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『レキシントンの幽霊』村上春樹 「異世界に迷いこめる」

このnoteは、本の内容をまだその本を読んでない人に対してカッコよく語っている設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。

『レキシントンの幽霊』村上春樹

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【村上春樹の作品を語る上でのポイント】

①「春樹」と呼ぶ

②最近の長編作品を批判する

③自分を主人公へ寄せる

の3点です。

①に関して、どの分野でも通の人は名称を省略して呼びます。文学でもしかり。「春樹」と呼び捨てで語ることで、文学青年感1割り増しです。

②に関して、村上作品は初期は比較的短編が多く、いわゆるハルキストの中には、一定数短編至上主義者が存在します。そこに乗るとかっこいいです。

③作品に共通して、主人公は「聡明でお洒落で達観しててどこか憂鬱で、女にモテる」という特徴を持っています。その主人公に自分がどことなく似ていると認めさせることで、かっこいい人間であることと同義になります。


○以下会話

■幽霊のような小説

 「おばけが出てくる小説か。そうだな、そしたら村上春樹の『レキシントンの幽霊』がオススメかな。この小説は、村上春樹が実際に体験したことを元にして書いた短編小説で、おそらく唯一の村上春樹本人が主人公の小説なんじゃないかな。文章は分かりやすくて、書いてることは理解できるんだけど、果たして何を言いたいのかは分かりにくい不思議な小説なんだ。高校の現代文の教科書にも載ってるよ。

「これは数年前に実際に起こったことである。事情があって、人物の名前だけは変えたけれど、それ以外は事実だ。」という書き出しから始まっているから、半分エッセイのようで、それでも小説のような現実離れの世界が描かれていて、それこそ幽霊のように掴めない作品なんだよ。

■ケイシーの屋敷にでた幽霊

この小説は、著者の村上春樹(「僕」)がマサチューセッツ州ケンブリッジで暮らしていたときに、ボストン郊外にあるレキシントンに住む友人の家で一週間の留守番をするところから始まるんだ。その友人はケイシーと言って、彼の父親が遺した古い屋敷に住んでいたんだ。

ケイシーがイギリスに行ってる間、犬のマイルズに餌をあげるという条件で、家の中の食べ物とワインを嗜み、ケイシーの父親が遺した見事なジャズレコードのコレクションを聞くことができたんだ。悪い話ではないと思い、「僕」は残っていた執筆の仕事をしながら留守番をすることにしたんだよ。

そして留守番の初日、11時過ぎに眠くなり、2階にある客用の寝室で寝たんだ。

夜中の1時15分に、下の階から音が聞こえてふと目が覚めるんだ。誰かが下にいる。廊下に出て耳をすますと、グラスが触れ合い踊っている、パーティーをしているような音が聞こえてくるんだ。「僕」は下の階に降りて、音がする居間の前の扉に立ち尽くしてこの音は一体なんなのか考えたんだ。ポケットの中にあるクォーター硬貨を手の中でくるくる回していたら、ふと「あれは幽霊なんだ」と感じとったんだ。

最初は誰かが外から入ってきたのかと考えたけれど、どこからも入っては来ていなくて、最初からそこにいたんだって気づいたんだ。玄関ホールのベンチに座り直し、じっと怖さと怖さを超えた何かを感じながら大きく深呼吸をしたんだ。身体に正常な感覚が戻ってきたら、ふと立ち上がって、来た時と同じようにひっそりと部屋に戻ったんだ。結局その音は延々と聞こえていたからベッドのヘッドボードにもたれて、パーティーの物音に耳を澄ませていたんだ。そしていつの間にか眠っていたんだよ。

朝になって、下に降り、居間に入ると、そこは昨日寝る前と同じ状態で何事もなかったかようだったんだ。そこから残りの日は特に変わったことは起きず、ひっそりとしたレキシントンの夜が繰り返されたんだ。

一週間経って、ケイシーが帰ってきても初日のことは言わず「とても静かで、仕事がよくはかどった」とだけ言って、別れたんだ。

それから半年ほど経って、またケイシーと会うと、ひどくやつれて10歳ほど老けたように見えたんだ。そこでケイシーは母親を早くに亡くした話、そして父親を亡くした話を語ってくれたんだ。

父親よりも10歳以上若い母親は、ある年の秋の初めにヨットの事故で他界してしまい、まさかそんなことが起きるとは予測していなかった父親は、母親の葬儀の後三週間もの間眠り続けたらしんだ。

膨張して言っているんじゃないよ。文字どおり、ずっと眠っていたんだ。たまに思い出したようにベッドからふらふらと出てきて、何も言わずに水を飲み、何かを少しだけしるしみたいに口にした。<中略>でもそれもほんの僅かの時間で、あとはまた布団をかぶって眠った。

そして今から15年前に父親が死んだ時も、かつて父親がそうしたように、ケイシーも二週間の間眠り続けたんだ。そして「ひとつだけ言えることがある」とケイシーは顔をあげて「僕が今ここで死んでも、世界中の誰も、僕のためにそんな深く眠ってはくれない」と言ってこの物語は終わるんだ。不思議な話でしょ。

■眠ることで異世界に通じる

この小説のテーマは、「異世界との繋がり」なんだ。数ある村上春樹作品の中には、主人公が今現実に生きている世界から別の異世界に迷い込むことが多々あるんだよ。その迷い込む異世界は、あの世だったり、パラレルワールドだったり、小説ごとに少しずつ違うんだ。だけど一貫してこの現実世界とは異なる世界が、現実世界と同じくらいの重要性を持って存在しているという村上春樹自身の価値観が読み取れるんだよ。『レキシントンの幽霊』でもこの異世界の存在が描かれているんだ。

