自己肯定感の無さ


自分に自信がない

私は自分でもイヤになるほど、自己肯定感が低い。

だから同じことを何度も確認するし、自分がやった仕事についても何となく不安を感じてしまう。

SNSへの書き込みもそうだ。日頃SNSに投稿する頻度が他人よりも高いのは自分が生きている証を残すため。「今日こんなことがあったよ」「今日こんな感情になったよ」というのを日記代わりに残している。いいねがつけば尚他人に自分が生きていることを認められた気がする。SNSによる承認欲求解消は自分にとっての頓服薬なのかもしれない。でも他人は「こいつSNSうるさいな」と思っているかもしれないと内心また不安になる。
負の連鎖だ。

いつからこんな自分に自信がなくなったのか。

それは小学5年生の時だ。

小学4年生までの私は周りにとにかくチヤホヤされながら生きてきた。

足も速かったし、勉強もそこそこできた。何よりリーダーシップがあった。
周りを統制するのが得意で、級長、班長、会長、団長など長が付く仕事を率先してやってきた。

とにかく自信に満ち溢れていた。

小学5年生の時、塾に通い始めた。
私立中学を受けるための塾だ。

私が目指していたのは当時偏差値53〜57あれば合格できる中学だったが、入塾テストは悲惨な結果だった。やっと偏差値50くらいの成績だった。私立中学を目指すきっかけは母親に鉄道会社に入りたければ私立中学くらい合格しないと無理だと唆されたからだが、正直塾に通わなくても行けるんじゃないかと思っていた。小学校のテストで周りより十分高い点数を取っていたからだ。所謂勉強ができない子に教える立場だった。

しかし現実は甘くなかった。
塾では月に1度統一テストが行われ、その成績順にクラスや席順が決まる。10歳の子供たちには相当過酷な環境だと言える。私は入塾当初真ん中のクラスには居たが、席は前の方に居た。(成績が良い方が後ろの席を指定される)
塾に入ってからは毎日深夜2時くらいまで勉強していた。小学生の私にはその時間まで起きるのさえ厳しかったが、ライバルたちの背中を追う立場で勉強せざるを得なかった。中学入試直前には安定して偏差値も57くらいを取れるようになったが、私の受ける中学より偏差値が高い中学を受ける子たちは私の偏差値では到底敵わなかった。

この辺りから自分に自信がなくなっていった。もちろん塾に通い、普通の小学生が習わないようなことも習っていくうちに学校のテストは殆ど満点が取れていた。小学校のテスト返しではテスト用紙を返された後、誤答をやり直し満点の形にする時間があったのだが、私は教える立場に立たされていた。自分が100点を取っている中で30点や40点くらいしか取れていない子もいる。このクラスの中では出来ている方でも、塾のライバルたちを思い出すと身の毛がよだつ。当然ライバルたちも学校では間違いなく100点を取っている。心のどこかで学校の100点なんて意味がないと思っていた。

そんな小学校高学年を過ごしているうちに周りには変わったねと言われるようになった。当時の私には全く意味がわからなかったし、何が変わったのか自分にも理解はできなかったが、自分に自信がなくなってきたことと性格の変化は準ずるものがあったのかもしれない。と今は考察できる。

その後無事に私立中学に合格したが、中学高校とも成績は芳しくなかった。
そして同時に自分への自信が高くなることもなかった。
私は自分に自信がないまま就職活動をし、今の会社に入った。夢だった鉄道会社だ。
そして憧れだった電車の運転士となった。

電車の運転士の仕事は確認の連続だ。
作業前に確認し、作業後も確認。一連の流れが終わったらまた確認を行い、最後に確認したことを連絡する。もはや確認こそ仕事だと言える。自分にぴったりの仕事だ。

その癖は自分に自信のない普段の生活にも現れている。
「別れ物をしたらどうしよう」「忘れ物をしたら嫌われる」
そんな感情が蠢き、私の脳から身体へ伝わり何度も確認させる。

自分に自信がないことから、ここまでの副作用が出ることは考えてもいなかったが、今となってはいい副産物だ。確認をしなければミスにも繋がるし、お客さまに迷惑をかけるかもしれない。それを事前に自分の確認で済むことができれば誰もが気持ちよく鉄道を利用できる。私たちの仕事は0→1の仕事ではなく10をずっと10のまま維持していくことで褒められる。たしかに0→1の仕事は凄い。AIが発達する世の中で誰でもできる仕事ではない。でも10をずっと10のまま維持することも難しい。人間は誰でもミスをする。かといって機械に全てを任せることもできない。人間はまだ機械を信用しきれていない。その信頼の穴埋めを我々は担っている。
電車の運転士の仕事は確認が苦手な人間、自分の行動に自信がありすぎる人は向いていないかも知れない。

幸運なことに私はまだ事故をしていないが、ふとした時に事故に繋がるミスをするかもしれない。運転士になる前、車掌で起こした唯一のミスは完全に確認疎漏が原因だった。慣れは禁物である。

運転士になってもうすぐ1年。
夢だった電車の運転士が身体と心に合う仕事で本当に良かった。
憧れていた仕事が自分に合わない人もいる中で恵まれた人生を歩んでいる。
そこはすこし自分に自信を持っていいのかもしれない。
これから先も事故をしないよう心がけるというマインドではなく、次の日、次の列車、次の作業をミスなくこなしていく。そして確認するという癖を大事にする。このマインドで仕事を続けていかなければならない。

電車の運転士は自分の仕事に不安を覚えるくらいがちょうどいいのかもしれない。

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