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年賀状の家族自慢も、親戚の集まりも、どこか息苦しかったあのお正月。

2020年は、わたしにとって間違いなく転機の年だった。自分を彩る要素である、仕事、環境、人が全て変わった。noteを書き始めたのも2020年頭の頃だった。当時、書くことにはだいぶ興味がなくて、読むことの方が何倍も好きだった。

だからきっと、わたしは書けないんだと思い込んでいた。


でも今、ここにこうしてnoteという形をとって、言葉を綴る場所がある。挑戦してみようと思った過去のわたしと、noteに携わるすべての皆さん、そして何より、読んでくださった貴方に、感謝を。


わたしの大晦日はいつも家族と共にあった。

ワイワイと集まる親戚が集まる大晦日が、昔はただただ楽しかった。祖母の作るほかほかの湯気がたったローストビーフに、年の近い従姉妹たち。わたしは従姉妹の中でも、母方の兄の子である二つ上のお姉さんが大好きだった。わたしは小学生時代、彼女の持っているものを漏れなく欲しがったし、彼女の真似をし、後をついて歩いた。それは時に、スーパーで買ったセブンスターの小さなネックレスで、またある時には間違い探しの本だった。とにかく、わたしの中の流行はいつでも彼女と共にあった。


お父さんも、お母さんも叔父さんも、みんなみんな優しい。それなのに、大学生になった頃から絵に描いたような大晦日と新年の光景の中で、わたしは時々疎外感を感じていた。それは家族の誰かが悪いのではなくで、わたしが内側から自分でジクジクと抱いていたものだった。大好きだった従姉妹の話も、どこか話半分だった気がする。



ここ数年、主に大学生の4年間、わたしはレールに乗った人生と、当たり前の幸せをどこか小馬鹿にしていた。大義を抱いて、目的のためなら命さえも厭わない、閃光のような人が好きだったし、結婚・出産に関しても同様に感じていた。




そして多分、そのレールからとにかく遠くに行かなくてはと、焦っていた。それぞれのよくない部分にフォーカスをしては、家族ごっこなど、わたしはこんな風にはなりたくないと、心の中で思っていたのもかもしれない。彼らには、成功したという自信(ある人は社会的なキャリア、ある人は幸せな家庭など)と、彼らのようにみんながなりたがっていると思い込んでいる節があるように、わたしには見えた。そこがいつも引っ掛かっていたけれど、それでも、その気持ちをあからさまに態度に出せるほど、わたしは勇気がある訳でも無かった。口だけの臆病者。それがわたしだった。


今年は人生で初めて、大晦日の集まりがなくなった。もちろん、コロナウイルスの感染拡大の影響で。



家のポストに親宛に届く、誰かの家族写真の載った年賀状を、見かけることも無くなった。


洗濯物を干しながら、去年の大晦日のことを考えていた。干す前の、まだ冷たいタオルを摘みながら、ふと思い浮かんだのが、祖母の家に来て真っ先に、祖父の仏壇に手を合わせる従姉妹の姿だった。



わたし、ちゃんと毎回お仏壇に手を合わせてたりしてたかな。



従姉妹のみんなへの気遣いの言葉を、どこか飾り物のように感じるようになったのは、わたしの変化によるものなのでは無いかと気づいたのもその時だった。

優しさの甘さが、本当は身にしみているくせに、一歩引いて孤独でいることを選択するようになったのはいつからだろう。20歳を迎えてから3年も経ったのに、わたしはまだまだ思い描いていた大人になれない。


家族ごっこでもなんでもなく、私たちは家族だった。




愛を受け取ることが、怖い。

誰かに努力を見せることも、怖い。

期待をすることも、もう辞めた。



総じて、もう傷つきたく無いから。



わかっている。人には2つ以上の顔があって、優しい部分も嫌いな部分も、全部ひっくるめてその人なのは。嫌いな面がクローズアップされたわたしの視野の狭さは、まだ治すことができるだろうか。それともわたしは、斜めに物事を見ている自分が好きなだけで、ほんとうは何にも考えていない、ただの中二病が抜けないイタい人になってしまったのだろうか。


わたしは日記をつけているのだが、大体そこにやってくるのは自分が傷ついた時であり、その分内容も、地獄絵図のようなノートになっている。そして最近はめっきり日記を書く機会が減った。それだけ精神衛生が良いということでもあるが、きっと泥臭く何かにぶつかる機会がなくなったから。その日記が最も更新されていたときは、3年前に婚約者がいる男の人にゾッコンだった時。あの時のに戻りたいとは死んでも思わないけど、あんなに血肉が通った文章を、去年書くことはできなかった。



だから今年は、わたしの血が通った文章を書けますように。いや、書きます。それが誰かの心にいい意味で刺さってくれたら、それ以上の幸せはないのだから。仄暗さと暖かさの混じった毛糸玉みたいなわたしの日々を。去年よりもう少し素直に、クリアにね。成長はできなくても、背伸びはできる。





今年もどうぞ宜しくお願い致します。


2021.01.02

すなくじら






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