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ねじの回転(ヘンリー・ジェイムズ)✶読書感想文

ヘンリー・ジェイムズによる怪奇小説の名作「ねじの回転」を読んだ。

kindle unlimitedにあるのを見つけて、母がダウンロードしてくれた。

原題はthe turn of the screw
そのまま直訳だけれども。
原題を聞いて、学生時代に恩師にも勧められたことを思い出した。
時を経てやっと読むことができた。ありがとうkindle unlimited

物語の始まりはあるクリスマスイブ。語り手はある老人。しかし彼の体験談ではない。老人は自分より10歳年上の女性が書いた手記(の写し)を大事に取っていて、それを、屋敷に集まった皆に朗読してくれるという。
ゴシック小説らしい語り出しである。

田舎牧師の娘が家庭教師の職を得てある洋館にやってきた。彼女の生徒は美しい兄妹。家庭教師は美しい兄妹に心を奪われ、顔を合わせるたびに胸を高鳴らせる。しかしある日、家庭教師は洋館の中に見知らぬ赤毛の粗野な男と、身なりの整った女性をそれぞれみる。実は彼らは家庭教師がこの洋館に来る前、すでに亡くなった人物であった。
2人の亡くなった真相を知るにつれ、家庭教師は良からぬ予感を感じるようになる…。
ゴシック小説らしい亡霊譚である。

最後まで読んでもその印象は変わらず、ゴシック小説らしさを全身に纏った幻想怪奇小説だと感じた。
しかし一見するとプロトタイプの物語には、もう一度そのあとを辿らずにはいられない心理主義小説家ジェイムズの仕掛けた「ねじの回転」(本文中では「ひとひねり、ふたひねり加えた話」の意味)がところどころに隠されている。

そもそも、なんだか不穏な雰囲気が漂い続けそのエッセンスが回収されずに物語が終わってモヤモヤするのはゴシック小説にありがちな展開かと思うが(失礼)、この「ねじの回転」は散りばめられた諸要素が回収されないにも関わらず読んだ後にモヤっとが残らない。
もしや、謎は回収されていたのか?と思いつつ、あとがきを読む。

イギリスのゴシック小説は(中略)新たに到来しつつある社会の構造の中に隠された暴力やその社会で<異常>と見なされる徴候を、異国風の亡霊などのかたちであらわしたものだと考えられている。重要なのは、そこで抑圧されるべき<異常>なもの、言い換えれば<おぞましいもの>や<他者化されるべきもの>が、人々のの欲望を誘うと言うことだ。それゆえ<おぞましいもの>や<他者化されるべきもの>は、亡霊に姿を変えて、さまざまなゴシック小説に繰り返し現れる。

この物語において怖さを喚起するのは、なにかを説明しないまま残して読者の(恐怖)心を征服する、ジェイムズの語りの名人芸である

なるほど、「ねじの回転」はゴシック小説の体を取った巧妙な心理小説であった。
家庭教師は美しい兄妹のことを必死で2人の亡霊から守ろうとする。しかしその亡霊が目に見えているのは家庭教師だけ。
最初は天真爛漫であった美しい兄妹も家庭教師のヒステリックな態度によってだんだんと亡霊にそして家庭教師に対して恐怖心を抱くようになる。
家庭教師はその姿を見て兄妹を亡霊から救わねばという気持ちをいよいよ高ぶらせていく。

改めて考えると、その亡霊は家庭教師にしか見えていないのであって、いたのかいなかったのか、それ自体不安になってくる。
さらに先述の通り家庭教師は美しい兄妹に強く惹かれていた。
そう考えると家庭教師は亡霊譚をでっち上げて、彼らからの信頼を、亡霊の助けを借りて一身に得たかったのかもしれない。
しかしながら、本当に亡霊はいたのかもしれない。こうやって読者に疑われながら家庭教師は今も亡霊が出たという事実を知ってもらいたいと思っているかもしれない。
またはその両方で、亡霊は兄妹に心を奪われた家庭教師が2人の想いを得るために出現させた幻想だったのかもしれない。
さらには元を正せばこの物語は全てクリスマスイブにある老人が手記の“書き写し”を朗読しているものであって、それ自体が男性の創作かもしれない。
答え出さずにいたのではなく、答えがないことこそが不気味さを演出する要素であった。

この物語はひとつの結末を迎えるために書かれたものではない。
人の恐怖や不安を、ゴシック小説の形を取ってそのまま読者に抱かせるという、ジェイムズのあっぱれな名人芸的小説であった。

tyl✶

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