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#143信仰とツアーリズム(一)-身近な身近な史跡、文化財の楽しみ方(21)

 二〇二三年一二月に史跡見学会の講師の依頼を受け、大阪府東大阪市にある石切劔箭神社から枚岡神社までを歩きました。今回はその際のお話です。
 史跡見学会の目的が「『河内名所図会』を歩く」となっていたのですが、 如何せんこちらの専門は近代史なので、『河内名所図会』に掲載されている場所を歩きましたが、解説は近代にかなり偏ったものとなりました。

 近鉄奈良線の石切駅を出発点として見学会を開始し、石切劔箭神社の下之社へ向かう参道を歩きました。
 石切劔箭神社は延喜式神名帳にも記載されている歴史ある神社ですが、上之社と下之社の二つから構成されています。今回は下之社の方向の西へ向けて参道を歩きましたが、南へ向けて歩くと上之社があります。こちらは明治以降に神社の統廃合で下之社に合祀され、戦後に復活しています。そのため、玉垣や灯篭などは一九七〇年代以降のものばかりのため、史跡見学としては面白みに欠けるので、今回は見学のコースから外しています。
 まず石切駅を大阪方面へ線路沿いに南下すると下之社に向けての参道が始まります。参道入口には「歓迎 石切へようこそ」と書かれた看板があり、その右隣には「石切神社参道西六丁」と文字の彫られた灯篭があります。これらの背後に、なかなか気づきにくいですが、石切の旧駅の階段とホームが見えます。旧駅は現在の駅より若干大阪方面よりにあり、「千手寺前駅(あるいは石切千手寺前駅とも)」という名称でした。この駅は近鉄の前身である大阪電気軌道の駅で、大正三年に開業しています。灯篭から西に参道を下ると「石切参道商店街」の店舗が参道沿いにずらりと並んでいます。これらの商店街は大正三年の駅の開業以降につくられたものです。

「石切神社参道西六丁」と文字の彫られた灯篭
灯篭左手から西側を見ると、昔の駅舎の階段が見えます。

 参道を西へ少し下ると、『河内名所図会』に掲載さ入れている千手寺の入口が見えてきます。千手寺は、河内八十八所札所となっている寺院です。参道からの入口には大正時代の灯篭があるため、千手寺前駅が出来てから新たに設けられた入り口であることが判ります。ここからさらに奥に進むと本堂が見えてきます。こちらの本堂には木造千手観音立像(東大阪市指定文化財)が祀られています。寺の由緒としては、『河内名所図会』によると、空海がこの寺に逗留していた際に枕元に立った善女竜王から補陀落山の香木を与えられ、そこから千手観音を彫って本尊としたという伝承があります。この千手観音は、後に深野池に投棄されていたところを在原業平により拾われて、元通り本尊として収まったとも『河内名所図会』に書かれています。

千手寺本堂

 本堂から西へ進むと山門があり、本来はこちらが元々の正規の入口になります。山門を出ると、先の千手観音拾得の逸話と関連して、在原業平が腰を掛けたとされる石があり、「在原業平腰掛石」という標柱がそばにあります。
 千手寺については、『河内名所図会』には文章のみで、残念ながら当時の様子を描いた絵は描かれていませんので、現在との比較は出来ないようになっています。

「在原業平腰掛石」という標柱とその後ろの腰掛石

 今回はこれくらいにしまして、次回は史跡見学の続きの千手寺から正興寺までの史跡について紹介したいと思います。
 


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