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真っ暗闇だった。社会人1年目の私のこと│#2

わたしが新卒のときにお世話になったのは、大手の金融系企業でした。

もともと何かを作ったり表現したりすることが好きだったので、就職活動ではコンテンツ制作に携われる会社を受けていたのですが、残念ながらご縁がなく。

経済学部生で、金融の勉強をしていたこともあり、最終的に志望業界を変えてなんとか拾ってもらうことができました。

就活に苦戦したぶん、「この会社に少しでも貢献できるようがんばろう」と思っていたし

「学生の採用には多大なコストがかかる」と聞いていたので、真面目に研修を受け、予備校に通いながら資格試験にもなんとか合格できたのですが

入社して、日が経つにつれて、どんどん体調が崩れていってしまったのです。

もちろん自己責任ですが、いま「社会人1年目の私」の姿を冷静に見つめ直すと、原因はさまざまなところにあったように思います。

職場環境はあくまでも「引きがね」に過ぎず、これまで見て見ぬ振りをして閉じ込めてきたものたちが複雑に絡み合い、限界に達して、強制終了になってしまった……という感じでした。


話がすこし逸れますが、わたしは「仕事がハードだ」「周りに追いつけない」という悩みを抱えていたわけではなくて
(1年目なので、申し訳ないことにそんなレベルにも達していなかったです)

「人が怖い」「組織のなかでどう立ち回ったらいいのか分からない」というところで躓いたタイプです。

この記事を読んでくださっている方のなかにも、毎日同じような気持ちを抱えながら職場に向かわれている方って、いらっしゃるのではないでしょうか?

成人を迎えても、親との関係性を乗り越えられずにいる自分は未熟なのかもしれませんが
DV気質の父親に怯えながら生きてきたことが、大きなネックになっていました。

振り返ると、小さな頃から高圧的な大人の顔色を伺う癖がついていて
家では「地雷を踏まずに過ごすにはどうすればいいのか」「いかに自分の存在感や気配を消せるか」ということに神経を注いでいました。

父親怒りの沸点が全く分からないので、何も指摘されないように「すべてを完璧にこなさなければ」という思いが強くなり、気づいたときにはガチガチの完璧主義に。

そして、苦労しているように見えた母親の負担にならないようと、手がかからない優等生の仮面を被ってしまったのです。
(本当はそんなこと、誰も望んでいなかったのですが)


こうした背景があり、学生の頃は心の底から安心したり笑ったりできた記憶がほとんどなくて

悲しみや苦しみのかたまりを無視して、何事も「我慢するしかない」という言葉で片付けるようになっていました。

昔は胸の内を明かしたり、感情を出したりする習慣もなかったので、周りからは「しっかりしている」「大人びている」と言われていましたが
心の中ではずっと「誰か助けて」と叫んでいたように思います。

全部わたしが悪いんだ
だって自分には価値がないから
どうせ何を言っても分かってもらえない
人間が怖い、信じられない
理不尽な大人が許せない

頭の中で繰り返していたのは、こんな台詞ばかり。

多くの人は、家庭という安心・安全なベースキャンプを持つことで、外の世界で戦うための勇気や力を養えるのだと思います。

でも、当時のわたしにとって家は安心とはほど遠い場所だったので、何もよりどころがなく基盤が不安定でした。


いつまでも軸を持つことができず、人の機嫌や態度、外部からの評価によって、目まぐるしく自分の価値が変化していく。

そんな状態のまま社会人になってしまったので、急激な環境の変化と人間関係のストレスでついに心が折れてしまったのでした。

さらに何の因果か、父親によく似た、最も苦手としていたタイプの人と近い距離で働くことになってしまったのです。

人の機嫌に過敏に反応してしまうだけでなく、立場が圧倒的に下だったこともあり
ことあるごとに頭の中の「自分責め」がエスカレートして、悪循環に陥るいっぽうでした。

(社会に出るってこういうことなんだろうな)
(怖いし苦しいけど受け入れるしかないよな)

毎日のように響きわたる怒鳴り声や、机を叩く音が、すごく苦痛でした。

これまでの積み重ねもあって、体重がどんどん減り、顔はやつれ、感情が麻痺してーー段々と生きる意味が分からなくなってしまったのでした。

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