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漫画みたいな毎日。「時々現れる、私の中の別のワタシ。」

振り返ってみると、時々そういったことがあった。私の中の「別のワタシ」が出現することが。

最初に言っておくと、これは、霊的な話でも、スピリチュアルな話でも、怖い話でも、なんでもない。

多くの人が存在している社会の中で生活していると、時々、〈事故〉に会うことがある。〈事故〉とは言っても、これから書くのは、交通事故などの事故の話ではない。

謎の言いがかりであったり、苦情めいたものを言われたり。すぐに理解の及ばない、時に理不尽さを感じる、人間関係の中で起きる事柄である。

私の中では、これらを〈事故扱い〉としている。

身に覚えがあることであれば、あぁ、そのことか、と思わないでもないし、何かしらの誤解から生じたのかな、と想像するのだが、〈事故〉は、全く予想もしていない別の角度からやってくるから、〈事故〉なのだと思う。

「おぉ、これは痛い・・」
「後ろから自転車に突っ込まれた感じ」
「車で轢かれちゃった」
「あまりに突然で呆然自失・・・」

など、その衝撃は、相手によっても、場合によっても、違う。

振り返れば、〈別のワタシ〉は、保育士として働いていた頃にも度々現れた。保護者の方から子どもに関わる心配や、保育環境、保育士の対応、保護者同士のトラブル・・・などについて、高まりながらも行き場を失ってしまった感情も含めて、話されることがある。クレームと言われるような内容もそこには含まれる。

そして、その対応をする時、妙に冷静な自分がいるのだ。

〈あ、自分の感情は、ちょっと別の所に置いておきますね。〉

そういう感覚が近いだろうか。

そのような時、〈相手は、何を言わんとしているのか?〉と状況を把握しようとすることに集中する。そこに集中し、話をしていると、自分の感情が一切表に出ない。何も感じていないわけではないと思うのだが、その時は必要以上に感情的にならない。相手がどんなに感情を高ぶらせていても、だ。

いや、感情を高ぶらせているからこそ、かもしれない。

自分でも不思議な感覚になるときがある。まるで、自分ではない誰かが、対応しているのかな?と思うような感覚。感情を伴った自分は、身体を抜け出て、上の方からその様子を静観している感じがするのだ。

「このひとは、何故こんなに怒っているのだろう?」

「何故、こんなに喚き散らしているのだろう?」

「何を言わんとしているのだろう?」

自分の育ちの中で、〈感情的になっている人に、感情的に何かを言っても無駄。もっと大変なことになる。〉ということを身をもって知っているから、無意識に自分を守る術としてのものなのかもしれない。

つい先日も、この体験をした。
言われた事柄は、まったく身に覚えがないことだった。

誰も見ていない、確証もないことを、初めから疑って言ってくること自体が不快でないといったら嘘になるが、相手の方と話をしていると、そういった感情がまったく出てこないし、言葉にその感情を乗せることも一切ない。


話を聞き、淡々と話す。
他にすべきことが見つからないから。

「うちの子どもたちがやったって証拠でもあるんですか?!」と言ったら、それはそれで、その場の話は終わるかもしれない。

でも、そういったことは、面倒が面倒を呼ぶであろうし、好きではない。

美しくない。

やったとか、やらないとか、誰がやったとか、そういったことは問題ではないから。そして、その場は終わったとしても、関係性は続けなければならない場合もある。

相手が感情的になればなるほど、どんどん冷静になっていく。感情的な親に育てられた子どもの感想である。誰かに先に泣かれたら、なんだか泣けないことにも似ているかもしれない。

何にしても、考えるべきは、「このひとは、何を気にして、何が言いたくて、話をしに来たのか。」である。

知らないうちに私の意識はそこに集中している。相手の言わんとしていることを知った上で、対応する。必要以上に謙ることもなく、謝ることもない。
淡々と対応するだけ。

何にしても、〈別のワタシ〉の出現によって、何事もなかったかのように帰っていただけた。念のため、子どもたちに、「このようなことがあったらしいんだけど、あなた達は何か知ってる?」と訪ねたところ・・・

「は?」
「なにそれ?疑われてんの?」
「そんなことする程、ヒマじゃないんだよ。」
「気分悪っ。」

このような回答が帰ってきた。
こちらもこちらで、〈別のワタシ〉の声だな・・・・と、苦笑いしつつ思う。

夫に〈私の中の別のワタシ〉のことを話すと、「守護霊が守ってくれて、出てくるんじゃない?」「ハイヤーセルフだ!」と笑っている。ハイヤーセルフってなんですか。私もだが、夫は、全くスピリチュアルに傾倒していない。純粋な日本人で、イタリア人気質なだけである。

後日、再び玄関のチャイムがなり、原因がわかったと謝罪に来られた。簡単に言えば、我が家の子どもたちは無関係・無罪放免。

その話を聞いた長男が一言。

「・・・最初から、もっと考えて言えばいいのに。」

私の心の声が長男の口からダダ漏れている・・・。

う~ん、やっぱり、守護霊なのかもしれない。もしくは、簡易的な幽体離脱かもしれない。自由に幽体離脱して、状況を冷静に観察し、事故対応してくれる別のワタシが、事故にあったときにも、自分や家族を結果的に守ってくれているのは確かだ。

ハイヤーセルフでも、守護霊でも、幽体離脱でも、ま、いっか。

なんにせよ、「どなたか存じませんが、日々、私達を守っていただき、ありがとうございます。」と感謝したいと思う。


ヘッダーはみんなのフォトギャラリー・ニシキレオさんのイラストをお借りしました♪ありがとうございます♪



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