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学校に行かないという選択。「先生で在るまえに、ひとりの人間として。」

一昨日のnoteに我が家の長男が、卒業式に行かないという選択に至るまでを、書かせていただいた。

こちらを書き終え、投稿した後、学校から電話がかかってきた。電話に気が付かず、折り返してみると、担任のH先生からの電話であった。

挨拶を交わし、先生はまず、「Kさんが文集の為に書いた〈セッケイカワゲラ〉の文章の文字数が多かったのですが、とても面白かったので、なんとかそのままいけるようにしました。」と話をはじめた。その後、「あのですね、」と言葉をつなげたので、何が困ったことがあったのかな?と推測しながら耳を傾けた。

「文集に載せる自己紹介を書いてもらったんですが、お寿司屋さんをイメージしたデザインで、とてもおもしろかったです。それで、その中の〈嫌いな食べ物〉というところに、〈サイゼリヤのイカスミスパゲティー〉と書かれていて、それが、文集を手に取る人の中に、サイゼリヤの関係者もいないとは限らないので、修正したほうがいいのでは、という話になって・・・」


家族で、イタリアンレストランのチェーン店である〈サイゼリヤ〉に行った時のことである。

随分と前の事なので、誰がその〈イカスミスパゲティー〉を注文したのか、記憶に定かでない。しかし、それを食べた長男が、イカスミスパゲティーが口に合わず、「もう二度と食べない!」と腹を立てたのだ。イカスミの生臭さが口に合わなかったのか、その他の要因があったのか、ちょっとわからない。

「たまたま、サイゼリヤのイカスミスパゲティーが口に合わなかっただけで、他のお店でも試してみたらいいんじゃない?」と私と夫に言われ、「そうだね、そうかもしれない。」と会話することもあった。

とりあえず、現時点では、その記憶が払拭されておらず、彼の中では、嫌いな食べ物として、〈サイゼリヤのイカスミスパゲティー〉が認定されてしまっている、ということを、先生に簡単にお伝えした。


「なるほど。だとすると、Kさんとしては、〈サイゼリヤ〉のイカスミスパゲティーが嫌いだ、と言ってるわけだから、それを消してしまったら、きっと違うな、と思いますよね・・・。」とH先生。

・・・いい人だなぁ。先生。私はH先生とやりとりしながら、しみじみ思った。

文集は学校の外にも出るものなので、校長や教頭もチェックし、添削が入るようで、この〈サイゼリヤ〉という固有名詞についても、上からの指示が入った様子が伺えた。

「今、本人が、外に居るので、この経緯を説明して、どうしたいか確認してから折り返しご連絡させていただいてもよろしいですか?」と、一度電話を切り、外で雪遊びしている長男の元へ向かった。

「え?何がダメなの?」

あからさまに不快な気持ちを表明する長男。

・・・ですよね。

先生とのやりとりを説明し、勝手に変えることはあなたの意志を尊重しないことになるからと連絡をくれたこと、きっと〈イカスミスパゲティー〉が嫌いなのではなく、特定の店のものが嫌いだと思っていることも、先生は理解しているよ、と伝えた。

「じゃ、その部分、全部消して。自分は〈サイゼリヤ〉のイカスミスパゲティーが嫌いなだけで、他のイカスミスパゲティーが嫌いなわけじゃないから、店名が入らないなら、意味がないから。」

ハイ、そういうと思っていました。

「でもさ、その部分が空欄になっちゃうと、バランス悪くなるから、困ると思うよ。」

原稿を一度、返してもらい、どうするか検討しようというところに納まり、もう一度学校に電話をかけ直した。

「ですよねぇ・・・・」

先生に長男とのやり取りを説明すると、先生は電話の向こうで苦笑いしているであろう様子が伺えた。

「Kさんにしたら、〈サイゼリヤ〉という説明がなくては、自分の言いたいことが伝わらないんですもんね。何かいい方法ないですかねぇ・・・」

このような状況になった場合、「書き換えるか、消してください。」と言われることは、少なくないだろう。

でも、先生はそうは言わなかった。先生は、子どもの気持ちを最大限尊重することを考えてくれているのだ。

「まぁ、今の世の中、何が原因で苦情が寄せられるかとかって、わからないですからね。上の方がそれに慎重になるのも理解はしています。う~ん、何かないですかね・・・」と私も考える。


「よく、〈これは、個人的な感想です〉とか添えられたりしますよね。そういうのは、どうでしょうね?」と先生。

なるほど。

「〇〇で伏せたらいいですかね?あとは、某イタリアンレストランとか?そういうのだったらどうでしょうね。とある店の、とか。」と私。

先生とアイディアを出し合う。すると、隣で電話を聞いていた長男が、「面倒くさいから、全部消せばいいんじゃない。」と苛立ちを顕にしており、その声は電話の向こうの先生にも聴こえたようだった。

