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【未来の孫へ】 2020年7月 サービスの立ち上げと挫折

僕の孫へ

今回は、2020年7月の出来事をもとにお話をしようと思う



僕は、去年(2019年)の8月頃から、知り合いの方と二人でキャンプサービスの立ち上げを行っていた。

キャンプ自体、あまりやったこともなかったのだけど、あのサバイバルな感じに魅力され、ひとりでキャンプをする「ソロキャンプ」がやりたいとずっと思っていた頃だった。

キャンプ場って、昔からたくさんあるし、かつ、ホテルとかコテージやロッジなんかに比べたらはるかに安いし、それなのに、やるにはちょっと抵抗感があるんだよね。あの抵抗感は何なのだろうか。ってそのときから考えるようになった。その抵抗感の改善がきっとサービスの鍵になるだろうと思って。


サービスの内容について

始めた当初、誰かが持っている空き地や庭、それから空き家など、活用できていない遊休スペースを借りて、そこでキャンプができるキャンパー(ゲスト)と遊休スペース所有者(ホスト)のマッチングプラットフォームにしよう!ということになった。

このサービスがあれば、「今日は、ここでキャンプして、明日は、隣町のここでキャンプしよう!」ってキャンプはしごができるようになり、もっと広がっていくと、ぷらっと一人旅をしたその先でホストを探して、そこでキャンプ(ここまでくると、庭で野宿)して過ごせるようになる。

そして、ホストの方がよければ、その庭でBBQしながら夜の星空が眼下に望む中優雅に麦酒で乾杯することだってできたりする。そんな素晴らしい世界を創りたい。というより自分がそんな過ごし方をしたいと思い、始めたのがこのサービスである。


この頃の僕は、スタートアップ企業(創業から10人目のメンバーとして参画)に勤めており、サービス開始からまだ2,3ヵ月で契約数もまだまだこれからの状態のときから仕事をしていた。

サービスの立ち上げの難しさや、日々改善を強いられる重圧、そして、本当にこのサービスは世の中に求められているものなのだろうか。という絶望的な不安に押しつぶされながら、「いや、これはきっと誰もが欲しているサービスになる」そう思いながら働いていた。

なので、キャンプのサービスに関しても、どのように進めるべきか。世の中が欲しているサービスってどうやって見つけ出すのだろうか。ということは本業で培っていたわけだ。もちろん、自分で作るのは始めてなので、わからないことなんて海の中にいるプランクトンくらいあるのだけど。


そうこうしてスタートしたキャンプサービスは、たくさんの方の協力を借りてゆっくりと進めていった。

ホストとしてテストキャンプをさせていただいた方や、プロトタイプとしてCI(コーポレートアイデンティティー)を作成し、Webアプリを開発してくれた方や、地元新聞に掲載して周知してくれた方など、今振り返っても感謝しかない。この場を借りて、再度ありがとうを伝えます。ありがとう。


しかしこの頃から潜在化していた問題は、

日に日に積もり積もり、ふつとふつと沸きに沸き、

ドロとドロと粘りに粘り、ギラりギラりと露見しつつあったのである


それこそ問題の数など、海の中にいるプランクトンくらいあるのでその全てをここで伝えることはできないのだけど(知りたいのなら、是非サービスでも作ってみるとよい。)、きっとなかなか体験できないことだろうから特別に三つ、伝えたいと思う。




一つ目。"想い"の方向性が違ってしまったこと

この頃の時代の言葉でいうと、ミッションやビジョンのことである。

先に述べたように、スタート当初は自分がそう過ごしたい世界を創りたい。という思いだった。しかし、自分達でテストキャンプしてみたり、MBAを持っているような経営を学んだ人にアドバイスを求めたりするうちに、「市場がどれほど大きいのか。」「それで本当に利益が出るのか」「もっとこうした方が良いんじゃないか」と言われに言われ、最終的に、僕が全然望んでいないような"想い"になってしまった。

