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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】 きっとここにしかない喫茶店で(7)

第六話はこちらです。


第七話

 春が本格的にやって来た。桜が一斉に咲き、そして夢であったかのように散っていった。夜はまだ寒さが抜け切らないが、昼間はお日様が気持ち良い。街を歩いてみると早咲きのツツジが花をつけている。やっと暖かい季節になったのだ。

 自然はそんな風に移り変わっているが、ミカは最近ため息が多い。来る日も来る日もある人のことを考えてしまっている。

 あの時、相談屋の男——若苗凪——との関係についてミカに質問されたマスターは、刹那の逡巡ののちに答えた。

「ただの友達だよ。凪とは出会ったときからずっと友達なの。彼の言葉を借りれば『家族のような、親戚のような、兄弟のような、双子のような、ただの友達』だよ」

 それを聞いて、ミカは体から一気に力が抜けていくのを感じた。いったいどれだけ張り詰めていたのか分からない。でも、なぜだろうか。ちょっと気になっていたことを聞いただけなのに⋯⋯。

 ミカの様子を見て、マスターが意を決したように口を開いた。

「それにね——」

 ミカは何故かその時のマスターの慈悲に満ちた顔から目が離せなかった。周囲の時の流れが一気に遅くなり、自分だけ世界に取り残されたような心地になった。

「彼には素敵なパートナー、一生を共にしようと決めた人もいるしね」

 そのとき初めて、ミカは自分に何かを期待する気持ちがあったことを思い知った。心のどこかに静かにヒビが入り、それが砕け散っていくのをただ呆然と感じ続けるしかなかった。


「最近前よりはご飯が美味しくないな」

 休日のお昼、自分で作った食事を食べながらミカはひとりごとを言っていた。食事の量も最近微妙に減っている。それもこれもあの時のせいだ。

 あの後、ミカはどうやって自分の家に帰って来たのか覚えていない。マスターにお礼を言い、余った料理や瓶に入ったピクルスをお土産にいただいて、「また来ます」と言ったような気はしているのだが、その後のことはさっぱりだ。気がついたら次の日になっていた。

 あれからai's cafeに行ってはいるが、土曜日だけは避けている。特にあの人が相談屋をする日は余計に行きたくないという気持ちでいっぱいだ。

 ミカは自分のことがよく分からなくなっていた。あの男は間違いなくミカの恩人である。本当に感謝しているし、助かった。とはいえ、何度か会っただけの人でもある。その人に恋人がいるということを聞いただけで、何故こんなに自分は落ち込んでいるのだろうか。何故残念に思っているのだろうか。

 誰にも言えなかった悩みを聞いてもらえたから?
 誰にも理解されないと思っていた不安をわかってもらえたから?
 寂しかったから?
 親にも友達にも恋人にも見せたことがないくらいみっともなく泣いても受け止めてくれたから?
 好きになってしまったから?

 何度考えてもここで止まってしまう。気になっているのは間違いないのだが、本当に好きなのか分からなかった。いままでミカが経験して来た恋の気持ちとは違う部分があるようにも思って、戸惑ってしまっている。

「でも、もう逃げるのは疲れたよ⋯⋯」

 こうなったら自分がどんな状態なのかを確かめるしかないとミカは考えるようになっていた。だからai's cafeに行って、二人で話ができる時間を予約しようと決意するのであった。



 とある日の夜、閉店時間の過ぎた喫茶店にて。

「ねぇ、もしかして気付いていた?」

「うーん。途中からちょっと予感はあったかな。というか俺が迂闊だったよ」

「ううん。私が強引に話進めちゃったからだよね、ごめん」

「いや、いいよ。あのとき避けてもこういう状態になっていたかもしれないし」

「うん⋯⋯」

「そっちはそんなに気にはせず、いつも通りやってくれればいいよ」

「分かった」

 ただの喫茶店の店主とはいえ勉強熱心なマスター、抵抗とか転移とか、そういう知識はそれなりに持っていたので、患者が相談者に対して好意を持ってしまうことがよくあると知っていた。

「知っていると思うけど、片方だけの問題とも言えないし、俺も久しぶりに先輩のところでも行こうかなぁ。また箱庭作って、自己分析してもらってくるよ」

「うん」

「そんな顔するなって。いつか起きる問題がいま起きただけなのかもしれないよ。ミカちゃんは辛いかもしれないけれど、ここを乗り越えたら彼女にとっても良い状態が見えてくると思う。だからいつも通り、俺ららしく、このカフェらしく進んでいこうよ」

「うん⋯⋯そうだよね。そうと決まれば気持ち入れ直して頑張らないとね!」

「うん!」

 静かな間ののち、男が再度口を開く。

「世界がこうなるように仕向けているのかもしれないって感じることがあるでしょ? 俺にとっては今がその時だよ。これまでも同じようなことが何度もあって、振り返ってみると、結局そうなるしかなかったって思うんだ。残念だけど起きてしまったことは仕方がないから、この先どうするかを考えていこうと思う」

「うん!」

「あ、でも、忙しくなりそうだから、落ち着くまでは新メニュー開発とか一人でやってね」

「えぇ! 誰かとこそこそ味見しながらやるから楽しいのに⋯⋯。でも、そうだね。それが凪にとっての責任だもんね」

「おう。相談を受けたからにはな」

「分かった。だけど、次回のお昼ご飯とお菓子は固定だからねぇー」

「おい、やっぱり味見させる気じゃねぇかよ!」

「まぁまぁ、良いではありませぬかー」

「おいっ」

「良いではありませぬかー」

 そんなこんなでまた一人、このカフェの空気にあてられたことがきっかけで、自分だけの人生の道を探求しようとする人がさまよってしまいました。

 そして落ち込んだミカがまた立ち直って、今度こそ本当に自分の道を開拓し始めるのはまだ少し先の話になるのでした。



次話はこちらです。


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