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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】 きっとここにしかない喫茶店で(14)

第十三話はこちらです。


第十四話

 今日は秋祭り。ミカとタクミは二人で訪れていた。さまざまなお店が大きな公園に集まり、出店を出している。出店は大掛かりで、木を屋台のように組んで調理場やカウンターを作っているところもある。

 広場では次々に人が出てきて、さまざまな音楽を奏でている。みんな手には食べ物や飲み物を持ち、楽しそうに出し物を見ている。

 この公園は紅葉で有名だが、あいにくカエデの色は変わり始めたばかりで、絶好の日和にはまだ早い。けれど、ハナミズキの葉っぱは八割ほど赤く色づいているので人だかりができている。中には赤い実を豊富にみのらせた木もある。非常に美味しそうに見えるが、食べると渋いのだと誰かが昔ミカに教えてくれた。しかし、幼い頃は実を必死に啄む鳥たちのことがミカはどこか羨ましかった。

 今日はai's cafeのマスターが出店すると教えてくれたので、せっかくの機会だからとタクミを誘ったのだ。先日のマスターとの話は、ミカの中ではまだうまく消化できていなかったが、立ち止まることもできなかった。あまり考えすぎるとタクミとの関係はより複雑になってしまうし、異変を察知されると決断の時が近づいてしまう。ミカは自分の優柔不断さの中に混じる狡猾さにため息を吐きながらも、タクミに対して変わらずに接していた。

 二人は入り口で案内パンフレットを貰い、まっすぐai's cafeの出店に向かった。しかし、知らない人が店番をしていて、マスターの顔が見えない。

「あれ、マスターが店番してるって言っていたんだけど、いないなぁ」

「そうなの? 休憩中なのかな?」

「そうだねぇ。今日もまた会えないのかなぁ⋯⋯。時間はあるからまた来ることにして、違うお店をまわろっか」

「そだね。そうしよう。面白そうな店がたくさんあったよ」

 またこのパターンかと苦笑いを浮かべながら、二人は出店を回ることにした。


 このお祭りはハンドクラフトの物販がメインで、次に飲食関係のものが多いようだった。販売物はどれも異国情緒に溢れていて、公園に入った瞬間から香ばしいスパイスの匂いが漂っている。だけど販売しているのはほとんど日本の人に見えるので、エスニックな香りを発しつつも、同時に懐かしさを覚えるような製品が多かった。

 歩きながら物販を見ているとお腹が減ってきてたので、ミカはタクミと食事を探すことにする。

「ミカちゃん、ピザにハンバーガーもあるね。石窯で焼いたピザだって」

「タイ料理やドイツ料理も売っていたね。どれも美味しそうだったよ! タクミくんは何か食べたいものはあった?」

「うーん。ピザもハンバーガーも美味しそうだったけれど、エスニック系の料理はここでしか食べられなさそうだから、それが良いかなぁ。ミカちゃんはどう?」

「そうだねー。私もタクミくんの意見に賛成かなぁ。さっき、鉄板で作ったタイ料理を出すお店があったよね? あそこのお店とかどうかな?」

「おー、いいね。僕も良いと思っていたんだ!」

「じゃあ、行ってみようか」

 そのお店はタイの炒めカレーと炒めた麺料理を出していたので、二人は早速購入することにした。ミカは『炒めカレー』、タクミは『パッタイ』を注文した。料理を受け取ったあと、広場の近くで空いている席を見つけたので、座って二人で食べることにする。

 ミカのカレーは鶏肉入りのイエローカレーを卵と炒めて、ご飯にかけたもののようだ。赤、緑、黄のパプリカが入っていて彩りも綺麗だ。ミカは木のスプーンでカレーを取り、口に入れた。

「おいしい!」

 カレー自体はかなりスパイシーに作られているようだが、それが卵と合わさることによって、だいぶマイルドになっている。薄くかかった魚醤の香りもバランスが取れており、これは絶品だとミカは嬉しくなった。

 タクミが注文したパッタイは、干しエビ、もやし、ニラ、卵などと米粉で出来た麺を炒めた料理だ。タクミは箸でパッタイを大きく摘んで口に運んだ。非常に美味しそうに食べるのでミカはついじっと見てしまった。

「食べる?」

 ミカの様子に気づいたタクミがそう言って、パッタイを渡してくれた。ミカは自分のカレーの皿を渡して交換し、パッタイを頬張った。麺を口に入れた瞬間、魚醤の濃厚の香りが鼻に突き抜け、強烈な旨味を感じた。噛むと麺のもっちりとした感触、もやしのしゃきしゃきとした食感、そして後にかけられたナッツの硬さが入り混じり、食の楽しさを増大させてくれる。味が抜群に良く、卵と麺が素材の美味しさをしっかりと吸収して見事に調和している。

