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社会人1年目の読書感想文#3「星の子」今村夏子

「信じる」とは、どういうことなのかと考えてみると

これが結構難しい。


主演の芦田愛菜さんが


「信じるということは、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな。』…

といっていたけれど、本当にそうだよなぁ。とこの本を読んで思った。


「星の子」


この本は「あやしい宗教」にのめり込んだ両親を持つちひろと、ちひろの周りの人たちとを描くお話。


ところで、「あやしい宗教」とは何なのだろうか。

効果のよくわからない水をかわされることかもしれない。

よくわからない言葉を唱えされられることとか

何をしているのかわからない集会に通っていることなのかもしれない。

日本人の多くは無宗教で、お正月には初詣に行きクリスマスを祝う民族なのでもしかすると「ひとつのこと」を信じる人々が盲目に見えてしまい、あやしいと感じるのかもしれない。

とにかく、「自分の知っているもの・信じているもの以外」が怪しく思えるのではないだろうか。(もちろん、よくわからないものを売りつけたりするのは悪徳だからよくない)



このストーリーの中で、両親はその宗教を信じ続けたし

ちひろはその両親を信じ続けた。

信じることって難しい。

両親は「ちひろを思う気持ち」故にその宗教にのめり込んだ。

ちひろは、それをわかっていたから良心を信じ続けたのかもしれない。

たとえ、自分が好きな相手になんと言われようと。

クラスメイトに「あの子あやしい宗教入ってるよ」と言われようと。

姉のまーちゃんは、家を出ていってしまったけれど

それも、もしかすると「両親を思う気持ち」や宗教に入る前の家族のかたちをずっと思ってきたが故に宗教のままに行動する両親を見ていられなくなったのかもしれない。


信じることとは

相手の行動や思想のすべてを、一度受け止めることではないかと思う。

受け入れるのではない。

相手の思ったことや、発した言葉

どうしてそう思ったのか、なぜ今それを発したのか。

自分の中の「信じるもの」と、相手の行動の両方を比べてみて

「受け入れる」のか、「受け止める」のか

はたまた「距離を取る(精神的にも物理的にも)」のか。


自分の理想や考えと異なっていたからと拒否するのではなく

「相手自身」をまずは受け止める姿勢が「信じる」なのではないかと思う。

受け止めると受け入れるって似ているけれど違うと思う。

私もそう思う、それがいいと思うとそれを自分の行動や考えに取り入れられることが「受け入れる」

わたしはそう思わないけれど、相手がそう思っているなら相手にとってはそれが正解なのかもしれない。と言うのが受け止めるなのではないかと思う。


どれが正解の信じるなのかはわからない。


「こうやって、ちーちゃんと同じ方角見てれば見えるかな…」

というお母さんの丘での言葉は「信じる」という言葉を表しているのかもしれない。

相手と同じ方向を向いてみること。

その方向に一体何が見えるのか

そこに見えるものは、なんなのか。


見たものは想像を超えるかもしれない。



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