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頭空っぽな休日を避けたいと思った話。

 こんにちは、スミレです。
 私はインドア派です、お家大好き人間です。過去の記事にも書いた通り、疲れやすいタイプだと自覚しているので休息の時間が欲しいのと、平日に気力体力を使い果たしていることが多いから出かける気も起きないという理由があります。
 だから土日や3連休であれば、一歩も外に出ないことはザラにあります。 

 ですが最近、「長期休暇は話が変わるかも」と思うようになりました。
 その理由は、出かけて刺激を受けないと思考が止まっていく気がするからです。

 小学生の時に、「宿題をやる気が湧かないなら、外でちょこっと運動してみるといい」と聞いたことがあるのですが、多分コレと同じノリです……多分。
 家は安心できる場所なので、あれこれ考えなくても問題ないんですよ。休息には必要不可欠な空間です。だけど考えたい時に考えるためのエネルギーが萎んでしまうのです。

 特にnoteを始めてからは強くそう思うようになりました。
 ずっと家にいるのだから、読みたい記事も読み放題できるはずだし、書きたい記事も書き放題できるはずです。
 だけど、活字だけでは刺激が足りないのか、手も頭も働きません。読みたくても、内容が頭に入ってこない。書きたくても、言語化できない。

 これがまあ、つまらないんです。高校で探究の授業に出会ったり、noteの活動を始めてみたり。そうやって思考することの楽しさを知ってしまったので、物足りないどころか、時間を無駄にしてしまったという罪悪感すら覚える始末です。
 この現象が起きるのは、私の場合は「自宅に引きこもっている」時か、「単純に時間と体力がない」時かに分かれます。

 長期休暇です、文字通り長めのお休みなのです。だから引きこもりすぎて思考停止するのを自力で避けたいと考えるようになりました。インドア派としてお家時間をエンジョイしつつ、頭の中を充実させられる時間の使い方を習得するのが冬休みの宿題くらいの気持ちです。

 ですが。私、今現在、「時間と体力がない」方で思考が止まりつつあります。noteを覗くのもしんどい。
 というのも、年末年始ということで田舎に帰省しているところなのです。父と母と私の3人で、10時間近く車に揺られ、親戚に挨拶をし、近場の銭湯で風呂に入り、空き家にて寝泊まりする。
 これは昨日の出来事で、この記事も本当は昨日のうちに仕上げて投稿するつもりだったんですよ。でも体力が尽きて、準備もロクにしないまま今日書き込んでおります。

 今日は、昨日とは別の親戚に挨拶をし、好意で庭のしきみの木から葉っぱを分けてもらい、6基分のお墓参りをしました。
 2つの山を巡り、急勾配な坂を登りに登って、お墓をできる範囲でサラッと掃除する。いやぁ、疲れる、主に脚が。

 疲れたけれど、やはりいい刺激になります。
 お墓参りで、戦争で亡くなった方2人に対し、「戦争で悦楽を感じていたか、上司に逆らえず嫌々死んだのか。分からないし確かめようもないけれど、せめて本人の中で折り合いがつけられていたらいい」と考えたり。
 お線香から火が上がったら、息を吹きかけるのはNG、手で仰いで煙だけが上がるようにすると父から教わったり。
 あっちのスーパーよりこっちのスーパーの方が安くお花を買える、と知らないおばさんから教えてもらったり。

 インドア派だけど、ちゃんと出かけよう。
 もちろん私に必要な休息の時間は確保しておく。その上で、無理のない程度に出かけてみたら、めちゃくちゃ良い刺激になる。
 これが最近の学び、ついでに今年の書き納めにしようと思います。

 ここまで読んでいただきありがとうございます。
 良いお年をお迎えください。

#最近の学び

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