 ミカは目尻を下げながらタクミに言った。

「こっちもすごく美味しいよ!」

 ミカはタクミのご機嫌な顔を見て、さらに嬉しくなった。


 食事が終わった後、喉が渇いたミカは飲み物が欲しくなった。

「なんだか飲み物もエスニックな方が良いね。私、さっきのお店でスパイスティー買ってくるね。タクミくんは何が良い?」

「うーん。僕も同じが良いな。僕が買いに行くよ?」

「ううん。私が言い出したんだし、大丈夫だよ。タクミくんは席が取られないようにそこで待っていてね」

 そういってミカは席を離れた。そして飲み物を買ってからタクミの元に戻る時、不意に不思議な音が耳に入ってきた。軽快さがある音なのだけれど、音色はひどく優しくて幻想的だ。

 中央の広場でさまざまなイベントが行われていたけれど、音楽の時間になったのかもしれない。ミカはタクミの元に急いだ。

「タクミくん、すごく不思議な音楽が流れてきたよ!」

「うん。これはウクレレとハンドパンかな? 気持ちの良い音楽だね」

「ハンドパン?」

「そう。UFOみたいな円盤を手で叩く楽器なんだけど、ミカちゃんは見たことない?」

「ない! 見にいってみようよ」

 タクミが了承したので、二人は広場に向かった。


 広場に着くと人だかりができていた。みんなこの不思議な音色に惹きつけられたのかもしれない。ステージの上を見ると二人の女性が楽器を持って演奏している。パッチワークの服を着ていて、異国情緒が満載だ。片方の女性はウクレレを弾いていて、もう片方の女性はUFOのような楽器を叩いている。

「あっ、あれマスターじゃない?」

「え? マスター?」

「ウクレレ弾いてるのは『ai's cafe』のマスターだよ。こっからだと見づらいけど、多分間違いない」

 マスターは特徴的なコロコロとした表情でステージの上にいた。そう思ってよく見ると、UFOを叩いているのはあの和の美人ではないだろうか。エキゾチックな服装が白い肌に合っていて、なんだか目を惹かれてしまう。

 彼女が手を動かすたびに『ポン』という音が鳴る。グラスハープのような幻想的な響きを持っているけれど、打楽器特有の破裂音を伴っているのでリズムがある。ミカはまるで心を優しく弾かれているようだと感じた。あの楽器の音にはそんな心地よさがある。

「いい曲だね」

 ふとタクミがそう言ったので、ミカは頷いた。

 音に浸っていると曲が終わった。周囲の人たちも聞き入っていたようで、みんなが拍手を送っている。

 二人は楽器を持ったまま動かないので、続きがあるのだろうと思って待っていると、奥から二人と同じような服を着た男がやってきた。彼は間違いなく相談屋の男だ。手には小ぶりの竪琴を持っている。ミカは息を飲み、食い入るようにステージの上を見つめ始めた。

 男は穏やかな笑みで女性陣を見た後で、演奏を始めた。竪琴から透明感のある音が響く。弦は金属製のようで硬質的な響きがあるが、音色には温かみがあり、頭の中を清澄にさせる。

 男が竪琴で伴奏とメロディーをどちらも弾いているところにハンドパンの音が入ってきた。竪琴のはっきりとした旋律に浮遊感が混じる。そんな心地よいリズムに浸っていると、今度はウクレレがメロディーを奏で始めた。竪琴とウクレレが入れ替わりながら伴奏と主旋律を担当し、ハンドパンがそれを支える曲のようだ。初めて聞く曲だったが、ミカはその幻想的な世界に夢中になった。

 三人が演奏をしている間、広場の空気はしんとしたものになった。厳密に言えば人が話す声や子供の鳴き声があったが、こういうイベントにしては驚くべき静けさだった。

 三人の演奏はすごく上手いというわけではない。素人のミカからしても拙い部分が見て取れるし、マスターに至っては「ま、間違えた」と小声で言ってしまっていた。そんな演奏であるのに、思わず息を呑んでしまうような何かがそこにはあった。音につられてやってきた人もいて、みんな足を止めて束の間の空気を楽しんでいる。


 演奏はすぐに終わった。全部で三曲演奏した後で、三人は舞台から降りていった。最後にマスターがカフェの出店の場所を宣伝していたのでこれから戻るつもりなのかもしれない。

「タクミくん、ai's cafeのところに行こう! 多分マスターがいると思う」

 ミカの言葉にタクミは頷き、地図で場所を確認してから歩き出した。

「あれがミカちゃんの言っていたマスターさんなんだね。やっと見ることができたよ」

 タクミは苦笑している。まるで不思議な力が働いていたかのように会えなかったのだが、今日その魔法が解けたようだ。タクミは急いで歩きながらもミカを置き去りにしないように歩調を合わせることを忘れない。

「第一印象がウクレレになっちゃったけどね。喫茶店の人なのにそんな印象がつくなんて珍しくて面白いよ」

 タクミは子供のように屈託なく笑った。ミカはその顔を見てたまらなくなり、初めて自分からタクミの手を握った。意外にもそこには勇気も気力も必要なかった。ただ二人の距離が一気に縮まった実感があるだけだ。

