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学校に戻るのはいつだって怖い

別室登校を始めて半年、定期テストの結果も数学のみではあるものの上位に入るようになったことで、少しだけ自信がついてきた頃だった。

私は中学3年の新学期の二日前に
「ここで行けなかったらもう今の学校に戻ることはないな」
と悟った。何故そう思ったのかはわからない。なんとなく、直感でそう思った。

そして母に「明後日から普通に学校行くわ」と伝えた。
心の中では、普通ってなんだよ、私は普通じゃないのかよと自分自身に突っ込みながらも、自分が一番“普通”という固定観念に捉われ、“普通に生きたい”奴なのだと、どうしようもなく悲しい気持ちになった。

私は今振り返っても、2年ぶりに小学校から顔なじみのクラスメイト達のいる教室に登校することに1mmも前向きな気持ちはなかった。

中一で休み始めた頃、いつか「よし!行ける!」と思って学校に行けるようになる日が来ることを信じて疑わなかった。

“私が思うに”というのを強調して伝えたい。
私が思うに、「行ける!」「行こう!」と思える日など来ない。
休んだ年月が長ければ長いほど、教室に戻ることは死ぬほど怖い。
本当に“死ぬほど”だ。

中学三年の新学期の前日、私は人生で最も“死にたい”と強く感じた夜を過ごした。

そして、当日。当日になったって、「もう行くしかない!」なんていう気にはなれなかった。不謹慎で、言葉にするべきでないけれど、「事故に巻き込まれれば学校に行かなくて済むのに」と思いながらバス停に向かった。

バス停では前日に一緒に登校しようと誘ってくれた友人が待っていてくれた。私は友人を前にした瞬間、本当に泣きそうになった。私が「今の学校」に戻った理由の全てがここにあるのだと、その時初めて気が付いた。

バスに乗ると、二年ぶりに見る同級生の姿をちらほら見つけ、心臓がうるさく、脳の脈までもドクンドクンと響き渡っているような感覚に陥った。

私の姿を見ると、自意識過剰かもしれないが、目を見開き、
「○○じゃない?」と隣の子に小声で合図を送っていた。

バスを降り、教室に向かう。
沢山の同級生の目が自分に向いていて、「やっぱ○○だよ」「めっちゃ久々見た」という声が聞こえてくる。
こんな時だけ、五感が冴えわたる。

新学期はクラス替えがあるため、クラスメイトの表を見ると、仲良しの友人何名かと同じクラスであった。学校側や先生方の配慮には本当に頭が上がらない。

そして席に着くと、何人かに「○○!久しぶり!会いたかったよ~」とか「嬉しい」と声をかけてもらった。ホッとする気持ちと、やはり好奇の目で見てくる同級生の存在が怖すぎて、一刻も早く帰りたいと思った。

「早く終われ、早く終わってくれ」と変な汗をかきながら、帰りのホームルームを終えた。友人とバス停に向かい、家に帰宅する。

家の扉を開けた時の母の顔が今でも忘れられない。
私よりも泣きそうな顔をして母は迎え入れてくれた。
私は思いっきり泣いた。本当に疲れて、そのまま消えてしまうのではないかと思うほどきつかった。

学校で何かされたわけでもない、友人も何人かいるし、二年前と変わらずに話しかけてくれた子もいた。たった数名、「誰あいつ」という目で見てくる子や私を見るなり耳打ちする子がいただけだ。
そりゃあ、耳打ちもするだろう。
別にいじめられていたわけでも、友だちがいなかったわけでも、上手くいってなかったわけでもない同級生が、突然学校に来なくなり、二年ぶりに突然登校してきたのだから。
私の学校は小中高一貫の女子高ということもあり、とにかくコミュニティが閉鎖的だった。「変化」に大変敏感な空間だった。だからこそ、私はその「私が戻ってきた」という変化を嫌う同級生の存在が怖くてたまらなかった。

次の日から、私にとって"本当の意味で”闘いの日々が始まった。



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