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#033値引きにときめきは感じるかー食と歴史にまつわる、あれこれ

 今回も東京出張にまつわる、食に関係したお話を。

 前回は明治新聞雑誌文庫に出張に行った時のエピソードでしたが、今回は10年ほど前に東京大学史料編纂所に出張に行った際のお話です。前回も含めて、それぞれの施設の内容などには直接関係しない、与太話ですので、気軽に読んでいただければと思います。

 東京大学史料編纂所は、江戸幕府の修史事業を明治新政府が引き継いだところからスタートしている組織で、組織的な紆余曲折を経て、現在の名称になったのは昭和4年(1929)からだそうです。詳しい沿革は下記をご覧いただければと思います。

 東京大学史料編纂所は、筆者が明治以降のことを中心に研究していることもあり、それまでにあまり縁のない施設で、この時の訪問は初めて機会でした。調査に行くきっかけは、当時仕事をしていた歴史の本を編集する職場にで、筆者は近現代史担当でしたが、中世史の本が出るにあたって、中世史担当者より史料が読めるし、経験が豊富だからということで、上司の一存で時代が違うにもかかわらず、代わりに原本校正をしてくるように、ということで出張することになりました。史料閲覧の手続きなどは中世史の担当者がしてくれていたので、ただ現地へ行って校正するだけのはずでした。はず、というのは、現地で思わぬトラブルが発生したことによります。そのトラブルは、閲覧申請書を事前に送っていなかった、ということが判明したからです。自身の担当している部分であれば、手続きをしたかどうかももちろん判る訳ですが、何せ直接自分が担当していない部分だったので、完全に担当者任せで進めていたことがまずかった。現地に行ったにもかかわらず、原本が見ることが出来ないというありさまに陥りました。不幸中の幸いで、原本校正する史料のいくつかは、影写本があったので、原本とは言えないまでも、校正してわずかながらでも、東京着後の朝からの時間を無為に過ごすことを防ぐことは出来ました。

 しかし、この段階で15時ごろになっており、出張初日の大半をかなり無駄に過ごすという状態だったので、本来は初日にここでの仕事を終えて、明日は朝から次の施設へ閲覧に行くという予定が、全く崩れてしまい、自分は何をしに東京に出張に来たのだろう、明日はどうしたものか、などと、ふつふつと手続きの不備に対する怒りだったり、不備に気付かなかった自分の情けなさだったりが湧いてきました。そういう様子を見兼ねてなのか、史料編纂所の受付担当者から、直前まで中世史の担当者と書類のやり取りをしていたので、きちんと書式は出来ていたんですけどねぇ、あとは公印を押すだけだったんですけど…、と話しかけられて、その瞬間に、書類はほぼ完成していということに、はたと気付かされました。その場で受付担当者に、公印を押してないだけ、ということを再度確認して、公印を押してFAXでお送りして、原本を後送することで閲覧出来ないか?と交渉して、翌日からなら閲覧許可を出しますよ、という回答を得て、即、職場へ電話し、担当者にすぐに公印を押して、史料編纂所にFAXで送信し、原本を郵送するように指示(といっても同僚なんですが…)して、翌日からは何とか原本校正が出来ることになりました。

 何とか出張を無為に過ごすことは避けることが出来ましたが、半日以上のロスになったことで、その日は徒労感で一杯になっていました。この気持ちをどうすればいいか、と思いながら、初日の宿へと帰路に着いていたところで、これは東京のうまいものでも食べて、飲まないとやっていられない!となり、少し足を延ばして東京駅まで行って、大丸東京店のデパートの地下街でいろいろ買って帰ってホテルで晩酌だ、と心に決め、一路大丸東京店のデパ地下へ。大丸東京店に到着したのが18時ごろ。一旦、何を食べようかと物色しつつ、デパ地下を一周回りましたが、東京で天ぷらとうなぎを食べたことが無かったな、と思い、狙いをその2品に定めて、どの店のものが良いかを考えながらさらに一周回りましたが、それぞれがそれなりの値段がします。ここが関西人の性でしょうか、どうせなら2品ともしっかり食べたいので、値引きされるのを待とう、と思い、一旦その場を離れ、家や職場への土産を物色するために八重洲の地下街へと向かいました。大体1時間くらい土産物を見て、そろそろ頃合いかと、19時頃に再び大丸東京店のデパ地下へ。また一周回りましたが、特段まだ値引きされていないので、もう一度その場を離れて土産物を見ながら時間をつぶしました。30分経過したところで、三度デパ地下へ行きましたが、まだ値引きされていません。止むを得ないと思い、また土産物売り場を見て回って、30分程経過し、20時になっているので、さすがに値引きされているだろうという期待を抱きながら四度デパ地下へ。しかし、全く値引きがなされていない。これはどういうことだろう、と思い、周りを見てはっとしました。ここは大阪や京都と違い、いつまでもたくさんの人が行き来をする東京駅だと。何時になっても買ってくれるお客さんがいるので、閉店間際であっても強気の商売をしても、誰もが買って帰ってくれる、と。よく観察すると、デパ地下のどの店も全く値引きをしていませんでした。さすが日本一の大都会の東京だと、感心しつつも、仕方なく原価で天ぷらとうなぎの蒲焼きを買って、ホテルの一室で敗北感を感じながら、夕食を取る、ということになりました。

 まあ、大して史料編纂所の下りは関係ないですし、どのあたりが歴史の話かと問われると甚だ問題もあるかと思いますが、値引きをするかしないかという、関西と関東の文化の違いを大きく感じた出来事ではありました。この話を少し年上の研究者にしたところ、19時段階まで話したところでオチまで指摘されてしまいました。その方も筆者と同じことを以前にしたことがあるそうです。

 この値引きの件は、関東出身者の何人かに聞いて回りましたが、これは東京駅だからではないか、うちの近隣ではデパ地下では閉店間際では値引きが決行されている、というお話もうかがいました。ということは、関東そのもの文化というよりは東京駅という非常にたくさんの人の行き来が行われる駅の特殊性ということかも知れません。まぁ、今になって考えると、江戸時代などではどこの地域でも値切り交渉というのは行われていたんでしょうから、一概に関東の特殊性とは言えないでしょう。十返舎一九『東海道中膝栗毛』にも値引かれた梯子を購入してしまう話というのも確かあったことと思います。(ざっと探したところ、下記の国立国会図書館に所蔵の絵入りのものにも梯子を持って宿屋に泊まる様子が描かれています。)

 今回は(も?)少し歴史的なことや食べ物の話から外れますが、食文化に関する関東と関西の差を、個人的に大きく感じた出来事ということで紹介させていただきました。あくまで個人的な経験ですので、先の筆者が周りの関東人に聞いた話でも場所によっての違いもあることは歴然としてますので、関西人の「買い物は安く出来てナンボ」という気質の一例として、お笑いいただければと思います。


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