【バトン企画】#心に残るあのエピソードをあなたへ「〈ありがとう〉を選択しない意味。」
バトン企画・・・って?
時々、オススメのnoteで見かけてはいたが、「へぇ~そんな風に色々な方がバトンを渡されて記事を書くことがあるんだなぁ。」と遠くから他人事の様に眺めていた。
すると、何か通知がきている。
いつも、ドイツから素敵な写真と共にご自身の看護師として、女性として、母として妻としての様々な経験を、どの角度からも深みのある、そして美しい言葉を奏でているみきともさんからである。
なんと。
チェーンナーさんのリレー企画#心に残るあのエピソードをあなたへ
のバトンが、みきともさんからやってきたのである。
みきともさんの素敵な記事からバトンを受けてしまっていいのだろうかと若干、戸惑いつつ、これもご縁であり、来るべきタイミングなのだと自分に言い聞かせ、受け取らせていただくことにした。暫しお付き合いいただけたらと思う。
日々の中で起きる出来事は、どんなに些細な事柄であっても、それによって〈私〉が構築されているのだと思っている。
私の毎日は、ある意味「漫画みたいな毎日」である。
他人からみたら、「なんでそんな些細なこと?」と思えるようなことを観察し、考え、感じることで、私の日々は成り立っている。
これから書くことも、何気ない日常の中のひとつである。
「ありがとう」とは、魔法の言葉なのだろうか。
ありがとう、と言われて悪い気がする人など、いないかもしれない。
自分の行為や発言を認められた気持ちになることもあるだろう。
場合によっては、自分の存在を自体を認められたと感じる人もいるかもしれない。
世の中には、「〈ありがとう〉がすべてを変える」とか、「全てに〈ありがとう〉と感謝すれば人生が良くなる」とか、そういった文言も溢れている。
それが、間違っているとか、正しいとか、そういうことが言いたいのではない。
でも、時々思うのだ。
人は、〈ありがとう〉という言葉で誰かをコントロールしてはいないだろうか、と。
〈ありがとう〉だけでなく、人を褒める言葉を使う時には、叱ったり注意したりすること以上に、細心の注意が必要だと思っている。
実のところ、どちらも、フラットな関係性の中では本来必要ないとさえ思っている。褒める、叱る、という行為は上からの立場の物言いになりがちではないか?と懸念するからだ。
〈ありがとう〉でコントロールすることも、高圧的にコントロールすることも、手法が違うだけで、目指す場所は大差ない気がする。◯まじろうの世界の「褒めて伸ばす」方式と、軍隊の鍛え方は、結局のところ同じではないかと思っている。
「感謝されるからやる」「褒められるからやる」「やらないと認められないからやる」「怒られるからやる」「怒られないようにやる」「叱られたら怖いからやる」
自分の意思は、意志は、何処に・・・?
「ありがとう」を求めるひとたち。
〈ありがとう〉について考える時に、いつも思い出す出来事がある。
子どもたちが通う幼稚園は、家族の誰でも一緒に通うことができる幼稚園である。入園している子どもの兄姉弟妹、親はもちろん、おじいちゃん・おばあちゃんも。
父親が一緒に通う家庭も増えてきているが、やはりメインは母親である。
園の運営は園長とスタッフが行っているが、「みんなで暮らしやすい環境を創造していこう」というのが、園長の考えである。
幼稚園の中では、ちょっと特殊な幼稚園だと思う。
母親たちが主催している父母会もあるが、「母のやりたいこと」を応援してくれる側面もあり、母たちは様々な企画を行うことがある。
人形劇の劇団を呼びたい!
ダンスを披露したい!
バンド演奏をしたい!
