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アダルトチルドレンの私


親のような人間にはならない!


中学校に入ってからこれを強く思った。
今でもその時の感情が心に染み付き残っている。
絶対に真似したくない大人の見本。
私は、自分が親になったら、あのような親には絶対なるものかと心に誓った。
親を反面教師にして、自分の親像の理想を持ち続けた。

ところが、ある時に、自分が親と同じようになっている部分に愕然とした。

あんなになりたくない親の姿と同じになっている自分にとても嫌悪を抱いた。


クラウディア ブラック原著、斎藤学翻訳に『私は親のようにはならない』
というタイトルを知り、衝撃を受けた。

「私だ!」



この書籍はまだ読んでいない。
アルコール依存症のような嗜癖障害や児童虐待というようなことがあったわけではないけれど、私は親との関係において、心の傷を負っている。


特に嫌悪していたのは、母に対してだ。

母は、この6人兄弟の末っ子で、田舎では裕福な家庭で、世間知らずのお嬢様育ちだ。過保護に育てられ、自立ができておらず、全てを人の責任にし、自分の幸せは身近な人が自分を幸せにするものだと思っている。
父は出張が多く、長期間不在になることが、ほとんどだ。父方の両親のいる自宅に母は残され、嫁姑の喧嘩はよくあった。

寂しい思いから、「身を一つでくればいいと言ったのに、嘘をつかれた」
「寂しいから船を降りてって言ったのに(父は船員だった)、これじゃ船を降りても変わらない」「あんな人と結婚するんじゃなかった。親のいう通りにして見合いをしていれば良かった」
父と性格が似ている私の姿を見ると「あんたのそういうところ、父親の嫌なところに似てそっくりで、腹が立つ」などなど…。

責任転嫁しまくりで、父のことも私のことも否定して、父が大好きな上に依存が強すぎて、子どもながらに、母に呆れていた。


そんな母なので、自分のこと中心で、子どもの気持ちというか他者の気持ちに共感するということは育っていない。父の不在と同居と子ども3人の生活に余裕などもない。

私は、妹ができて寂しい気持ちを持っていても、いろんなことを我慢しても、どんなにいろんなことを頑張っても、気持ちを伝える努力しても「お姉さんだから子どもみたいなこと言わないの」「お姉さんだから我慢しなさい」「お姉さんだから手伝いなさい」「お姉さんだからわがまま言わないの」「お姉さんだから泣いたらおかしい」「親のいうこと聞かないのは親不孝」「子どもは親のいうことを聞いていればいい」「親に口答えするな」など言われ、気持ちを受け止めてもらった経験が少ない。ましてや、抱きしめてくれた記憶がなく、母に触れることや近づいて、自分が傷つくことを恐れて、触れることも近づくことにも躊躇していた。

私は、意見も考えを持っても聞いてもらえずに、親の手となり足となり、親の人形の時は良い子で、自分を主張するのは悪い子というような言い方をされ続け、思考パターンもそのように形成されていった。

私のHSP的な身体反応については、目に見えて明らかなので、そこについてはわかってくれても、「こだわりが強い」「頑固」「言ったら聞かない」「いい加減にして」など、気持ちという内面については全く鈍感で、関心も持たず分かろうともしなかった。こと、私は幼い頃から自我を持った子だったので、自分の考えや気持ちを何一つ考えない母にいつも腹を立てていた。


私が、成長するにつれ、小学校4年を過ぎると社会もわかってきて、父からも「母は何もできない人だから、あなたが家を守りなさい」と立派な役割を与えられた。私は、父から信頼されている!とても嬉しくて、その責任を果たそうと、それ以降、父のように振る舞っていった。


父は大好きだったのだけど、田舎育ちの古い貧乏の家なので、ものすごく厳しかった。父の意見は絶対で、父に口答えすることはできない。父の話を聞くときは正座。口答えしようものなら、ものすごい勢いで手や足を出そうとして威圧的に制する。封建的な家族だった。

父はとても怖い存在だったけど、子どもたちは大好きだった。それが不思議だ!価値観もとても偏っていて、中学からは、父の価値観の押し付けと私は戦うこととなった。手や足が飛んでくる恐怖と自分を尊重し守る戦いだった。


子どもを育てることとして、父も母もどこかおかしく、私は自分を失われまいと必死で戦った。

そう。私にとって、家族は安心で安全な場所ではなかった。


自分が親になった時、同じになりたくないと思ったのは中学生の時。
大人全般も嫌いだった。大人になりたくないと思う反面、早く対等になりたいとも思った。
そこから、自分はどんな大人を目指そうか、人とは、生きるとはを考えた。


話は、ほんの一部なのだけど、ここで受けたこと、それを防衛してきた癖が、体、心、脳に刻まれていて、なかなか抜けない。


HSPの気質より、私は、この機能不全の家族で育った影響が、今でも染み付いて離れないで困っている……


今日は、2ヶ月ぶりに妹と母に会いに行った。
母は穏やかになっているが、相変わらず幻聴がしている。
そして相変わらず、亡き父と私が引っかかっていることがわかる。

母のことが好きなのか嫌いなのかわからない。
ただ、母のことはいつも心配ではある。
たくさん傷ついてきたけど、私も母を罵倒し傷つけてきた。
物心ついた時から、母を世話してきた。
父が消えてからは、経済的にも精神的にも母の面倒を見てきた。
何十年も…

結婚する時も「私はどうなるの?」「私を見捨てるの?」「一人じゃ生きていけない」そんな言葉に、母を面倒見ないことへ罪悪感が湧き上がった。
父が消えてから、母は訳のわからない宗教にすがっていた。心配していたが、家を出て自分の人生を歩んだ。母は、さらに宗教にのめり込み、精神崩壊していく。

私は、自分の人生を生きようとする時、どうしても罪悪感がちらつく。
振り払い、健全な心を自分に宿す。

40年以上、これで生きてきてしまっている。
変えることなど到底難しい。

でも、自分をわかっていれば、調整はきく。


アダルトチルドレンの生きづらさとは
自分がありのままで受け入れられた経験がなく
他人の顔色を見てしまう(HSP気質も相まって)
我慢、頑張りをしてしまう
自分のことでなくても自責感を持ってしまう
自分の感情を感じにくい

私はこんな感じのアダルトチルドレン



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