互作用なのだろう。

そういった空気の中で過ごすことで、培われる感性であるのだろうし、元々彼らの中にあるそういった感性がこの環境で育まれる気がした。

誰かを貶めたり、責めたりするのではなく、「色々な人がいるよね。色々あるよね。」と共生している雰囲気。

長男が生き物が好きなので、今までにも生き物に関わる仕事をしている方に出会う機会が多くあった。そして、生き物に関わる方々は、「いろいろ」ということを受け入れている方が多いなと感じている。

生物は種類は同じでも、個体差はもちろん、地域性も違えば、食性も変わる。それを「自分と違うから」と思うのではなく、「あぁ、こんなに違うんだ」とただ見つめ、学ぶ姿勢を見せていただいてきた。

そこに良し悪しや、評価はない。

我が家の子どもたちが学校に行かない選択をしていることを知って、内心では驚いている方もいらしゃったのかもしれないが、明らかに嫌悪したり、腫れ物扱いをされたことは一度もない。

生き物に対する謙虚さを持ち合わせている。

私が出会った方々が、偶然、そのような方々であるだけなのかもしれないが、その姿から学ばせていただくことは多い。

この高校でも、それに近いものを感じた。

そして、感じたことがもうひとつ。

生徒たちは、この学校での日々で、自らの「内なる花」を見つける作業を日々しているのではないだろうかということ。

親元を離れ、
他者と生活を共にしながら、
自然に囲まれたこの環境に於いて、
自分の中に深く潜る。

強く意識しなくとも、自己を観察するような生活をしているのではないだろうか。

彼らの飾らない「そのまま」の姿が、ひとつひとつの花のように見えた。


「内なる花」とは、探すものではなく、「在る」ものなのだろう。

それは誰の中にも存在する、「花」。


それに如何に気が付き、目を向けるのか。


これから、彼らは自らの力で、どのようにその花を見つけ、咲かせていくのだろうか。


座談会の予定時刻を過ぎても、どの班も話が終わる様子がないと職員の方が笑いながら終わりを告げた。


私たちは、様々なことを共有してくれた生徒たちにお礼を伝え、部屋を後にする。


座談会の後は、希望者の個別面談だ。

我が家は長男の現在の学校への通い方など踏まえて、先生との個別面談を希望していた。

どのような事を伝え、どのような話が聴けるのか。



タイトルは、藤井風くんの「花」から。

今回の旅で、この曲が私の中に深く入り込んで来ました。この曲に何度も心を救われた気がします。彼は日本に産まれているけれど、英語で話している時の方が、解き放たれている様子に感じることがあります。彼の日本語、岡山の言葉も音楽に乗せると英語みたいだなと思います。面白い。

旅の記録は、もう少し続きます。次回は、個別面談のことを。
旅の話が思っていたよりも長くなっております。
暫しお付き合いいただければ、嬉しいです。

ヘッダー画像は、みんなのフォトギャラリー・Ryoko Yunokiさんの写真をお借りしました。ありがとうございます。


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