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夫をずっと好きでいたい

「彼と出会えたのは彼の母のおかげ」って、確かにその通りだ。彼が、今目の前にいる彼でなければ私は彼に惚れなかった。一寸の狂いもなく「彼自身」でなければ、私と彼の恋なんてこの世に存在しなかった。

容姿、雰囲気、言葉遣い、心遣い……すぽんとこの世に産み落とされた彼を、私にとっての「大好きポイント」が詰まった彼にしてくれたのは他ならぬ彼の母、姑である。

でもこの言葉には「彼と出会えたから愛する子供達にも出会えた」という続きがある。これも全くその通り。彼以外の男と結婚していれば、今目の前にいる目に入れても痛くない我が子には出会えなかったのだから。

つまり何が言いたいのかというと、「姑がいなければ我が子にも出会えなかった。だから多少の理不尽は耐え忍ぼうね☆」ということ。

私はここで嫁VS姑という、果てしない理不尽問題に踏み込むつもりはない。なんだかんだ色々ある問題を華麗に受け入れ(流し)て姑に感謝するためのモチベーションが、子供だけになってしまうのはなんだか切ないよなぁという話だ。

子供がいない私は、当然のことながら子供がいる幸せがわからない。街中で子連れの家族を見かければ、毎日大変だろうなぁと思いつつ羨ましくなる。好きな人との愛の結晶を育てていくという、行為自体が。最近は、羨ましさに飲み込まれて辛くならないように「まともな大人に育てろよ!」と心の中で呟くようにしている。

でも一方で、幸せがひとつだけになりたくないとも思うのだ。身体の動く限り仕事に誇りを持って生きたいし、大好きになりつつある勉強を続けたい。興味の赴くままの人生を送りたいのだ。

「夫」は「仕事」「趣味」「価値観を洗練させていくこと」と肩を並べるものではないか。子供や親兄弟とごった混ぜにした「家族」と一括りにするのではなく、ひとつのカテゴリとして成立すると思う。パートナーとは、それくらい理解が難しくて、面白い。そうであってほしい。

そうじゃなくなった時に、妻(夫)は子供だけが自分の人生になってしまう。そして「姑がいなければ我が子にも出会えなかった。だから多少の理不尽は耐え忍ぼうね☆」精神が爆誕するのである。←未婚の私が言うべきことじゃないのかもしれないけれど。

今じゃないけどいつか欲しい、子供という存在。いつか来るその日までに、夫に出会った意味が子供だけにならないように、私自身を積み重ねていこう。夫をずっと好きでいるにはどうすれば良いか?この問いは、しばらくの間学びの起点となりそうだ。


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