そしてこの小説では「眠ること」も重要な役割を持っているんだ。小説の後半のケイシーの語りでは、「母の葬儀が終わってから三週間のあいだ、父は眠り続けた」と、父が母の死後三週間もの間眠り続けたことを明かしているんだ。

さらに、その父親が亡くなった時も「僕もまた、母が亡くなったときの父とまったく同じように、ベッドに入っていつまでもこんこんと眠り続けたんだ。<中略>たぶんぜんぶで二週間くらいだったと思う。」と語っているんだよ。そこでは「そのときには、眠りの世界が僕にとってのほんとうの世界で、現実の世界はむなしい仮初めの世界に過ぎなかった」とも発言しているんだ。

そしてケイシーは最後には「僕が今ここで死んでも、世界中の誰も、僕のためにそんなに深く眠ってはくれない」と漏らしているんだよ。

ここから考えられることは、異世界はあの世を指していて、眠ることは異世界に行くためのトンネルのような役割を果たしている、ということなんだ。母親が亡くなった時の父親、父親が亡くなった時のケイシーは、それぞれ眠ることで異世界に訪れて母親、父親の魂を弔っていたんだろうね。そしてケイシー自身が死んだ時、ケイシーのために深く眠って異世界に来てくれる人はいないだろうと悲しんでいるんだ。

村上春樹がケイシーの家で幽霊を見たのも、眠ってる状態から起きた時だよね。父親の記録が残っているケイシーの家で眠ったことで、ケイシーの父親とケイシー自身と同じように、異世界へと迷い込んでしまって、幽霊という形をとった異世界の人たちに出会ったんだ。

ただケイシー達と村上春樹が違うのはそこで扉を開けたかどうかなんだよ。ケイシー達は幽霊達の声につられて扉を開けて異世界に足を踏み入れてそこにい続けたから二週間も三週間も眠ったんだ。一方村上春樹は、身内が亡くなった心当たりもなかったから、異世界に引かれずに、扉の前で踏みとどまったんだよ。一度断ったから、2日目以降は異世界に繋がることはなかったんだ。

実は村上春樹の作品には「眠る」という行為がよく出てくるんだ。もちろん眠る行為自体は他の人の小説にも出てくるんだけど、例えば既に処女作の『風の歌を聴け』で三日三晩眠り続ける少年が出てくるし、『眠り』というタイトルの短編小説も書いてるほどなんだ。村上春樹は、眠る行為にただ目を瞑って休息する以上の特別な感覚を持っているんだろうね。あくまで僕の解釈だけどね。

■魅力的な体の動きの描写

この小説の魅力は、体の動きの描写なんだ。天下の村上春樹だから描写が上手なのは当然なんだけど、『レキシントンの幽霊』は実際に彼が体験したことを元に書かれていることもあってか、他の小説よりも描写がリアルなんだよね。

例えばケイシーの家で留守番中、夜中の1時に目を覚ましたとき。

目が覚めたとき、空白の中にいた。自分がどこにいるのかわからなかった。僕はしばらくのあいだ、しなびた野菜みたいに無感覚だった。暗い戸棚の奥に長いあいだ置き忘れられていた野菜みたいに。

これすごい上手でしょ。自分の家ではない、どこか別の場所で目が覚めた時のどこにいるのか一瞬わからなくなる感覚を、暗い戸棚の奥に長いあいだ置き忘れられた野菜に見立てているんだよ。それによって、その孤立さと無感覚さを表現しているんだ。ちゃんと朝に起きていたら、もう少し晴れやかな描写が適切だと思うけど、夜中にふと目が覚めてしまった場面だから、この少し麻痺してる感覚が絶妙だよね。

その後、読書用のランプをつけて、なんで急に目が覚めてしまったのかぼーっと考えるとき。

両手の手のひらで顔を強くこすり、一度大きく息を吸い込み、明るくなった部屋の中を見回した。壁を点検し、カーペットを眺め、高い天井を見上げた。それから床にこぼれた豆を集めるみたいに、意識をひとつひとつ拾い上げて、自分の体を現実に馴染ませた。そのあとでようやく、それに気がついた。音だ。

こうして一階から音がして目が覚めたことに気がつくんだ。もし僕が同じ状況で夜中に目が覚めても、これと全く同じ行動をしていると思えるくらいにリアルだよ。

自分の家で夜中に目が覚めても、何事もなかったかのようにすぐにまた寝てしまうよね。でも人の家で夜中に目が覚めたら、そこには目が覚めた何か理由がある訳でぼんやりと目が覚めた理由を考えるよね。「あれ、なんで目覚めたんだろう?」ってひとつひとつ意識を拾い上げてその理由を探る感じが伝わる。確かにそういうとき、床にこぼれた豆を拾ってるわ。

目を覚ました村上春樹は一階に降りて、リビングの扉の隙間から聞こえてくる声から、その正体が幽霊だと確信するんだ。そこの描写も見事なんだよ。

両腕の肌がざらりと冷えた。頭の中で何かが大きく揺れるような感触があった。まるでまわりの位相がずれるみたいに気圧が変化し、ぶううんという軽い耳鳴りがした。

ぞくっとして動揺してるのが伝わるよね。鳥肌が出ることを「肌がざらりと冷えた」って表現するのも素晴らしい。今度から鳥肌が出た時は、「ざらりと冷えたわ」って言おうかな。

この作品にはないけど、村上春樹の作品には性描写がたくさん出てくるよね。村上春樹が書く性描写は、息遣いがリアルに伝わってくるんだけど、それはこういった身体感覚の描写が上手だからなんだろうね。

少し分かりにくい小説だけど、村上春樹らしい小説だから是非読んでみて。」



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