縁。二つ以上のもののかかわり。
22:20。指先が硬い。自転車にひさびさに乗る感覚。文章を前に書いた日から時間が空いた。嘘。書いていると言えば毎日書いている。編集の仕事。誰かの言葉に赤を入れる。削除。また赤を入れる。消された言葉はこの世の誰にも読まれることもなく、なかったことにされてしまう。世の中は表に出せなかった感情こそが本物なのになと思いつつ、これが仕事だからともう一人のわたし。正解がないのが国語なんてデマ。文章にもちゃんと正解がある。でなければパソコンなんかひっくり返して「好きにやりなよ」って言って仕事なんか投げ出している。それでも今日もこうしてわたしが誰かの原稿に赤を入れているのは、好きなことだけでご飯を食べられる段階に自分がいないから。不甲斐ない。
この人と幼なじみだったら、とか、この人とこんな出逢い方じゃなければ、とかって誰にでもあると思う。じゃあさ、二次元でも三次元でも身内でも他人でも「たった一人だけ運命の糸のつなぎ方を変えられるとしたら」これを読んでいる貴方はどうするだろう。大好きだったあの人との恋をやりなおす? 二次元のあのキャラにそっくりな人をこの世界に召喚する(あるいは貴方が向こうに行くか)? 既婚者のあの人の奥さんになるのも良いね。
わたしだったら、どうするんだろうか。あの人との出逢いをやり直して〜、あ、でもここでこの失恋がないとこのひとに出逢ってないよな。この子と仲良くなりたくてこのバンドめっちゃ聴いたんだから最初から仲良しだったら、この音楽はわたしの中になかった訳で。そんなことを考えているうちに、昨日は眠気に包まれてしまった。雨の匂いをまとった夜闇は、わたしに夢を見せてくれなかった。
わたしは、いくつか運命を無理やりに変える方法を知っている。特に効果絶大なものを、今日は皆さんに紹介しよう。ズバリ、それはお金だ。こう言ってしまうと身もふたもなく下品に聞こえるかもしれないが、もう少し付け加えると「使うべきところで、そして然るべきタイミングに、きちんとお金を投資する」ことだ。
わたしの生活は、特別裕福でもなく、むしろカツカツに近いくらいだけれど、それでもかなり「使う時には使う方」だ。ではこの使うべきときは一体いつなのか。それは「運命が動くかもしれない」と自分が感じた時だ。または「お金で機会がかえる状況に陥った時」も該当する。
誰かとの時間を買うことって、そんなに悪いことじゃないと思う。こういう書き方をすると、ホストとかキャバクラを思い浮かべる人が多いかもしれないけれど、いっそ「奢るからちょっと付き合って」でもいいんだと思う。何かピンときた、惹かれるものを持った人に会える確率って世の中そんなに高くないから。恋人になりたい、友達になりたい、なんか興味ある。なんでも良い。お金で解決できるなら、借金してでも向き合う価値が、きっとある。お金は後からなんとかなっても、タイミングだけはどうにもならない。それでダメなら、きっと縁がなかった。それだけのこと。アンテナが間違えることだってある。その時に後から、損をしたな、と感じない相手にだけ投資をすれば良い。
いつもこういう話を飲みの席ですると、なんとなくつまらなそうな顔をされてしまうことがある。オレンジの照明の下で、相手の表情がくすむ。前回は魂と存在の双子の話だった。これは前にnoteに書いた。不思議ちゃんみたいな扱いをされるのも、変にわかるよそういうのって言われるのも嫌。わたしはただ、真剣に同じ目線で考えてほしいだけなのだ。わがまま。ごめんなさい。似たような人を探すのって、とてつもなく難しい。早く魂の双子を見つけたいと、ときどき本当に思う。こんな時に思い出すのは、わたしはベートーヴェンの第九をドイツ語でフルで歌えるということ。しかも、ソプラノとアルト両方。ちなみにドイツ語はさっぱりわからない。でも歌える。詳細はまた今度にするけれど、こういうわたしと第九のどうしても神様がつなげたかったんだな、みたいな関係性、この、めちゃくちゃなつながり方は結構好きだったりする。
ライブハウスでバンドマンは「最後の最後の最後の最後に来るところがライブハウスだ」って言っててカッコ良かった。辛くなった時に、いつでも帰ってこられる、あかりの灯った家。わたしの文章も、誰かにとっての何か、であったりするのだろうか。今はまだちょっと無理かもしれない。また夏が来る。何かの予感を孕んだ夜の空気が、電気のつかない部屋で膝を小さく抱えたわたしの、気怠いうなじを撫でた。
▽これは魂と存在の双子の話。
2021.06.14
すなくじら
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