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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】 きっとここにしかない喫茶店で(15)
第十四話はこちらです。
第十五話
「話には聞いていたけど、おもしろい人たちだったね」
タクミはベンチに座りながら、フラットホワイトに口をつけた。
「これ、すごいおいしいよ⋯⋯」
タクミはしっかり味わった後で紙のカップを見つめながらそう言った。すっかり気に入ったようで、目を輝かせながら何度も飲んでいる。その様子を見て、ミカもカップに口をつけた。ゆっくり味わいたかったので、良い場所が見つかるまで我慢していたのだ。
「本当だ⋯⋯おいしい⋯⋯」
口に液が入ってきた瞬間、芳醇な香りが広がった。これまでミカはラテやカプチーノを何度も飲んだことがあったが、このフラットホワイトはその中で一番フルーティな香りがした。苦味は強いがミルクと混ざり合ってふっと消えてしまう。ミルクティーのようだと言うのはさすがに大袈裟だが、初めて飲む味にミカは衝撃を受けた。
ミカとタクミは目を見合わせ、つい笑ってしまった。あんなにお茶目なマスターからこういうものが飛び出してくるというのがai's cafeの面白さでもあるのかもしれない。
「きっとこれもおいしいよね」
ミカはタクミが取り出したキャラメルブロンディを受け取った。小ぶりだが見た目以上に重みがあるようだ。
ミカは包装をとって、ブロンディにかじりついた。すると予想通りに中がしっかり詰まっていた。木の実のカリッとした食感に心を弾ませながら味わうと、濃厚な甘みがやって来た。甘さ自体はマスターの話通り控えめなのだが、コクがあって濃度が高いのだ。そこに木の実の香ばしさとキャラメルの苦味が複雑に絡み合って、しっかりとした存在感を見せている。
「濃厚なんだけど食べやすい⋯⋯メイプルの味とも違うけどコクがあるのは似ているよね」
タクミの言葉にミカは頷いた。ブロンディを食べた後、フラットホワイトを飲んでしまったらもう止まらない。どちらにもコクがあり、苦味や香りがあるのだが、それぞれは別種で補完しあっている。まるでお互いを補い合うように作られたのだと思ってしまうほど、噛み合っている組み合わせだ。
「さすがマスター」
ai's cafeのメニューの特徴なのだが、食事もお菓子も飲み物もするすると入ってきて、すぐに食べてしまう。おいしかったブロンディもフラットホワイトもあと一口ほどで終わると気がついたとき、ミカは名残惜しさを感じた。
この時間が続けば良いと思うけれど、中途半端なままでずっと居られる訳ではないことはミカが一番よく分かっていた。こんな時間をこれからも作っていける関係になろうとしなければ、いずれ全てがなくなってしまう。
ミカはお菓子とコーヒーを一気に飲み込むと、先に食べ終わって空を眺めていたタクミの方に身体を向けた。
「タクミくん、今日は来てよかったよ。マスターたちとも会えたし、良い音楽や食べ物に出会えちゃった。それに何よりタクミくんといられてすごく楽しかったなぁ」
話しながら、ミカは突然空気が薄くなって来たように感じた。ちゃんと息を吸っているはずなのに息苦しい。
「僕もミカちゃんと来れて良かったよ。やっぱりミカちゃんといると楽しいよ。本当に好きだって思うんだ」
高鳴る鼓動の音を聞きながらタクミの顔を見ると、彼は太めの眉を落とし、口を真一文字に結んでいた。タクミがそんな苦しそうな顔をしているのをミカは初めて見た。
だが、すぐその理由に気がついた。タクミがこうやって好意を口にするとき、いつの頃からかミカは目を背けるようになってしまっていたのだ。反応はしていたし、嬉しかったはずだけれど、いつもミカは曖昧で明確な態度を取ることはなかった。そんな自分の態度がずっとタクミを傷つけていたことにミカは今やっと気がついた。
勇気を出して、足を踏み出すときだ。
「私も好き!」
ミカの声にタクミは目を見開き、驚いた。いつもとは違ってミカはタクミをまっすぐ見つめる。
「これからもずっとタクミくんと一緒にいたいって思っちゃうくらいに好きなの。今日みたいな日をこれから何度も作っていきたい」
「それって⋯⋯」
タクミは一瞬止まった後で、ミカの言葉の意味を聞いてきた。だけど想いが溢れすぎてミカは自分の気持ちをうまく伝えられる気がしなかった。
だから言葉ではなく態度で想いを示すことにする。ミカはタクミの手を優しく包み、少しだけ唇を突き出しながら目を瞑った。