などなど。
ここに書いたのは一部で、もっと驚く企画を沢山、間近で目にしてきた。
私には、幼稚園でやりたいことは、ひとつもない。
私の優先すべきことは、「子どもとの時間をここで過ごすこと」である。
それは、12年前に幼稚園に長男が入園した頃から変わっていない。
強いて言うなら、子どもと過ごし、その成長と日常の中から学ぶべきことを感じることが、私の幼稚園でやりたいことである。
それ以外に、やりたいことはないのだ。
「大人が自分の子ども時代にやれなかったことを今、取り戻そうとしている」
大人たちの姿は、そう私の目に映ることも多々ある。
それが良いとか、悪いとかではない。
そういう現状がある、というだけだ。
そして、企画が成功すると、周囲から「楽しかった」とか「やってくれてありがとう」などの声が寄せられる。
「園のために寄付を集めたい!」「園のために、掃除をしよう!」という方も居る。そこにも、「ありがとう」が集まる。
人とは、なかなか満足できない生き物なのだろうか。
「ありがとう」が集まらない場合には、他者に不満をぶつけがちになる。
たくさんの「ありがとう」が集まっても、もっと「ありがとう」を求める。
「もっと何かやりたい」が湧き上がり、「もっとありがとうと言われたい」「もっと凄いと言われたい」と欲求を募らせていく。
そのようなことを間近で見つめつつ、〈ありがとう〉は本当に魔法の言葉なのだろうかと疑問が膨らむことがある。
〈ありがとう〉と言われたい、感謝されたい、認められたい、という願望は、どこからくるのだろうか、と。
私は、基本的に、「◯◯のために」という大義名分が好きではない。
自分が、心底やりたくてやったことが、知らないうちに誰かの役にたっていたら、それでいいと思っている。時々、自分が過去にしたらしいことで、「あの時は本当に助けられたの。ありがとう。」と言われることがあるが、私の記憶に無いことが多々ある。そんなことあったっけ?というくらいのものである。
自分が本当にやりたくてやっていることであれば、そこに誰かの感謝の表明がなくても、満たされるのではないだろうか。
何かを行う時に大義名分は要らないと思うのだ。
「やりたいから、やってみた。」に対して、「楽しかった!」「ありがとう!」などは〈オマケ〉としてついてくるくらいのもの、と私は認識している。
私の母親の常套句は「もう二度とやってあげないからね!」だった。それは、母の中で「やりたいからやる」ではなく、「あなた達のためにやってあげているのに」という前提があったからだろう。お陰様で、「やってあげているのに」という姿勢も視線も言葉も、私の嫌悪するものとなった。
「ありがとう」が、ひとり歩きしていないか。
「ありがとう」が、人をコントロールしてはいないだろうか。
「ありがとう」と、本当に思っているのだろうか。
「ありがとう」って一体、なんなのだろう。
行事のあとに「ありがとう」が飛び交うと猛烈な違和感に襲われる私は、
ただの天の邪鬼なのだろうか。
「ユーモア」を持って生きるスタッフMさん。
幼稚園の男性スタッフMさん。彼の行動も発言も、いつもユーモアが根底にある。彼の行いに触れるたびに、「ユーモア」という言葉が「ヒューマン」から派生したものであることを思い出す。「大変なことも大変すぎたら笑ってしまうのもひとつかもしれない」と彼の姿勢から私は感じてきた気がする。
「人を楽しませたい」という彼の一貫した姿勢を私は尊敬している。
既に、「自分のやりたいこと」という枠が消し飛んだ「誰かのしあわせのため」「誰かを喜ばせたい」なのだと思う。その行動や発言に、他者に感謝を求める姿はない。
Mさんは、幼稚園では主任という役割を担っているが、偉そうな態度も発言も、私は一度も見聞きしたことがない。面白いことをふざけて言っているが、決して不用意に誰かを傷つけることないよう慎重さを感じる。そこには、人間に対する尊重と、深い考察があるのだ。そのような彼の姿勢から、「ユーモア=人間的な深み」を感じるのだと思う。
Mさんと長男。
この話は、後日、Mさんから聞いたものであり、私は直接その現場に立ち会っていない。
ある日、Mさんは、翌々日の家族レクレーション(運動会のような行事)の為に、草の広場を使いやすく整えようと草刈りをしていたそうだ。
その頃、小学3年生くらいだった長男は、今と同じように学校に行かない選択をしており、二男と一緒に毎日、幼稚園に通い、虫捕りをしていた。
午後2時を過ぎると子どもたちの大半が、園バスで帰宅する。
車で登園している家族は、ちらほら残って遊んでいる。
Mさんは、ひとりで草の広場を草刈りし、刈った草を集めて沢に運ぶ作業をしていた。すると、何処からともなく、虫捕り網を持った長男が現れ、Mさんの隣で黙ったまま、一緒に草を運ぶ作業を始めたというのだ。
刈り取った草の量は、ひとりで運んで捨てるには多く、Mさんは黙々と作業をしていたのだろう。
長男がどんな気持ちでそこに加わったのか、わからないし、私はそれを彼に聞く必要もないと思った。彼が何を感じたのかということは、彼だけの大事なものであるような気がしたからだ。
Mさんと長男は、特に言葉を交わすことなく、1時間ほど一緒に作業し、草を運び終えた時には、ふたりとも汗だくになっていたらしい。
Mさんは、作業を終え、長男に掛ける言葉を考えたという。
「手伝ってくれてありがとう・・・って言うものなんか違うなって思ったんだよね。そう言ったら、この作業は僕が主で、Kはそれを手伝う側、そうすると、なんだか僕が上の立場から言ってるみたいな感じがしちゃうなって。
