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#040コロッケについて考えるー食と歴史にまつわる、あれこれ

 8月も終盤になり、子どもたちにとっては夏休みが終わり、2学期が始まる頃になってきました。ご多聞に漏れず、うちの子どもたちも遊び惚けていて、夏休みの終わりが見えてきたころから宿題に慌てだすという有様でした。小学生の娘は自由研究に困っていたので、一緒に何かをして、その記録を取るのはどうかと提案したところ、料理をしてその様子を写真に撮影して、手順を記録していくようにし、同じ品目をお父さんとお母さんの2通り作って、それを比較する、というようなことを思いついたようで、ではやってみなさい、ということで、一緒に料理をすることになりました。メニューは何にするかと思案していたところ、子どもからコロッケがいいという案が出て、以前にも一緒に作ったこともあるメニューでもある事から、コロッケを題材に自由研究をするということになりました。結局、筆者と作業は一緒に出来たものの、妻とは時間が取れなくて、両者の調理の比較にまでは到達出来なかったのですが、まぁ一応宿題としては完成することが出来ました。この段取りの際に妻と話していて、筆者の作るものはジャガイモを蒸して崩したところにみじん切りにした玉ねぎ、ひき肉を入れて混ぜる、という方法で作っていたのですが、妻のやり方では、ひき肉と玉ねぎを炒めたものをジャガイモを蒸して崩したところに入れる、と少し手順が異なっていました。筆者はハンバーグを作る際も瑞々しい玉ねぎが入っている方が好みなので、炒めずに生の玉ねぎを入れるので、それと同じ理屈で炒めていなかったのですが、現在でもクックパッドなどを見ると、上記の2通りの作り方の双方ともが流布しているようでした。

 このように家庭内でも作り方が異なったりしているので、西洋料理が導入された明治時代以降で、どのようにしてコロッケを作っていたのかが気になってきたので、国立国会図書館のデジタルコレクションで調べてみました。すると、西洋料理が定着していく過程で、面白い作り方やバリエーションがあることが判り、なかなか興味深かったので、今回はその中からいくつかをご紹介してみます。

 まず最初に、赤堀吉松ほか『洋食五百種 家庭応用』(新橋書店、1907年12月)から。こちらは明治40年(1907)に刊行されたものです。目次にはスープ、フライなどと並んで7番目に「コロッケ類の調理法」(P60)と登場します。その中には、オイスターコロッケ、ミンチコロッケ、ヴィールコロッケ、ビーフコロッケ、ハムコロッケ、チッキンコロッケと6種のものが掲載されています。ここで判りにくいのはヴィールでしょうか。漢字では犢牛と書かれて「こうし」とルビが振られていますので、子牛と同じです。フランス語で「veau」と書き、「ヴォー」と発音するようですね。一番聞き馴染みのある言葉では、「フォン・ド・ヴォー」という言葉を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。いわゆる子牛の骨、肉からとったスープです。横道に逸れましたが、筆者は俄然オイスターコロッケが気になりました。作り方を見てみると、蛎を茹でて、茹で上がったところを刻み、ゆでたジャガイモを崩したものの中に入れて混ぜて小判型に丸め、溶き卵に通した後にパン粉をまぶし、きつね色になるまで揚げる、とあります。なるほど、肉の代わりに刻んだ蛎が入るわけです。何だか刻んでしまうのがもったいないような気もします。しかし、これを読んでいる際に、次の項目のミンチコロッケの作り方が目に入り、驚きました。まずジャガイモを茹でて、その間に肉を包丁の背でたたいて細かくし、茹で上がったジャガイモを裏ごしします。ここからが意味が読み取りにくいのですが、ジャガイモと共に肉、玉ねぎをバターで炒める、あるいは肉、玉ねぎのみを炒め、塩、胡椒、牛乳で調味する。炒め終わったところで、裏ごししたジャガイモ(どうやら半分は残しておかないといけないように読めます)を掌に乗せ、先の炒めたジャガイモ、肉、玉ねぎ、あるいは肉、玉ねぎを大福もちを作るような要領で包み込む。その後で溶き卵に通して、パン粉をまぶし、きつね色になるまで揚げる、となっています。どうも具が中心に集まっている、現在のものとは異なるスタイルのミンチコロッケが出来上がるようです。