ミカの視界が闇に包まれる。極微の時間が引き延ばされ、永遠のように感じられる。あまりの長さに、その暗さに対応するような想いがミカを襲ってくる。
『はしたない』『何してるの?』『女から行くなんて』『断られたらどうするの?』『また失敗するよ』
それはミカが勇気を出さなければ聞くはずのなかった言葉だった。そしてミカが曖昧な態度をとっていたせいでタクミが聞いていたのかもしれない種類の言葉だ。
進まない時間の中で、ミカは噴出しつづける考えに圧倒されそうだった。だからそれに飲み込まれないように今一番揺るぎない気持ちをもう一度口にすることにした。
「私はタクミくんが好——」
だけどその言葉を言い切る前にミカの身体は大きくて温かいタクミの腕で守られ、口には柔らかな感触が走った。
目の前に光が弾けたように感じ、ミカはいつのまにか涙を流していた。
「俺も好きだよ。ミカちゃんとずっと一緒にいたい」
唇を離した後、タクミはそう言いながら微笑んでいた。
ミカはタクミの顔を見つめながら、キスの余韻に浸った。タクミとの口付けにはフラットホワイトの苦味があったが、何度思い返してもミカは甘いとしか思えなかった。
◆
祭りの片付けを終えた後、ai's cafeには疲れた様子の男女が三人いた。
「ねぇ、凪。ミカちゃんとタクミくん、恋人になったってさ」
「お、まじか。タクミくん、良い人そうだったもんなぁ。二人の雰囲気も合ってたし」
「うん。ミカちゃんは悩んでいたみたいだけど、うまく行って良かった」
「だね。ついに恋人ができたかぁ⋯⋯。あ、二人ともなんか飲む? 俺が用意するよ」
「本当? じゃあ、私は薬草茶のさっぱりで」
「俺も同じにしようかな。あやめは紅茶が良い?」
「うん。今日はキーマンでお願いしようかな」
「あっ、キーマンだったら試飲用に買ったのが奥にあるから飲んでみて欲しいなぁ。高級なのだから美味しいと思うよ」
「すてき」
「じゃあ取ってくるわ」
そう言って男はいなくなった。
「失恋で落ち込んでいた子が、徐々に自分を取り戻して新しい恋人を見つける。本当に良かったって思うんだけれど、きっと寂しくなるよなぁ」
「⋯⋯ミカちゃんのこと?」
「うん。このお店って問題を抱えた人がゆっくりするために来ることが多いからね」
「だから、問題が解決されると来なくなる」
「うん。いまだに連絡を取ってくれる人はいるけれど、やっぱり辛い時に通ってたお店って元気になると足が遠のいちゃうよね。イメージの問題があるだろうし」
「そうだね」
「ミカちゃんと同時期によく来ていた人も、もうみんな来なくなっちゃったなぁ」
「常連が定期的に変わる店だよね」
「それぞれの人にとってはとっても良いことだけど、やっぱり寂しいなぁ。みんな元気にしているかな?」
「きっとみんなうまくやっているよ。自分の足で立って、健全に寄りかかる方法を覚えていったはずなんだから」
「うん。そうだよね⋯⋯。でも寂しく思っちゃうなぁ」
「よしよし」
「二人で何してんの?」
「あっ、凪、キーマンあった? いやぁ、ミカちゃんもだんだん来なくなっちゃうのかなぁってさ」
「あぁ、そうだねぇ。分からないけれど、こういう場合は来なくなることが多いよね」
「来なくなった後で、また戻ってくる人もたまにいるけどね」
「別の問題を抱えてね」
「ここって人生の休息のために一時的に立ち寄るカフェだよね」
「それで良いと思うんだけど⋯⋯でも寂しくなっちゃうんだよなぁ」
「そうかもしれないけど、そんなカフェのことを聞いたことないから、私は良いと思うよ? きっとここにしかないと思う」
「そうだよねぇ⋯⋯うん! 今日はゆっくり休んで、明日からまたみんなにおいしいものを提供するとしますか!」
「そうそう。今日も頑張ったと思うよ。ほら、お茶ができたから飲もうよ」
「わーい」
「わーい」
そんなこんなで、人生の道に迷っていたミカは自分と向き合い、ゆっくりと前に進むことができるようになりました。マスターはミカの成長を心から喜びながらも、ちょっぴり寂しい気持ちを抱いています。だけど彼女にできることといえば、目の前に現れた人々に向けて丹精に作ったものを出すことだけです。その点において彼女に迷いはなく、きっとこんなことがこれからもたくさんあるのだと分かっています。
ミカは人生の大きな問題を一つ乗り越えました。だけど、長い人生の道はまだまだ続いていきます。彼女の物語を終える前に、薬草茶が好きだった女の子がこれからどうなっていくのか、ちょっとだけ見てみましょう。
次話はこちらです。
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