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神様がガラガラポンで全部決めてくれたら楽なのに

寝ている人の背中ってどうしてこうも小さく見えるんだろう。男も女も。女の子なんか、うさぎみたい。無防備で、腕なんか枝みたいで。わたしも寝てる時にこんな風に見られてたら本望だけど、おねんね補正は可愛い子にしかかからないのだろうか。可愛いってつくづくずるい。


可愛いが欲しかった。死ぬほど。可愛いが全てだと思ってた。いや可愛いはほんとに正義だし、強いよ。可愛いから損をすることはまずない。だから可愛いは有利。可愛いが全て、じゃなくて、優位性を持ってる、が正解。そのことに最近ようやく気がついた。わたしは今でも死ぬほど可愛いが羨ましい。可愛いが憎い。でもやっと最近気がついた、もっと面白いものがある。それは知恵、賢さなんだよな。可愛いがないから、を言い訳にしてできなかったこととか負けたことから逃げて正当化したい自分がいた。そして、そんな人が世の中に五万といる。可愛くないなら他で努力しなきゃいけないのに、可愛くないのにふんぞり返ってていいのかよ〜。でも実は、可愛いってそんなに大事なことじゃないのかもしれない。世の中顔か金だと大切な人に言われたことに最近傷ついたのは、もっと想像して欲しかったというわたしのわがままなのにな。実際顔か金じゃ〜ん、の気持ちは死ぬほどわかる、けどそこで思考を止めたら多分ダメで、成功するのに必要なのは持ってないものを補う知恵なんだよねほんとうは。そりゃわたしだって好きな顔、はあるよ人だもん。でもさ、優しさの定義とか好きな本の話とか、人生で味わったマジで死にたくなった経験の話とか、火星人が明日来たらどうしようとか話せない人といるのってこっちが緩やかに殺されてる感じがする。想像力こそお金に勝る武器。聖剣エクスカリバー。恋人も友達も、生身の人間がいいな。お顔の綺麗な亡霊に囲まれたとき、わたしはわたしでいられるのかな。
そう考えたら、可愛くなる努力!も大事だけど、逆にわたしが亡霊認定されないようにアンテナ張ってパキパキ生きることの方がよっぽど大切な気がしてきた。

ここから全く関係のない話をふたつ。ひとつ目はわたしが家の鉢植えに名前をつけていること。1番の新入りはキューリ。葉っぱがキューリみたいだからそう呼んでいるけれど、本当の種類は知らない。少なくとも本物のキューリではない。感じのいい丸メガネのお姉さんがやっているカフェ兼花屋みたいなとこで買った、750円の、わたしのキューリ。たまに話しかけるけど、キューリはわたしと話したくないみたいだ。キューリといるのは安心する。わたしはここ数年間で自分を傷つけないものが好きになった。痛いのも怖いのも嫌い。多くは望んでいない。わたしは、ただただ安らかで上等な昼寝がしたい。起きてるのか寝てるのかわからないけれど、キューリも多分同じことを思っている。


ふたつ目は、二宮健監督の映画が好きで、一昨日くらいに『とんかつDJアゲ太郎』を見てきたから、そのことをnoteに書きたかった。二宮健監督の映画の、胸がキュッとなる褪せたネオンピンクが大好き。こういう人って、普段どのエリアで何食べて暮らしてるんだろう。わたしと同じ時代を生きているはずなのに、並行世界にいるみたい。不思議。ほんとうは『チワワちゃん』が二宮健監督の映画の中だったら1番好きだから、そっちについて今度書こうと思った。2020年中には絶対。とんかつDJはすごくポップな感じで、監督はこの映画を救ったなと思った。ポップって難しいから。騒がしくベタ塗りで通そうと思えば通っちゃったりするけど、見てる人は見てる。とんかつDJのポップはいい感じの、別の表現をするならば人を不快にさせないポップだった。あと伊藤健太郎くんの役がかっこよかった。あの役(若手社長でできるDJというなんとも美味しい役だった)の男の子みたいに全部持ってる人が世の中に1割いて、その人たちが各社会でちゃんと能力を発揮してくれて。さらに、その人について行きたい!って人が現れる。社会のシステム。よくできてる。わたしとしては神様がガラガラポンで昇進とか決めてる世界の方がいい。だって楽だもん。神様のせいにできちゃう。でもその世界に行ってしまったわたしは、自分の意思でもう何も決められなくなっちゃうんだろうな。

あの仕事、絶対楽な上にかっこいいからやりたいととある人が言った仕事。その仕事に就いている人に実際に会う機会があった。楽そうに見えると言われたその職場は、蓋を開けたらとんでもない体育会系だった。みんな泣きながらそこに立って憧れを叶えていた。楽そうに見せるのも仕事のうちらしい。プライドが高いから見せないけど、みんな結構汗臭いことをしているもんだ。才能や環境にめちゃくちゃに恵まれたわけでもない平々凡々なわたしたちは死ぬほど努力をしないと成果なんて出せないんだよ。そう思うと、できないのは当たり前、でもできないのをほっとくのは違う気がしてくる。今日がわたしの最期の日だったとしたら、後悔。パリピみたいな根性論は嫌いだけど、マジでまだまだ悔やむ要素しかない。それにひとつずつ向き合っていく。一分一秒。それだけ。






次の月末は年越しだね。


2020.11.30
すなくじら


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