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休職中のいーやーさーさーな思い出

2024年、新しい年を迎えた数日後から、私は適応障害により働くことを一旦お休みしている。休むという決断自体もそれはそれは大変だったのだが、休むことに付随して「これどうしよっか?」と考える必要が出てきた予定もいくつかあった。

そのうちの一つが、前々から彼と楽しみにしていた2月頭の沖縄旅行。あーでもないこーでもないと考えた結果、私はすぱん!と決行することを決めた。ストレスの原因となった仕事からなるべく距離を置くことと、体力を養うこと、回復において大切なこの二つを叶えるのに良い作用をしてくれるはずだと考えたためだ。

もちろん、これは個人の判断なので、休職中の旅行をおすすめするような意図は毛頭ない。とはいえ、行ってよかったな〜〜と物思いに耽るこの気持ちと思考をとっておきたいので、この場をお借りして記録させて頂くとする。


猫ちゃん


いつもと違う空気に身を置くこと


空港からひと足出ると、そこが東京ではないどこか別の土地であるってことが、鼻を通って肺に溜まる空気を通して感じられた。つい3時間前にいた冬からはぐーんと進んだ初夏を思わせる気温と湿度、東京よりも少しばかりゆっくり動いている気がする人間と車たち、そこから聞こえてくるイントネーションの異なる言語、広くて青い空と夏の形を見せる雲、奇妙な大きさの葉や蔦っけの多い樹木、そしてそれら全ての集合体である空気は、いつものそれとはまるっきり異なっていて、自分が日常の縁に引かれた白線をえいっと飛び越えて外に来れたことを私の体は感じ取った。

日常の中で暮らしていると、どうしてもその輪っかからは容易には出られなくて、どんなに気持ちをよそへやっても、輪っかの中の記憶たちと同居している感覚がある。その記憶は、穏やかなものの場合もあれば、穏やかでないものの場合もある。適応障害という結果に現れたように、ここ最近の私の記憶は穏やかではないものの占める割合が多かったため、日常の輪っかの中は、暗くてじめじめとしていて忙しなく、グレーな靄が渦を巻いているような場所だった。

そのあんまり良い気分のしない輪っかの中から、沖縄へ行ったことで、いつもと違う空気に身を置いたことで、一歩外へと出られた感覚があった。そして、またその輪っかの中に戻っていくのだけれど、そこは中から見ていた時よりも嫌な感じはしなかったし、光のところもあるように見えたし、また出たくなったら出ればいいんだって思えて軽やかだった。

日常の輪っかを居心地の良いものにすることももちろんだけど、もしもこの先そこに居づらくなってしまった時には、案外簡単に外に出れるってことと、外の世界は私が思うよりずっとずっと広いんだってことを、思い出してくれると良い。

自然の迷路みたいで散歩が捗ったフクギ並木



貴重な今を思いっきり味わうこと


私は、今ここに集中することが苦手だ。今を蔑ろにして過去や未来に思いを馳せることが物心ついた頃からの習慣で、それが人間としてあんまり好ましくないってことは最近知った。呼吸に集中しようとか思っても、思考が3方向くらいに発散していってしまうのが私の常だ。

ところが、沖縄という滅多に行けない土地での貴重な時間においては、そこまで自らを意識的にさせずとも、今をめいっぱい享受できていたと思う。海に潜って目にした視界いっぱいの魚たち (人慣れしすぎた魚どもが視界目掛けて泳いでくるというアグレッシブアクティビティだった)、海の青、磯の緑、夕焼けのピンクが三層に重なった備瀬崎からの景色 (人が少なくて超穴場スポットだったし本命のフクギ並木より感動しちゃった)、彼の運転する車から3秒くらいだけ見えた燃えるようなサンセット (夕日がよく見える道とは逆を選んでしまっていたので彼が判断ミスだ〜としばらく悔いていた)は、今以外のことを考える余裕なんてないくらい私に色んな感情をくれたので、今をたっぷりと心に焼き付けるのに忙しかった。

それで、帰ってきてからふと思った。日常だってすべて、もしかしたら貴重な今なんじゃない?と。感受性豊かな自分だから、日常にも小さな感情は転がっているはずなのに、私が今に集中していないせいで見逃していたりするんじゃない?と。もしそれらを拾い集めていけたら、味気ないような気がしていた日常だって、彩り豊かなきらきらにしてゆけるのかもしれない。

ニモっぽいけどニモじゃない魚、可愛かった



人生の指針を見つめ続けること


ここまでの休職期間で、私は私の穏やかな人生のために仕事をする、仕事のために人生があるんじゃあない、といった優先順位の整理ができてきているのだが、頭で整理するだけでは自分に落とし込まれていかず、もどかしい感覚があった。私は記憶力が弱いので、復職したらまた以前と同じように仕事に精を出したくなって、その結果まあ以前と同じように自分の人生を簡単におろそかにしてしまう気がするのだ。

そんなモヤモヤを抱えて降り立った沖縄で、私の心と脳みそは色んなことを感じた。未知の文化を知っていく楽しさ、はじめて食べるローカルフードのおいしさ、広大な自然に胸が満たされ溢れそうになる感覚、思いっきり体を動かした後の心地よい疲労感、大切な人と大切な思い出を作れる幸福感。

仕事との向き合い方の正解はまだ明確にできていないけれど、自分がこれから大切にしたいことを思いっきり体感できたこの旅の思い出があれば、もうそんなに簡単に見失いたくないことを見失わずに、これからは生きられるんじゃないかって気持ちになれた。

そして、もう見えなくなってしまわないように、これからは旅をたくさんしていきたい。何歳になっても、自分の世界を広げて新しい自分と出会っていきたい、大きな自然に包まれて癒されたい、そんでもって地球に生まれて良かったって思いながら死んでいきたい、そんな人生の指針を強固にできた旅になったんじゃないかと思う。

着替えを持っていない彼が「飛び込みてぇ」を連呼した海


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選んだ方を正解にしていくのは得意なので、もちろん「行って良かったー!!」なのだけど、その良かったさは想像以上で、国内にもこんなに新しいことが潜んでいるのか、世界中を知ろうとしたら人生全然足らんじゃん、と、旅好き人間が新たにひとり爆誕してしまいました。

色んなところに行きたいけど、沖縄にもまた行きたい。波が荒くて行けなかった青の洞窟はリベンジせねばだし、彼とハマったフーチャンプルーをまた食べたいし、あのゆったりした大きな空気と自然に身を置くと、なんだか憑き物が取れたように軽やかな心と体になれるのだ。

年一くらいで海外にも行けたらいいな、そんな未来が私を待っているのなら、もう少し生きてやらんこともないかな。

猫ちゃんたくさんいた、可愛かった

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