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#086古文書講座での学び―研究者の常識、一般の常識(五)

 引き続き、小ネタを書いてみたいと思います。今回は江戸時代の村の生活について紹介します。
 現在の我々の感覚としたら、江戸時代には男性が野良仕事を行って、女性は家事全般を行っているという印象をお持ちの方が多いのではないでしょうか。もちろん農業の主たる労働力は男性であったでしょうが、女性も大きな労働力として期待されていました。男性は力の必要な農作業を行い、女性はその補助を行う。また日暮れ後は、男女とも縄綯いやわらじ、編み笠、蓑などを作る作業を行ったり、あるいは木綿の盛んな所であれば、綿糸を作る、あるいはその糸から機織りをする、ということが行われており、男女ともに自宅で本業の農業以外の、いわゆる余業としての作業を時間の許す限り行っていたことでしょう。
 このように、男女ともに一日のかなりの時間を労働に割いているため、いわゆる専業主婦のように女性が家事全般をこなすことが難しかったようです。筆者の調査した地域では、明治初年にはなりますが、余業調査において村のどの家も余業を行っており、中でも村の全戸数の実に三分の一が「煮売り屋」を営んでいました。この村は村の三分の一が煮売り屋、つまりお惣菜屋さんだった、ということです。これは何を表しているのでしょうか。宿場町などのいわゆる繁華街であればそれも得心出来ますが、普通の農村の中で三分の一が飲食店営業をしているのはどういう意味なのか。普通の農村で飲食店営業をするということは、それを利用する人がいるということでしょう。一体だれが利用しているのか?実はその地域の住民が利用しているのです。これはどういうことかというと、男女ともに本業である農業、副収入を得るための余業に日々いそしんでいるため、家事にまで手が回らない、そのため食事の際のおかずはお総菜を買ってきて済ませている、という状況をこの数字が表しているといえます。つまり江戸時代の女性はそれほど炊事をしておらず、お総菜を買ってきて、食事のための労働時間を短縮していた、ということです。
 何となく、古い時代であればあるほど、女性は家事労働に追われており、専業主婦をしていた、と思われがちですが、専業主婦は昭和の戦後に大量発生した特殊な状況であって、それ以前の時代には、女性も男性と対等なくらいに労働力として期待されており、家事労働を簡便にして、本業である農業や副収入を得るための余業に多くの時間を割いていた、と言えるでしょう。とはいえ、この例は大阪近郊の農村であるため、農地についても地味が良く、また都市近郊ということで余業でも金銭の入手が比較的簡単な地域であるため、全国一律とまでは言えないでしょうが、このようにかなり現代ナイズされた労働形態、食生活を江戸時代にも過ごされていたということが言えるかと思います。

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