「ゆ、ゆっくり音楽を楽しむのも良いかもね。今度一緒にそういう場所にもいってみようよ」

 ミカは自分から次のデートの提案をしてみたけれど、今度は声が震えてしまった。そんなミカを見たタクミは力強く抱きしめるように手を握り、「行こうか」と言った。



 ai's cafeの出店に行くと、マスターが店頭に立って接客しているのが見えた。相談屋の男も、その恋人の和の美人も、後ろで手伝いをしているようだ。

 さっきまで演奏をしていたはずなのに素早いことだ。全員演奏していたときと同じエスニックな格好なので目立っているが、まだ人が並んでいる様子はない。

「マスター」

 ミカが声をかけるとマスターは気がついて、手を振ってくれた。ミカの横にいるタクミにも気付いたようだ。

「ミカちゃん! 来てくれたんだね」

「もちろんですよ! 演奏すごかったです! 私、音楽ってすごいんだなんて思っちゃいましたよ!」

 そんな風にミカの話が始まり、後ろにいた二人とも挨拶を交わして、ミカはみんなにタクミを紹介した。

「タクミくん、こんにちは。ai's cafeの店長をしている緑川沙絵と申します。ミカちゃんから話を聞いていたんだけれど、もうこのまま会えないんじゃないかと思ってたよ」

 マスターは丁寧に挨拶をしていた。格好は素っ頓狂だったけれど、その仕草は様になっていて、ミカはマスターのそのような姿を初めて見た。加えて、ミカの頭の中ではもうマスターという名前が定着してしまっているので、本名で挨拶しているのを見て、何を言っているのか一瞬分からなかった。

「会えて嬉しいです。何度も伺ってはいたのですが⋯⋯。あれはなんだったんでしょうね」

「むーん⋯⋯。あれは偶然でもあり、運命でもあり、人生かな」

 マスターは胸を張って言った。ふざけているのだと分かったのでミカは笑ったが、タクミは固まってしまった。

「おい、緑川。お客さんが集まってきたぞ」

 相談屋の男がそう言うとマスターは辺りを見回し、店員モードに切り替わった。ちょっと耳が赤いので、もしかしたらさっきのセリフが恥ずかしいと思い始めたのかもしれない。

「おすすめはなんですか?」

「『秋祭り限定 木の実のキャラメルブロンディ』がおすすめになります!」

 マスターは良くぞ聞いてくれましたとばかりに大きな声で言った。

「甘さはあるけれど、ほろ苦くて香ばしい焼き菓子だよ」

 袋に入ったお菓子を取り出して、マスターがミカに見せる。形は長方形で、厚みのあるフィナンシェのように見えるが、上にはクルミや松の実なんかが乗っている。ひとめ見て、ミカはこのお菓子が気に入った。

「かわいいですねぇ。これにします。飲み物が何が合いますか?」

「フラットホワイトがおすすめかな。ラテとかカプチーノに近いんだけど、コーヒーの味が濃いの」

 初めて聞く飲み物だけど、ミカはそれにすることに決めた。マスターのおすすめにハズレはなく、実はミカは言う通りにしたことしかない。

「僕も同じものをお願いします」

 タクミもマスターのおすすめにするようだ。初めての店というのもあるだろうけれど、タクミは甘いものもコーヒーも好きなので気に入ったのかもしれない。

「かしこまりました! 木の実のキャラメルブロンディとフラットホワイトが二つずつ!」

 そう言うとマスターは横に移動し、コーヒーの準備を始めた。入れ替わるように和の美人がやってきて、ブロンディを二つと小さなクッキーを袋に入れてくれた。名前は梅紫あやめだと先ほど教えてくれた。

 ミカは初めて間近でその顔を見た。おとなしそうに見えるけれど儚げではなく、芯がありそうだった。それに微かに艶があるようにも見える。

「ここを左に進んで、道がなくなった後も林を行くと人の少ない場所があるから、ゆっくりしたかったらおすすめだよ。あとサービスでクッキーもつけておいたから食べてね」

 あやめが小声で教えてくれるのを聞き、ミカは笑顔で応じた。小声だったせいもあるかもしれないけれど、ほのかに香のような匂いが漂ってきて、奥ゆかしい女性だとミカは思った。

 やっぱり自分のような小娘では敵わなかったなぁとミカは反射的に考えてしまったけれど、すぐにその思いを振り払うことに成功した。

 徐々に人が集まってきたので、マスターが「あわあわ」と言いながら慌てる様子を見た後で、ミカとタクミはフラットホワイトを受け取った。そしてあやめに言われた通りに歩いて行くとベンチがあったので、二人で座ってゆっくりすることにした。周囲には誰もおらず、やはりここは穴場のようであった。



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