だって、自分達がやりたかったことは、他の人にとって儲からないと判断されてしまったから。僕達は、確かに慈善団体ではないか利益を追い求める義務を有するサービスではあったのだけど、それでも、この変更はとてもつらかった。

儲かる・儲からないなんて、誰もがわかったらみな億万長者じゃないか。そんなわからない領域において何故そんなとやかく言われないといけないのか。当時の僕はそう思っていた。

もちろん、サービス立ち上げのセオリーのようなものはある。それは僕も信じている。しかし、それは僕も勉強しているし、現に実践している。思い出してほしいが、僕はスタートアップ企業で本業としてそれを実践しているのである。そして、"想い"の大切さを身に染みて感じているのである。

何故、大切かって?

それは、組織崩壊を生むから。

"想い"は、強い組織の母であり、脆い組織の母でもあった。育て方によって組織が大きく変わるのである。

"想い"の方向性が変わる前に、ちゃんと話し合えばよかったじゃないかって?

そうだね。君の言う通りだ。話し合いは大事。でも僕にはそれができなかった。話し合いができなかったわけではなく、話し合いをしても変更を阻止することができなかったということだ。その原因については、二つ目で話そう。




二つ目。建設的な話し合いができなかったこと

「建設的」というのは、「積極的であり、物事を推進するのに有益であること」である。つまり、「サービスを前に進めるために、有益な話し合いができなかった」ということになる。

サービスを新たに始めるというのは、誰しもが億万長者になれるはずのないその領域に踏み込むということであり、これは、上も下も東も西もわからない知らない街にぐるぐるバットをした状態で突き落とされたような領域に踏み込むということである

そんな領域の中でどうやって建設的な話し合いをすることができるのだろうか。

ひとつは、"想い"。これが、自分が欲する世界を見つける原動力となり、自分が欲する世界がどんな世界なのかを明確にする想像力とその創造力になる

そしてもうひとつは、その街に住む人に話を聞くこと。その人々に話をきくことで、知らない街に突如現れる淡く輝く北極星を見つけることができる。これでなんとか行きたい場所はあっちの方にありそうだというのがわかる。北極星がわかれば、取り合えずそれに向かって進もうと思える。モチベーションが沸く。頑張れる。そういうもんである。

僕が行きたい場所のことを、その街に住む人は知らないけれども、あそこで淡く輝くものが本当に北極星なのか、それともただの街頭なのか、それとも、もう消失していると言われている(本当かどうかは知らない)ベテルギウスなのか。それもわかってくる。もし北極星だと思っていたモノが北極星ではないとわかったら、また北極星を探すためにその街の人に話を聞けばよいのである。


さて、話を戻そう。

建設的な話し合いができなかったということは、つまりは、「"想い"を定めることができなかった」ということと、「その街の人に話を聞き、北極星を探すことができなかった」ということである。

前者は先に述べたので割愛し、後者である。

僕たちは、その街の人に話を聞くこともせず、「北斗七星の近くにあるから、あれが北極星か?」「いやいや、カシオペア座の近くにあるから、あれが北極星だよ」という話ばかりをしていた。「いやいや、北斗七星の近くにあるって本で読んだし、あれがそうだよ」「そういう話もあるけど、普通カシオペア座の近くにあるもんだから、こっちがそうだよ」という話ばかりしていた。

果たして、これは建設的な話し合いだろうか。

何故こんなことが起きてしまったのかって?とっとと街の人に話を聞いて、「北斗七星とカシオペア座の間にあるあれが北極星だよ」って教えてもらえばよいのにって?

