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#074石造物はどこへ-身近な史跡、文化財の楽しみ方(15)

 先日、「京都新聞」で次のような記事を読みました。「校庭地中から戦前の石碑」という見出しで、京都市東山区にあった元・新道小学校の跡地がホテル建設に伴い解体工事を行っており、その工事の機会に校庭に埋めたタイムカプセルをさがすことをしていた卒業生らが、偶然にも戦前の石碑が校庭に埋没していたのを発見した、という記事です(2022年5月21日付24面、市民版)。(下記に京都新聞デジタル版のリンク先を張り付けておきますが、京都新聞デジタルの有料会員向けになっています。)

 この記事によると、皇紀二六〇〇年の記念として新道小学校に設置された記念碑で、GHQの目を憚って終戦直後に校庭に埋めたものだろうとのことでした。学校の記録にも全く記載がなく、今まで全く省みられたことのないもののようでした。この記事では、この発見された石碑が今後どうなるのかまでは触れられていませんが、学校の敷地も失われることですので、おそらく処分されてしまうのでしょう。

 あるいは以前に、地域に残る石碑を残すかどうかということを話題した記事も読みました。こちらは京都府八幡市の橋本地区にかんするもので、2020年9月12日付「京都新聞」に掲載のものです(現在、京都新聞デジタルからは削除されています)。「遊郭の石碑、保存か撤去か 「負の歴史」「貴重な歴史資料」再整備で歌舞練場は今夏取り壊し 京都・橋本地区」という見出しの記事で、淀川べりで石清水八幡宮のお膝もとでもあり、対岸の大山崎町にある離宮八幡宮へ渡る渡し場のあった橋本地区には遊郭があり、その場所に関する記事です。この遊郭であったことを表す石碑ですが、現地では残すか破棄するかで問題になてるようです。破棄する立場では、地域に残る府の歴史として、もう思い出したくない人もいるだろうから、ということや、あるいは地域にとって不名誉なことと感じるために、石碑をなくしてしまいたい、ということのようです。一方で残す立場では、性風俗に関わったという、現代的にはマイナスイメージのことであっても、負の歴史として残しておくべきだ、ということや、破却してしまうと歴史的な遺物が失われて、取り返しがつかない、ということなどが挙げられるでしょう。
 別な地域の例として、三重県亀山市にある東海道の宿場町・関宿(せきじゅく)などでは、町の再開発の際に、どこに何があったかの記録を取られており、芸妓置屋などがどこにあったか道路にプレートを嵌めて、過去に何があったが判るようにしている所もあります。このような例もあるので、その地域地域によって受け取り方は異なるかと思いますが、負の歴史も残されている地域があることは記憶にとどめておく必要はあるでしょう。

 先だって、原稿執筆のために対象地域を写真撮影して歩いている際に、以下に掲げる写真のものを見つけました。

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二宮金次郎像(背面)

 上の写真は、最近廃校になった明治期以来の歴史のある小学校の校庭で、台座から外されて放置されている二宮金次郎像です。この二宮金次郎像は、筆者の方に背を向けていますが、明らかに新しいものではなく、古くからこの学校に伝わっていたものでしょう。
 下の写真は「大楠公、小楠公、桜井の別れ」の像でしょう。こちらも台座から外されて、校庭に直接置かれています。これは大楠公(楠木正成)が湊川の戦に赴く際に、小楠公(楠木正行)と西国街道の宿駅である桜井駅で別れたという故事を描いた像です。

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大楠公、小楠公像
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大楠公、小楠公像。どうも2体が対面してたのではなく、横並びだったよう。

 大阪府三島郡島本町にある、桜井の別れの現場である史跡・桜井駅には、「大楠公、小楠公、桜井の別れ」の像が現在も残されています。こちらの像は二人が対面で設置されています。しかし、この小学校の物は横並びに並んでいます。概ね筆者の見たところでは、対面しているように作られるのが通例のように思いますが、このような横並びの例もあるようです。
 これらの像は廃校に伴い、現在は校庭に放置されていますが、いずれこの学校の敷地が別な用途で使用される際には、失われてしまうのでしょう。

 このように戦前の皇国史観を示すような石碑や石像など、または先の新聞記事にあるような遊郭など現在的にはマイナスイメージで捉えられてしまうものの記録や石碑などは、意図してか意図せずかに関わらず、失われていきやすい文化財と言えるでしょう。
 歴史的な資料は破棄、破却してしまうと二度と取り返しがつかないものです。しかし、歴史資料、文化財は残して然るべきもの、ということは、歴史の研究に携わるものとしては声高に言いたいところですが、さりとて現在地域に住む人々や関係者の不利益を押してまで残す必要があるのかと言われてしまうと判断が難しいところです。少し異なりますが、時々ある事例として、折角マイホームを建築しようとして工事をはじめたら、自分の購入した土地から思わぬ遺跡が出て来た、ということなどがあります。自分の立場でそのようなことが起これば、と思うと、ぞっとします。あるいは、日本の敗戦時に戦争関係の役場資料等が大量に破棄、焼却されて失われてているということも時々報道されていると思います。史料や史跡、文化財は、それらが作られた時代から時を経るごとに、望むと望まざるとにかかわらず、徐々に失われていっているというのも事実です。そのため、現在生きている人のが不利益を被ってまで、史跡や文化財を残さないといけない、というのは違うとは思いますが、マイナスイメージを持つ歴史的事実や史跡、負の歴史を示すような資料などに対しても、その歴史的事実が後世に伝わるように、出来るだけ理解が広まって、可能な限り地域で生活する人々に不利益とならない形で後世に残されるようになっていって欲しいと思います。

いただいたサポートは、史料調査、資料の収集に充てて、論文執筆などの形で出来るだけ皆さんへ還元していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。