 次に、緑葉女史『洋食のおけいこ 来客御馳走』(和田文宝堂、1912年1月)を見てみましょう。こちらは大正元年(1912)に発刊されたものです。こちらは料理を分類しておらず、エビフライやハヤシビーフ(ハヤシライス)などと共に羅列された中の1つとして14ページに出てきます。ここでは、牛肉または鶏肉を叩いて細かくし、薄く丸めて小麦粉をまぶし、溶き卵に通してパン粉をまぶしてきつね色になるまで揚げる、とあります。ジャガイモの記載がここでは全くないので、どうもこの調理法ではコロッケではなく、ビーフミンチカツかチキンミンチカツになってしまいます。ちなみにこの本にある「カツレツ類の調理法」の項目にミンチカツレツが掲載されているのですが、牛肉、豚肉、鶏肉いずれかを細かく刻んだところへみじん切りにした玉ねぎを混ぜて、とあるので、ほとんど同様の作り方が記載されています。ミンチカツはミンチカツで掲載されているので、もしかしたら、コロッケの項目では、ジャガイモを入れる工程を全く記載し忘れた、ということなのかも知れません。

 さらに時が進んで大正7年(1918)に刊行された、中野常盤『割烹教科書』(山口割烹講習所、1918年)を見てみましょう。ここでは第9章で取り扱われており、第9章2「フイシヤーコロツケ」(P49)、3「ビーフコロツケ」(P50)の2種が登場します。「フイシヤーコロツケ」はフィッシュコロッケですね。ここでは魚の種類については言及されていませんが、まず焼き魚を作って骨を取り去って、身を細かくする。茹でたジャガイモを押しつぶして、その中に先ほどの焼き魚のほぐした身を混ぜ込み、小判型に丸めて小麦粉をまぶして溶き卵に通し、パン粉をまぶして、きつね色になるまで揚げる、とあります。魚の種類が書いていないので、種類によっては味に良し悪しがありそうですが、作り方は玉ねぎが入っていないものの、至って現在のコロッケに近いですね。ビーフコロッケの方はというと、みじん切りの玉ねぎと叩いて細かくした肉を炒め煮にし、火が通ったところでまな板の上に取り出して冷まし、ゆでたジャガイモをつぶして先の具と混ぜ合わせて小判型に丸め、小麦粉をまぶして溶き卵に通し、パン粉をまぶしてきつね色になるまで揚げる、とあります。それぞれの細かな分量は書いていないものの、完全に現在の我々の知るコロッケになっています。

 こちらは大正12年(1923)刊行の、阪口幸『実用西洋料理』(1923年)。この本には「コロツケー類」として一項目が立てられており、「チツキン」「ハム」「オイスター」「ビーフ」の4種のコロッケの調理法が掲載されています。これら4種のコロッケはP23~P26に掲載されているのですが、蛎はジャガイモに混ぜ込んタイプのコロッケ、鶏肉、ハム、牛肉については先の『洋食五百種』に掲載されている形式の茹でたジャガイモで肉を饅頭のように包み込むタイプが紹介されています。再び饅頭型が出てくるということは、まだこの頃には、コロッケの調理法が定式化されていないということなのかも知れません。

 昭和元年(1926)刊行の村井節子『新しい家庭向西洋料理』(緑藤社、1926年)では、「魚肉の料理」の項目に「鯛のコロツケー」(P60)が掲載されています。先の『割烹教科書』にも魚のコロッケは出てきましたが、そちらには魚の種類の記載がありませんでしたが、ここでは鯛に限定されています。こちらの調理法は、鯛を茹でて身をほぐし、塩、胡椒で調味し、グリンピースを加えます。良く茹でたジャガイモを裏ごしし、鯛の身を丸く包んで卵型にし、小麦粉をまぶして溶き卵にくぐらせ、パン粉をまぶしてきつね色になるまで油で揚げる、となっています。先の『実用西洋料理』と同様で、こちらも饅頭形式のコロッケになっています。

 今回は国会図書館デジタルコレクションから明治から昭和初年にかけての、気軽に見ることが出来る料理書でコロッケの調理法を見てみました。悉皆的に料理書を見たわけではありませんので、きちんとした変遷とは言えないかとは思いますが、意外と我々の知る現在の姿に行ったり来たりして、なかなか定式化しなかったように感じられました。参考にした明治から昭和の料理書は、それぞれ公開先のURLを貼り付けてありますので、ご興味のある方は実際にどんな風に書かれてあるかを読んでみていただければと思います。個人的には、中心に具が集まっているというのは、何だか肉まんやスコッチエッグみたいだなぁ、という感想を持ち、面白がっていましたが、ネットなどの記事を見ていたら、最近は衣、ジャガイモ、具と二層仕立てのコロッケというのもあるようです。そうすると、もともと明治時代に既にあったスタイルなので、現在目新しいと思われているものは、実は先祖返りしているということなのかも知れませんね。また何か面白いものを見つけたら、逐次紹介していきたいと思います。





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