【読書メモ】なぜ働いていると本が読めなくなるのか
この本が売れるってことは、
読みたい もしくは 読んだほうがいいよね
という気持ちはあるんだけど、
実際は「読書習慣」が続きません! という社会人が多いということの裏返しだよね。
ライターという職業柄、
ほかの職種の人に比べて、たくさん文字を読んでいると思う。
が、高校くらいまでは、ほとんど本を読まないタイプで。
司書を目指していた友人から、読書感想文の課題図書くらいしか並んでいない図書カードを突き付けられて、
「もうちょっと、読んだら?」
とたしなめられた記憶がある。
どちらかというと、読むより書くほうが好きで、得意だった。
読まないでも書けるんだし、国語の成績もずっと良かったので
「問題ない」
と感じていた。
何のはずみで読みだしたのか、あまり記憶がない。
でも、大学に入ってから、専攻とは関係のない心理学の専門書ーー摂食障害や母子関係について書いてあるもの を探しに、本屋に通うようになった。
そこから社会人にかけては、
雑誌好きの延長で、Numberに書いていた沢木耕太郎さんにはまり、ノンフィクション系のライターに惹かれて、佐野眞一さんや松田美智子さんを読みふけるようになった。
そんな自分の読書歴を振り返るのにも、この本はちょうどよかった。
売れっ子の三宅さんだけど、私が過去に読んだことがあるのはこちらだけ。
正直いって、ピンとこなかったんだけど
それは、私が「老けた」からだと思っている。
同世代の人なら、三宅さんより斎藤さんのほうが、しっくりくるに違いない。あれは、文藝春秋の「クレア」だったかな・・・女性誌評とか連載してたよね。好きだった。
やはり、その時代の若手に支持される書評家というのがいるんだろう。だから、しっくりこないまま、
最近の若い人は、三宅さんみたいな感じなんだなぁ。
と、参考書のように読んだ。
以下、いい意味で気になったところをメモ。
娯楽ではなく情報処理スキル
いつの世も「読書術」には需要があるが
最近は娯楽としての読書法より、情報処理スキルとしての読み方が求められている感じ。
#速読
#ファスト教養
#タイパ
#コスパ
そして、勉強本を買い漁るのは、学ぶことに関心を持つことができる恵まれた人たち。そして、できない人を見下しているのかも?
#格差社会
昔は「朗読」こそが読書だった!
黙読は、明治時代初期に起きた革命。
句読点のおかげで、読みやすくなった。とのこと。知らんかった。
そして、明治後半に「ビジネス雑誌」が流行する。
どこに置いてあるのか?
歯科医の待合室
あーー マーケティング的に
なるほどですね~(この変な敬語、けっこう便利なときがある)。
#修養
#実用之日本
#成功
タイトルがすごいな。でも、このあと話にでてくる
#ビッグトゥモロー
とかも、別の意味ですごいよな。見出しだけで面白くて、買わなくても広告はチェックしてた。ハングリー精神むき出しで、それも時代を反映してた気がする。
いまも下から上にのし上がりたい人はいるだろうけど、もっとラクして一攫千金を狙っている感じなのでは? ノリが少し違う。
ついに✨スピリチュアル✨登場
大正に入り、インテリ層も増えたけど、社会不安も増大した。
不景気になって貧困層の数も増えた。
そんな時代には、スピリチュアル。
宗教や社会主義に救いを求める人が増えるから。
いまと、ちょっと似てる??
三宅さんも、
「いや、もう流行っているのか?」
という文で、この締めくくっている。
教養を見せびらかすための「映え本」
ビジネスパーソンの間では「修養」が、インテリ学生の間では「教養」がはやり、やがて
#サブスク みたいな販売方法で大ヒットを飛ばした
#円本
なるものが出てくる。書斎を飾る、インテリアとしての機能をはたしていたとか。
私も、取材で社長室に入ったら、ついついデスクの近くにある本棚を除き見してしまう。本当にお読みになっているのかどうかは確かめられないが、福沢諭吉が並んでいる方もいれば、イマドキの自己啓発書がぎっしりの方もいて興味深い。
当然、見られることを意識して、「映える」本をそろえている人もいるはず。そのやり方は、SNSが出現するより、ずっと前からあったんだなぁ。
その後、紙の高騰により、文庫が普及。
いまいまも、紙と印刷のコストが上がって経営が苦しくなっている出版社は多いはず。令和時代は、どういう乗り切り方をするんだろ・・・。何がはやるのか? それとも全滅か。
そりゃ、電子書籍じゃないの? と考える人が多いかも。まぁ、移行はするだろうけど、そんな単純な話ではないような気がしている。
「カッパ・ブックス」懐かしいな
「記憶術」とか「頭のよくなる本」は、父が経営していた学習塾の「忘れ物」にありがちで、事務所に保管しておく間に読んでいた。
いまの新書ブームとは全然違うけど、まだ幼かった私から見ても、新書が人気だったのはわかった。
#1970年代
は、司馬遼太郎がブームだったとか。そういえば、その頃に愛読したであろう世代の上司から、90年代の新人だった私は、読んでみろと勧められたことがある。「功名が辻」の主人公・山之内一豊の妻が、私とかぶって見えたらしい。支えているようでいて、その実、操っているようなところが。
#1980年代
に、さきほど書いた「ビッグトゥモロー」が出てくる。
この頃から少しずつ、コミュ力が重視されるようになったというのが三宅さんの分析。カルチャーセンターが花ざかりだったのも、この時代。カルチャーに通う人たちは、いま「オンラインサロン」に入る人たちのように、ちょっと蔑む見られていたんだとか。
そうかなー(笑)
90年代以降の感想は、あえてメモらない
90年代は30年以上前なのだが、私自身にとっては
「ついこの間」のことで、記憶が鮮明すぎるので
三宅さんの解説をメモるのは、やめておく。
ただ、別のエントリーで書いたように、情報が氾濫する時代だからこそ、
#ノイズ
が敬遠されるようになり、売れる本も読書のあり方も変わっていったという話は面白かったし、身に覚えもあった。
三宅さんが、働き方や労働について、どう考えているかを知りたくなったので、「女の子の謎を解く」も読んでみようと思う。
仕事と遊びの境界をなくすって、真面目な人ほど難しいかも
最終的に、
全身全霊をやめて、半身で働く ことを勧めていた。
24時間働けますか と問われていた世代だが、いまの私も「半身推奨派」である。
一方で、推し活などが、かるーい趣味や娯楽ではなく
#シリアスレジャー
になる感じは、はらに落ちない。
そういえば、大学の仲間も
#シリアスゲーム
とやらを激推ししていた。
レジャーやゲームはシリアスに、仕事は半身で・・・ということで、両者の境目がなくなってきたということか。
でもそれだと、根がまじめな人ほど、
「気が付いたら、全部がシリアスになっていた」
という状況に陥らないかと心配になる。
私はフリーランスがちょうどいいけど、会社員のように「土日が休み」と決まっていないと、うまく休めなくて、働きづめになる人もいるからなぁ。
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