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水面に、街灯りを探して

もうこの道を歩くこともないだろうな。そう思いながら、何処かを歩いた経験は、わたしだけのものではないと思う。この10ヶ月でほんとうに、いろいろな人に出会って、同じ日本人同士なのに、軽いカルチャーショックすら受けた。たかが10ヶ月、されど10ヶ月。

新卒から今日まで働いていた会社を辞めた。社会人らしく挨拶をして、「益々のご活躍をお祈り申し上げます」でちゃんと締めてきた。益々のご活躍っていったいなんだ?部長の明日の夜ご飯がどうか美味しいものでありますように、くらいが本音なんだけどな。まあいいや、とにかく仕事を辞めた。


今日は、あまりいい文章が書けそうな気がしない。わたしにとって、わたしが読みたいと思えるような文章がいい文章。自分の文字の1番の読み手は、自分でなくっちゃ。それでも書く。むしろ、そういう日こそ書く。苦しくないと芸術じゃないなんてまさか思わないけれど、書けないときに書くものにだって砂塵程度のナニカが混じっていると信じているから。調子が悪いときに書いてもダイヤがごろんと混じるくらいまできたら、その時はきっとわたしは文字で食べていける。でもまだそのときは来ていない。


ほんとうはこういう仕事をしていて、何がつらくて、何が楽しかったのかをつらつらと記していたんだけど、ごっそり全部消してしまった。デリート、デリート。事実の羅列より対話がしたい気分で、叔母さんに電話をかけた。すごくいい時間だった。考えていたことが、うまく相手に伝わって、それがちゃんといい方向で自分の中にストンと居場所を見つけた。今日は記す日ではなくて、体から息に音を乗せて声を発する日なんだと思う。多分日によって、ほんとうは向いている表現方法が違うのが人間。でもわたしが書くのは、わたしは言葉の星の人だからで、音楽の星の人は今日も音を奏でる。言葉の星のひとってどれくらいいるのかな。昔はたくさんいたような気がするけれど、今はだいぶ減ったのかもしれない。悲しいかな。でもきっとまた言葉の波が来て、住民も増えて、星もおっきくなって、ちゃんと最後にはどの星にも負けないくらい、美しい海が見えるよ。





深い水の底から見上げる言葉の街の灯りは、どんな色なんだろう。






2021.01.17

すなくじら

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