大人だって、卒業文集に願いを込めたいときがある。
電車の中は、飲み会帰りの若者グループの声で騒々しかった。コロナで終電が早まったぶん、駅で見かける酔っぱらいは7時、8時ごろに登場するようになった。終電を早めても、飲みに行く人は行くし、全てが少しずつ早くなった縮図になるだけだ。
地元の駅から空を眺めていた。寒空に聳え立つスカイツリー。わたしはこの光景を幾度となく見てきた。小学校の時、この我が街を象徴する電波塔は、まだ半分もできていなかった。担任の先生は、やけに興奮してこの塔の写真を撮っていたけれど、スカイツリーができるということで、何が変わるのかが、小学生のわたしにはあまり想像ができなかった。スカイツリーができたって、明日も学校はある。友達関係の悩みが解決するわけでもない。でも街が観光地になることは、少なからず、街の人々に変化をもたらした。それに、自身の成長の過程ともに、故郷の形が変わっていくというのは、何より貴重な体験だったと、大人になった今、思う。
都内のどこの展望台に行っても、スカイツリーの存在でわたしの育った街の方向がわかる。例え、わたしが一文無しになったとしても、ケータイ電話がなくなっても、あの塔を目指してただ歩けば、わたしはいつでも帰ることができる。視認できる羅針盤の針。有難いことだ。帰る場所は、いつでもわたしのことを見下ろしている。カンガルーの腹の中とは、こんな感じなのだろうか。
過去の自分の読書感想文を読んだ。母は全て、小学二年生のものから、綺麗に取っておいてくれた。母のお気に入りは、中学三年生の時の歯の作文で、読み直してみると、自画自賛ながらになかなかわるくなかった。ロバに入れ歯を入れたらたくさん草を食べるようになった実験について書いてあったけれど、全く記憶にない。小学校二年生の、初めて表彰された作文はクリクリという犬が出てくる本の感想で、「クリクリはすごいなあと思いました」が3回も出てくる文章の出来だったけれど、この「すごいなあ」のおかげで今のわたしがあるのだから感謝しなければならない。これを選んでくださった、当時の担任の先生のセンスにひれ伏したい。
定番の卒業文集にも目を通した。親友の書いた「年末、帰省先の神社で最前列でお賽銭をしたら、後ろから投げられた小銭が沢山フードに溜まった話(しかもなぜこれを文集に書いたのかは全くの謎)」にお腹を抱えながら、意外と皆、夢を叶えていることに驚いた。夢というほど大袈裟なものでなくても、高校に行っても吹奏楽を続けたい、とか医療の勉強がしたい、とか言葉にした目標をほぼニアピンで叶えている子が多かったのだ。無論、彼や彼女たちは、この文集の存在すら忘れていることだろう。それでも、言霊の論理があるように、書いてみること、言葉にすることって、ある意味魔力を有しているような気がさえする。もうお酒を飲める年齢になってしまったので、卒業文集には宣言はできない。
それでも、一言世界に呟いてみることにしたのは、本日の昼下がりの出来事。
卒業文集もう一回書きたいな。何からの卒業かは、ご想像にお任せ。
2021.01.24
すなくじら
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