漫画みたいな毎日。「神無月から霜月へ。今年の神様会議について。」
昨夜、何がきっかけだったか、布団に入って暗くなった寝室で、〈和風月名〉について子どもたちと盛り上がりました。
私は、この月の異名というのが、なかなか好きです。漢字の美しさと、呼び名の響きが日本の風土、四季に合っているように思える。そして、そこから、昔の暮らし方を想像することが面白いのです。
自分が子どもの頃、学校でこの和風月名を習ったと記憶しているのですが、自分の誕生月である10月の呼び名は、「神無月」。え?!10月って神様が留守なの?!と驚きました。そして、出雲大社で会議って?八百万の神様って?と興味深いことが多々ありました。
神無月は、旧暦の10月なので、今でいう11月が神無月にあたるようですね。
私は、特定の宗教を信仰していないのですが、神様については、「八百万の神々」という考え方がしっくりくる部分があります。
子どもの頃に、母方の祖母が傍にいて、「お米にも神様が宿ってる」とか、そういった話を身近に育ったこともあるのかもしれません。
すべてのものには、神様が宿っている。
そう考えると、荒波に揉まれてみくちゃになったような気持ちの時にも、ちょっとささくれだった苛立った時にも、なんとなく心が静かになるような感じがする。
信じる、信じないという観点とは離れた所で、すべてのものに神様が宿っている、という考え方は、今、大人になった私にとっては、「すべての人の中にも、それぞれの神様がいる。」という考え方に繋がっている気がします。
そして、「自分の中の神様みたいなものに、背かないこと」が、自分の様々な基準になっている部分があります。
「神様」とは、私の中では、「直感」であったり、「誠実さ」であったり、「尊重」であったりするのですが、その人が大事にしている、揺るがないものなのかなと捉えています。
神様とは、特定の存在や象徴ではなく、〈私の中に存在している〉。
そして、〈誰の中にも存在している〉と思っているので、自分以外の誰かの中に存在しているであろう神様の存在を尊重していけたらいいなと思うのです。
相手の中の神様を尊重することは、自分と違う物事や、考え方を尊重すること。
子どもたちの中には、どんな神様が宿っているのかなと、興味深く日々感じながら暮らしています。きっと「何を大事にするか」はそれぞれ違うから。
「自分の中の神様ってどんな風貌なんだろう?」と頭の中でイラスト化してみることがあるのですが、これがなかなか面白い。今度、絵にしてみようかな。きっと、こういうのは二男が得意だと思うから、依頼してみよう。
布団の中で、子どもたちと11月は霜月とも呼ばれること、10月は神無月と言われいるという話をしていて、「神無月には、出雲に神様が集合して、会議が行われるらしいよ。だから、出雲では、神在月とも言われるんだって。」と私が言うと、
長男が、「今年はさ、オンライン会議だったんじゃない?パソコンの前でさ、コーヒー片手に。」と。
神様オンライン会議か!
画を想像すると、なんだか面白い。
「ちょっと、うちさ、ネット環境が悪いんだよね。」「ZOOMってどうやるの?」「やっぱりさ、年に1回くらいは、顔合わせて話したいよね。」「お互い、いろいろあるけどさ、世の中がよくなるように、できることしないとね。」「あ、あの案件、どんな感じ?」「この前、行ったあの神社、いい感じだったんだよね。」
このご時世で、神様もいろいろ大変なんだろうか。
私の中の神様は、今日も元気であります。
学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!