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(日記) 趣味のゼンダラについて

#私の作品紹介   #人は変わる   #人生   #日記   #節目

注意
読んでくれている方へ。
もしもそんな方がいたら、書き物というよりただの日記ですので、ものすごくぐちゃぐちゃな呟きです。修正・清書もしていません。
それを考慮してくださいますようお願い申し上げます。

昨年の暮れに、久々にペンを取って描いたもの。

何年か前から、絵というか、曼荼羅型の創作紋様を描くことにハマり
今もちょこちょこと描いています。

下描きなどを置くことなく、ペン先が赴くままに描いています。
こういう描き方は最近ではおよそ「ゼンダラ」「ゼンタングル」
というものなのだろうと思います。
(ゼンタングルには資格?があるらしいですが私は無いです。)

このように描いたり休んだりしながら
創作紋様を描くこと、あるいはゼンダラを続けてきて
最近思い至ったことを今回ここに記しておこうかと。

SNSで描いたものを投稿していると嬉しいことに
この数年でも何件かの出展のお誘いを頂きます。
とても嬉しいことに。
しかし最近は、この出展のお誘いにのることに抵抗を感じます。

自分がいろいろと勘違いしていた点は勿論ありますが()
「出展するほどのものか?」
と思うのです。

もともと自分の描き方が「ゼンダラのようなもの」
と名するものである通り、
自分の頭の中に溢れるものを外に吐き出すため
または頭の中の混沌を整頓させるためにやっていたことです。

それを綺麗と思えるかどうかは、はて。
混乱をそのまま表現したものを見目よく落ち着かせている節はあるので
まぁ綺麗といっちゃあ綺麗でしょう。

ですが、少数派ではないでしょうか?
必ずしも綺麗ではないでしょうし、
そういったものに値段をつけるのは正直難しい…。

自分の意志を尊重してよいとすするならば
私の生きた証、証跡の一つでもあるので何万円もの価値をつけたい。

いろんな芸術的知識を学んできた専門的作家が作るものとは
また違う価値観でもってつける価値です。

それを気安くテキトーな値段をつけたり
簡単に出展してしまうのは、ある種もったいないといいますか
なんか違うな、と感じてきました。

いわば日記を値段をつけて売っているような…?
しかも出展するための作品をわざわざ描いている時もありますが、
それも本来の私が「描きたい」という目的に反している。

薄々は感じていた「違う、そうじゃない」という感覚。

気に入られ、貰われていくのは誠に嬉しいです。

しかし消費されたいわけでは全くない。

購入しやすい値段をつけること。
金を払って購入されるということ。

出展することによって単純に
その工程が発生するか否かで、
承認されているか否かに焦点がいってしまう。

だんだん強くなってきました。
それはちがうと。

自分が落ち着きたいから描く。
自分が綺麗と思うからこのように線を引く。
他人がどう思うかは二の次、三の次でよかったのです。

それが、
お金を払って出展・買われるかどうかハラハラする。

ぜんぜん要らないものです。

私は芸術家や作家ではありません。
自分で制作したもので金が手に入るのは嬉しいです。
簡単に生活ができるので。

しかし、他人の意向に合わせて制作するのは
私が本来やっていた禅ではなかったし、
他人が好むものを作る技術は、
世の中の定説のようなものを学び強制していかなければなりません。

そこまでするつもりはありません…。
もはや転職活動と同じこと。

もちろん、気が変われば学ぶと思いますが、
今のところは私の意向とは違うので。

私が好きな生き方は、
外界を見て好きだと思うものを受け入れ、
流れるように生きていく。
いろんなものを見たいし、いろんな経験をしたいので、
浅く広く色々見ていきたいのです。

絵を描くことは私という人生を彩る一つの…
何と言いましょうか?

とにかく、私が好きで描いた絵を容易く出展することは
辞めにすることにします。

出展費も販売価格も、私からすれば一種の「偽物」です。
お世辞や外面みたいなものです。
これからは消費しないし、させない。

そういうのは、ちゃんと学んできたプロの芸術家や作家さんが
できるんですし、すればよいと思います。

これまで流されて出展してきた経験から学んだこと。
いい経験と思っています。
今後は描くこと自体も大切にしていかないと、とも考えます。
無理やり描くことも多々ありました。

それはちがう。
やりたいときにやりましょう。

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