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#159江戸時代の贈答品-どんな食べ物を贈っていたか

 普段、調査の際に史料を読んでいると、つい食べ物の名前が出てくると気になってしまいます。史料の中で食べ物の名前が出てくる場合は、おおむね飲食費の支払いなどの際か、贈答品の場合が多いように思います。今回は史料の中で出てきた贈答品についてみていきたいと思います。何度も引用しておりますが、「#055武士と百姓の友情はあり得るか?-食と歴史にまつわる、あれこれ」において登場している、浜松藩の岡村黙之助について、地域の庄屋層の人々とのやり取りの書状が多く残されています。

 その中で岡村黙之助が出張先などで購入したお土産を送っている様子が見受けられます。例えば、近江国蒲生郡八幡村(現在の滋賀県近江八幡市)に出張で行った際には、赤こんにゃくを購入しています。赤こんにゃくは、赤唐辛子でも多く入っているのではないかと思われる見た目ですが、色は三二酸化鉄の鉄分によって赤く色づけられていおり、こんにゃく特有の臭みがなく、ぷりぷりした食感が特徴があります。現在でも冠婚葬祭や学校給食には欠かせない郷土の味となっていますが、いつごろから存在しているのかはつまびらかではありませんが、既に江戸時代後半には生産されており、江戸時代後半の風俗を詳細に記した『守貞謾稿』という本には「江州八幡ノ製ヲ良トス」(第五巻、六二頁)とあり、その色については触れていませんが、どうも赤こんにゃくを指すであろうものについての記載があります。

 その他にも、岡村黙之助が京都へ出張に行った際に送った土産として、ちまきがあります。こちらは史料の中では「川端道喜」を送ると記されています。川端道喜は一六世紀初頭からの餅屋で、特にちまきが有名で、戦国期には貧窮する天皇家のために御所へちまきを運んだという謂れがある店で、千利休ら茶人らも茶事の際に川端道喜のちまきを使用したという記録も残っています。この川端道喜のちまきですが、ほかの店と形状が異なっていたようで、『守貞謾稿』では、「道喜粽」として「道喜粽ノ未包物」「道喜粽図」として笹の葉でくるまれている状態と、包みを剥いた状態の物とを図示(四巻、一一六頁)して示しているほど、著名なものだったようです。この川端道喜のちまきについて、当代のご主人が本も出されているので、京都の和菓子と店の歴史について知る際には役に立つので、ご興味のある方は図書館などで見てみてはいかがでしょうか。

 最近調査している庄屋文書では、宮津藩へ大名貸しをしている関係から歳末には贈答品をもらっている記録が出てきます。その中に「宮津産塩鰤」というのがありました。農林水産省のHPに掲載されている「京都府の農林水産業の概要」のうち、「京都府内の各地域の農林水産物」(二頁)を見ると、丹後地方の項目として水産物に鰤が挙げられており、また、宮津市のHPにおいても鰤を推しており、現在も宮津では鰤が特産品として名高いことが見て取れます。塩鰤は、内臓を取り出して塩をすりこんで熟成させたもので、江戸時代の当時では輸送の問題からこのようにして遠隔地へ鰤を出荷していたのでしょう。

https://www.maff.go.jp/j/kanbo/tiho/attach/pdf/todouhuken_gaiyou-24.pdf

 今回、贈答品として挙げたものは、筆者の管見ではありますが、現在も当該地域で名産品として知られたもので、ほんの一例にすぎません。このように史料を読むことから、その土地土地の名産品を知り、それを契機に現地へ足を運んで実際に食べてみるというのも、地域の歴史を知る方法の一つといえるでしょう。

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