でも、そういうことではないなぁ、こういう時って、なんて言葉を掛けたらいいんだろう、って思ったりして。結局、二人で、『終わったぜ~!お疲れ!イエーイ!』ってハイタッチしたんだよね。」
〈ありがとう〉を投げかける前に、瞬時にこれだけのことに想いを巡らせ、長男に関わってくれたMさん。
この話を聞いて、〈ありがとう〉の意味をさらに考えた。
私は、〈ありがとう〉を上からの立場で伝えていないだろうか。
〈ありがとう〉も使い方によっては、上からの物言い、マウンティングにもなり得るとMさんは考えていたのではないかと思う。
そして、Mさんは、長男の隣にいることを選んだのだと思う。
隣にいて、見える景色を一緒に眺めよう、と。
Mさんから、この話を聞いた時、「有り難い」と思った。
相手が子どもだからという視点ではなく、いつでも「ひとりの人」として、フラットに、誠実に在りたいと思ってくれている人の存在が、「有り難い」。
ありがとうとは、「有り難い」こと。
その様に有ることは簡単ではないことなのだ。
誠実に、あなたに〈ありがとう〉を伝えたい。
Mさんと長男のエピソードを聞いてから、私は、〈ありがとう〉の意味を考え続けている。
未だに答えは出ていない。
ただ、〈ありがとう〉を心から、伝えたい。
上も下もなく、フラットに。
誰かをコントロールしたり、傷つけることのない〈ありがとう〉を。
道具としての〈ありがとう〉ではなく、
そう思ったから、そう感じたから、そう、伝えたいから。
あなたに〈ありがとう〉を。
〈ありがとう〉という言葉は、コミュニケーションを円滑にする、重要であり、便利な言葉だと思います。
言われないより、言われたら嬉しいし、言った方もあたたかい気持ちになる。
だからこそ、「ありがとう」を大事にしたい。
「とりあえず、ありがとうと言えばいい」「ありがとうと感謝すれば運気があがるから」という、〈ありがとう〉も存在している気がします。
ありがとうと言わないよりはいい。
感謝しないより、したほうがいい。
だとしたら、私はどんな〈ありがとう〉を届けられるのだろう。
一方、言葉でない感謝やありがとうも存在していると思うのです。
Mさんが長男とハイタッチしたことは、体験を共有した喜び。
言葉にするのが難しいこともある。
言葉にしてしまったら、感じていたことが、薄まってしまうこともある。
もっと私が伝えたい〈ありがとう〉があるのに、と。
〈ありがとう〉に含まれるものは、きっと私が思うより、もっと深みのある、多くを含んだ言葉なのではないでしょうか。
〈有り難い〉日常の中で、〈ありがとう〉の意味を、これからも考え感じ続けたいと思っています。
チェーンナーさん、素敵な企画をありがとうございました。このような企画に参加させていただき、自分の中の体験をもう一度掘り起こし、拙いながらも、言葉にすることに挑戦することができました。
心からの〈ありがとう〉がチェーンナーさんに届けば嬉しいです。
さてさて・・・次のバトンをお渡ししたいのは・・・
なちこさん🦙です。
美味しいものを美味しそうにモリモリ食べる、なちこさん。
日々を笑いで彩る、なちこさん。
筋肉を愛する、なちこさん。
穏やかでありながら、その中に繊細な優しさを感じる、なちこさん。
きっと、なちこさんなら、心に残るエピソードを沢山お持ちのはず!
と勝手に妄想し、バトンをお渡しさせていただきたいと思います。
なちこさん、突然ですが、なちこさんのエピソードをもっと読みたいのです。私が。どうぞよろしくお願い致します❤
そして、もうお一方。
Kobayashi muさん🍀
いつだって、お子さんたちを優しく包み込むようなmuさん。
書いてくださるコメントもあたたかくて、ふんわりして、可愛らしいお花を見つけたみたいな気持ちになります。
素敵な短歌や詩も書かれていて、その言葉のチョイスにみずみずしい感性が溢れていて、ジーン・・・としてしまうのです。
既に、心に残るエピソードを沢山綴られていらしゃると思うのですが、
muさんは、もっとエピソードをお持ちのはず・・・!と勝手に選ばせていただきました。
突然バトンを渡され、驚かれるかもしれませんが、お二人の記事を心待ちにしたいと思います♪どうぞよろしくお願いします😊
★企画について~バトンのつなぎ方~★
※期間は 9月30日(金)まで です
1.記事を書いてほしいとnoterさんから指名=バトンが届きます。
2.バトンが回ってきたら「心に残るあのエピソードをあなたへ」の記事を書いてください。
3.noteを書いたら、次にバトンを渡すnoterさんを指名してください。指名したことがわかるように、指名するnoterさんの一番最新のnoteをシェアしてください。
※指名するnoterさんは、最大2名まで。
あまり多いとご負担になりますので、1名か2名でご指名ください。
4.チェーンナーさんの下記の記事を埋め込んでください。マガジンに追加してくださいます。
★バトンリレーに参加しないときは・・・
1.バトンをもらったけど、noteを書きたくない、という方は、バトンをチェーンナーさんにお返しください。
方法①「チェーンナーさんに返します」というnoteを書いて、上記の記事を埋め込んでください。チェーンナーさんが「心に残るあのエピソードをあなたへ」を書いてくださいます。
方法②上記のチェーンナーさんの記事のコメントで「バトンを返します」とお書きください。