残念ながら、街の人は誰もどれが北極星なのかなんて知らないんだ。だって、僕達が欲する世界のことも知らないし、北極星と言っているものの先に欲する世界があるのかどうかもわからないし。

しかしそれでも、街の人に話を聞く必要がある。何故か。それは最後に話そう

そして、僕達は建設的な話し合いができなかった。それは、なまじ知識があることで自分の考えが全てだと思い込み、かつ、相手の言い分を聞き入れる素直さもなければ、相手を納得させるための納得材料を準備することができなかったからだと思う。

今でも、何が正解だったかはわからない。ただ、振り返るとそう思う。

これが二つ目の、建設的な話し合いができなかった。という話。




三つ目。出口が違ったこと

"出口" と言うのは、将来的にサービスをどのような形で運用していきたいか。ということ。

僕は、本業のスタートアップでの仕事もあるし、このキャンプサービスが多少軌道にのったとしても、本業を辞めようとなんて決して思わなかった。なぜなら、今の僕が生きているこの時代は、企業という組織に属しながらも自らをブランディングし、個人としても活躍している人がいる時代。まさに、そういった「企業 × 個人」での動きが出始めたまさに黎明期であるから

もちろん、時間は有限なので、どちらか一方に専念する考えもある。しかし僕は、ひとつで1000万稼ぐよりも、2つで500万ずつ。3つで333万ずつ、稼げるような人生を歩みたいと思っている。だから、僕は本業とキャンプサービスとどちらも一生懸命に働いて成果の最大化を図る、それでいて、片方が成功するためにもう片方を切ることはせず、また、片方が成功してももう片方を切るようなこともしない。そう決めている。

僕の想いに対して、相手は、「これで一発当てる!来年には黒字化し、ゆくゆくはこれで稼いでいけるようにしたい」という想いでやっていた。そのため、お金のかけ方の意見も違ったし、進めるスピード感も違った。それに、結局は事業の方向性もここから違ってしまっていたんだと思う。君ももし誰かと何かを始めるときは、この"出口"をどうするか。は、最初に話し合っておいた方がよいだろうと思う。




さて、

ここまで、僕が始めたサービスにおいて発生した問題というのを三つあげてきたが、君はどう感じただろうか。

僕が生きる今の時代は、「企業 × 個人」で活躍する黎明期であるという話をしたが、君が生きる時代はどのような時代なのだろうか。もし君がこれを読んでいるときに、まだ僕が生きていたら是非教えてくれ。きっと田舎でゆっくり暮らしているだろう僕に。




最後にひとつ

話の途中で、こんなことを伝えていたね

しかしそれでも、街の人に話を聞く必要がある。何故か。それは最後に話そう

これについて纏め、今回は終わろうと思う。


上も下も東も西もわからない知らない街にぐるぐるバットをした状態で突き落とされたような領域。これが、サービスを開始したときの状態である。そして、その街からどうにか進むべき道を見つけようと、目印となる北極星を探そうとする。ただ、どうにもこうにもどれが北極星かわからないから、その街に住む人に訊く。しかし、街の人も北極星が本当にあれなのかもわかっていないし、北極星の先に進むべき道があるのかもわからない。だけど、あれが北極星であり、その先に行きたい場所があると強く想い、信じることで、歩みを進める原動力になる。

だけどね

僕は、サービスを始めてみて、この話はちょっと違うんじゃないかなと気づいたんだ

つまりね、北極星を見つけてその先に進むことはもちろんするんだけど、そうこう生きていくことで、どんどんその街に自分が溶け込んでいくってことなんだ

街の人に話を訊いて、一緒になって北極星を探して、あれじゃないかこれじゃないかって話をして、北極星探すためにみんなで空の観察をしよう!なんか言い出して。すると知らぬ間に、自分が求めていた世界ってこの街のことなんじゃないかって思えてくるんだ

もう少し詳しく言うと、「街のみんなと一緒になって北極星探しをしたことで、知らなかった街が自分が求めている街に変わった」ということ。

僕が求めていた世界は、北極星の先でも、一緒にサービスを始めた相方との会話の中にでもなくて、サービスを開始するときに降り立った、その全く知らない街に始めからあった。ということなんだ。

" その街が気づいたら自分達が求める街になっていた "

だから、街の人に話を訊かなくてはならない。サービスを開始した人たちだけで完結するものなんて何一つない。

求める世界は、自分とみんなで創っていくもの。


そう思ってる。




今月は以上にします

君の時代は今どんな状況だろう?

この話が少しでも君の救いになればと願って、纏めとします。



君の若かりしおじいちゃんより

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