やれやれ。

「先生、間もなく、夫が仕事の帰りに学校を通りかかるので、原稿を受け取って、本人ともう一度話して考えてみます。印刷はいつですか?」とたずねると、「木曜に印刷しようと思っています。」

今日は火曜日。書き直して明日、水曜には提出しなくてはならない。

「あの、今日は、間もなく学校を出ますので、私が届けましょうか。」

我が家の前の道は、溶けかけた雪でグチャグチャである。車がスタックしてしまう可能性もあるので、そのことを伝えた。

「大丈夫です!私の車は、ハマらない車なので!」

先生の車は車高が高いということで、原稿を届けてくれる運びとなったのだった。

30分程して、先生が訪れてくれた。手にしたクリアファイルには、沢山の原稿が入っているようだった。

「こんばんは、Kさん、元気だった?」と先生。「うん、元気だよ。」と嬉しそうだけれど、そっけない態度の長男。

先生は、原稿を取り出し、

「Kさんはどうしたいかな?サイゼリヤって名前を出したかったんだよねぇ。」

「うん、でも、もういいよ。〇〇でも、某でも。」と長男。

「サ○○○ヤ、にしたらどうだろう?」と先生。

・・・先生、バレバレです。

「個人的な感想です、でもいいとおもうんですけどねぇ。」と先生。
そんなやり取りをしていると、長男が、「とある店のイカスミスパゲティーでいいよ。」と書き直した。

他の子どもの原稿にも沢山の付箋がついており、修正作業に子どもたちも先生も追われている様子が伺えた。長男の誤字脱字もチェックが入っており、「それだけはもう直させてもらいました。」と先生。「たくさんチェックが入って大変ですねぇ。」と言うと、「あはは。そうなんです。」と先生。

校長と教頭に挟まれ、保護者にも連絡しなくてはならず、子ども本人も一筋縄ではいかない。考えただけでも、ため息をつきたくなるのではないだろうか。

しかし、H先生は、上の指示と子どもたちの間に挟まれて尚、どこまで子どもたちを尊重できるかを、先生自身が日々模索しているのだと感じた。

世の中に出すものとして、企業や公的な文章が、闇雲に誰かを傷つけることがないようにと配慮されることは、とても大事なことだと思う。もちろん、このnoteもその要素を十分に含んでいると思う。

しかし、子どもたちが楽しんで自由に書き記すものに対して、大人があまりにも目くじらを立てると、子どもたちは表現を楽しめないようになるな、と思うこともある。

あからさまに個人を攻撃・批判したり、誰かの人としての尊厳を侵害するようなものでなければ、「食べ物の好き嫌い」などは、先生もおっしゃっていたように、「個人的な感想」だと思うのだ。

お店からしても、「美味しくない」と言われたら、もしかしたら、「じゃあ、もっと美味しくする為に改善してみよう」という話にならないとも限らない。

長男にとっては、「なんでそんなことを書き直ししなくちゃならないんだ」と感じられた事柄であろうが、「自分の書いたことをそう感じる人がいるかもしれないという状況がある」ということを知る機会になった。私にとっても、子どもたちの表現の尊重と大人考える社会での善し悪しのようなことの狭間を改めて経験した気がする。

最大限、子どもたちの在り方を尊重したい。

大人の考える善し悪しがすべてはないから。

もっと、お互い心地よく過ごせる在り方は、必ず存在する。

H先生が、一方的に「修正して欲しい」と言わなかったこと。

一緒に「いい方法はないですかねぇ・・・」と考えてくれたこと。

公的な機関に所属していて、このことが簡単でないことを、かつて同じような立場で仕事をしていた私に想像することは難しくない。

このような状況になり、個人的に思うことは、「もっと大人が子どもたちをおおらかに見守ってもらえたらありがたい。」ということである。

大人として、間違えない教育、失敗しないやり方を教えるのではなくて、何か起きた時に、それをどうしていくかを一緒に考えることができる存在でありたいと思うのだ。

私は、大人になった今も、間違え、失敗している。誰かを知らないうちに傷つけていることもあるかもしれない。それをちょっとずつ。ちょっとずつ、軌道修正して生きている。

人生経験がまだ少ない子どもたちであれば、その数が多いのは当然だし、それは奪ってはならない「経験」だ。失敗でも間違えでもなく、「経験」だ。

長男の貴重な「経験」を奪うこと無く、尊重してくださったH先生には、感謝するばかりである。

「あ、沖縄に行ったら、H先生にもお土産買ってこよう。先生、ちんすこう、好きかな。」

長男は、H先生のことが、好きなのだ。

「担任の先生」だからではなく、「ひとりの人として」。


そして、あくまでも、サイゼリヤのイカスミスパゲティーが嫌いなのは、長男の個人的な感想である。


長男の「お寿司屋さん風に自己紹介」。個人的な好みのオンパレードである。






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