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死はわたしのじゃない。

もはや死とは自分のものではないんじゃないか?
今はそう思う。

生きる意味って、自分の為のものではなく、
周りにいる人達の為のものなのかなと思う。

数年前乳がんだと告げられた時、
あ、手術で悪いの取っちゃえばいいんだな、
そんで治療すればいいんだな、
と結構ライトに捉えた自分がいた。

治療中はまー大変な事もあったけど、
結局快調に今日まで検査はオールクリアで元気に暮らしている。

当時は家族や周りの友達や大切な人達がこぞって
心配してくれてお守りくれたり、願掛け行ってくれたり、声かけてくれたり、免疫アップ情報調べて教えてくれたり、私よりも、周りの人々が、
大いに私っていうものを考えてくれた。

多大な感謝の気持ちの傍ら、当の本人の私は、
まーこういう事も起きて来ますよね、人間なのでね。っていう感じだった。

というのも、そもそも子供の頃から不思議と、
自分の死について怖いとかネガティブな感覚がなくていつその時が来てもただ上にサーーっと行くだけだよな、っていう変な感覚があった。

自分以外の死にについてはその真逆で、
嫌だし悲しいし落ち込んだりするけど、

自分の場合となると、
千鳥の漫才じゃないけど、死ぬ時は死ぬし、
生きる時は生きるみたいな。

だから自分の生死ってものは、
自分がどう思うかとか、
どう考えるとかではなくて、

例えば家族が悲しむから、
愛する人が嫌だと泣くなら、
ひたすら生きる選択をするとか、そうであれば、
きっと自分の死というものは、誰か大切な人たちの為に存在するのかもしれない。

昔キムタクがドラマで言ってたんだよな。
天国は誰かの心の中にあるのかもしれない、
って。

これ結構ピンポイントなんじゃん。
マジgetyou。て思ったの覚えてる。

自分を形成するのはいつだって、自分を取り囲んでくれる周りの人々だったりするんだよな。

こんな文章書きながら、思いだした。
あれは美術専門学校の入試。
あなたの自画像を自由に描きなさい。
どシンプルな問と大きく白い回答欄。

自分のポートレイトを描くのではなく、
その時の周りの友達が輪になるように描いた。
枠めーいっぱいに描いた。

あの時からずっと、そう思ってたんだな。
自由な文章はそういう大事な事を思い出す為の
急に来るチャンスタイムなのだな。



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