- 運営しているクリエイター
記事一覧
君のそれを見せてほしい。
長かったホテル療養も明日の朝で終了。
やらなきゃいけないこともホテルの外に置いてきてしまったりしたので、とりあえず、VOD(なんと無料)を見まくろう!と決意。
とはいえ、カーアクションのすごいものと他数本を見ただけで力尽きました。
でも、まぁ本当にすごいなぁ。
一人で作ってるんならまだしも、共同作業としてあれを作り上げるのって、どうやってイメージの伝達と共有をしてるんだろうか。
推測
どんな時も「光」を探す
日付入りの写真を撮っている。
世の中がコロナ禍になってから、公私共に写真が撮れていなかった自分に対して、とてつもない焦りを感じつつ、なかなか思考のループから抜け出せないでいた。
考えて考えて考えた結果、理由はないけど、「日付入りの写真」を撮ろうと思った。
そして毎日を写真に収めていく生活が始まって約1ヶ月、まさかのホテル療養。
「・・・また写真が撮れないじゃないか。」という不安は、不思
こんな時こそ、「知足」
noteの更新頻度が少なくなったのも、書く時間がなくなったって言うより、書くことが思いつかなかったことの方が理由としてはしっくりくる。
そんな僕にまたnoteを書かせることが起きてしまった。
コロナ陽性。ホテル療養中。
週末に発症し、諸々の手続きが済んでようやくホテル入れたのが週が明けて火曜日の午後だった。
前日に療養先のホテルが決まったので、アメニティや生活のルールなどを都のHPで
「写真のリハビリ」始めました。
もう長いこと仕事で写真を撮ってきた。
依頼があることで、今まで行けなかった場所、普通なら話す機会もない人と出会い、その経験が僕にプライベートな作品を作る助けになっていたように思う。
でも、仕事の写真を撮れば撮るだけ、手垢のようなものがついてきている気がしてならなかった。
「手垢」について別の言い方をすると、
「他人の価値観による上手な写真」
なのかもしれない。
写真のリハビリと
僕のポリシーは勘違いから生まれた。
この話は、どこが勘違いなのかが自分にもわからないので、正解を知っている人がいたら教えて欲しいんですが・・・。
20代半ば、僕がまだアシスタントだった頃、深夜の映画を紹介する番組をぼけっと見ていたら、「華氏451」という映画を紹介していた。
少し未来のその世界では、国が国民の思想を管理するために読書を禁止していた。当然ながら一部のレジスタンスは、はずれにある隠れた村でこっそり本を読むわけだ
「写真を仕事にする方法」
昨晩、写真家の青山祐企さんに誘われて、「写真を仕事にする方法」というテーマで対談したのですが、どうもうまくまとめることができなかったので、noteに自分の考えを今一度整理しておこうと思います。
ちなみに聴講者はこれから写真を始める、もしくは駆け出しのフォトグラファーでした。
大分類として、「写真とは」「仕事とは」の二つを考える必要があると思っていて、さらにそれぞれが「マインド」「スキル」に
物議をかもした「ハイヒールで着物の帯をふむ」広告について思うこと。
ヴァレンティノの広告についてちょっとっだけ話したいです。
批判する人、どちらでもいい人、擁護する人などいろいろな意見があって、どれもそうだよねって思いました。
変遷を細かく書いていたら文書が途方もなく長くなってしまったので省力しますが、最初にこのニュースを小耳に挟んでから、自分の中で咀嚼していく中で、僕の気持ちは「どちらでもいい」→「擁護」→「批判」→「・・・」へと変わっていきました。
写真は作るものではなく見つけるものだ。
もうずっと前のこと。友人のコピーライターが、こんなコピーを書いてTCCの新人賞をとった。
うちの子、いじめられてたらどうしよう。
いじめてたら、
もっとどうしよう。
親になったばかりの僕はこのコピーにすごくハッとさせられて、コピーってどうやって作るのって聞いたことがありました。
彼から返ってきた答えは、「作るんじゃなくて見つけるんですよね。」的な言葉だった。そしてその後すぐ、彼は有名
笑顔だけが「いい写真」か。
フォトグラファー・佐久間ナオヒトです。
今日は僕が駆け出しのフォトグラファーだった頃の話です。
もう10年以上前の話なのですが、これはいつの時代にも変わらないことだと思うので書いてみたいと思います。
仕事上の写真に限定していうと、「いい写真」とは「必要に応じられる写真」のことだと思います。
その企業は毎年株主向けに、年次報告書を作成していて、その報告書用の社長のポートレート撮影をご
写真を撮っていて嬉しいこと。
今日からトップ画、作品「Floating Blue」の桜の写真に変えました。
フォトグラファー・佐久間ナオヒトです。
さて先日の大雨の週末、母方のおじさん・おばさん達を撮影しました。
母には7人の兄弟がいて、いとこの数を合計すると15人。子供の頃は毎年お正月にはみんなが集まって大騒ぎでした。
それでもいつからか、顔を合わす機会も減り、もう数年会っていなかった人もいます。
僕には
その「できる」、本当にできる?
今日の話はフリーランスになりたて、もしくは、なろうと考えている人には真剣に考えてもらいたいことです。
大人になれば、ゆで卵でも、インスタントラーメンでも、サラダでも、自分が食べるものを何かしら一つは用意できるはずです。
プライベートにおいてこれを「料理ができる」と言っていいかどうかはそれぞれの基準があると思いますが、もしこれが仕事上の会話であるなら、「できる」と答えていいでしょうか。