イギリス素描#4(ベトナムトランジット)
紫煙噴く
西貢河の混沌へ
我という賽転がさむ いざ
私はすぐさまATMで500000ドン下ろした。これは一見、恐ろしい桁数に見えるが、日本ならば野口氏を三人も招けないのだから、奇妙であった。先に断っておくが、私は吝嗇家ではない。わざわざ海外まで来て三千円弱しか換金しないのは、財布の紐のすこぶる固いしみったれのように思われるが、ここは越南、ベトナムである。物価は日本の約4分の1。たかが一夜のトランジットで福澤氏をお連れしている私が、いかに気前良く刹那を楽しもうとしているかがこれで理解していただただろう。
さて、ベトナムドン(VND)の紙幣はといえば全部で九種類あり、これら全てに胡志明(ホーチミン)の肖像が印刷されている。さすがは建国の父である。敵国アメリカを追い出し、社会主義を完成させた偉大な革命家への国家崇拝には目を見張るものがあった。私はその見事な敬愛ぶりに感心しながら、空港の外にたむろするタクシードライバーや、バス運転手、ヘルメット姿の男女たちを横目に、ふと、こんなことを思い始めてしまった。
自国に絶対的な英雄が存在するというのは、一体どういうことなのだろうか。私には到底想像しえない心理状態だが、これはひょっとしたら、対人関係において素晴らしい成果を発揮するのではないだろうか——————。
少し長くなるが、例えばの話をさせて欲しい。
人間というのは、分からないことに対して不安になる。なぜ、昼と夜があるのか。なぜ、豊作があり凶作があるのか。なぜ、子供が産まれ、老人は死ぬのか。不可思議な現象に不安を覚え、取り除くために様々な理由を当てはめて人間は心を落ち着かせてきた。
では、分からないの矛先を人間に向けてみると、これも当てはまるはずだ。人は他人が頭の中で考えていることを知ることができない。そこで、言語や文字(文字に変わる意思疎通の道具、例えばインカ帝国のキープなど)を使って、お互いをわかり合おうとし、ようやく自分と共通する何か(双方に敵意がないという認識でもよい)を獲得し、不安状態を脱していくのだ。
さて、自国に絶対的な英雄が存在する場合、街ゆく者全員が、一人残らずその特定の英雄を敬っているということになる。どんなに高貴な衣装を着た者も、どんなに粗末な布を着た者も、たった今考えていることはバラバラであっても、とどのつまり頭の根底には英雄が確かに存在している。繰り返していうが、路上の飲んだくれも、高層ビルから景色を楽しむ金持ちも、全員である。
この状況、先に述べた観点から考えると、対人関係で恐ろしいほどアドバンテージになり得ないだろうか。つまり、そこは、共通項の保障されている安寧の空間なのだ(ライブ会場でのファンの心理状態と近いかもしれない)。
一体、何の話をしているのだろうか。
私は今、仮説的演繹法のような手段で、日本とベトナムを比較検討している最中である。通貨や街の肖像画からもわかるように彼らの崇拝は凄まじく、ホーチミンに対する考え方は英雄ではなくもはや神に近い。対して、日本にはそのような思想は存在していない(無論、かつては神にも等しい存在がいた)。英雄のいない日本と、英雄のいるベトナム。人間同士の親和性は、後者の方があると思えてならない。どちらが幸せな国なのか、いつの時代が最も幸せだったのか、これを断言することは出来ないが、一つ言えるは共通項の薄まった国ほど、幸福度は下がり、自ら命を断つ者が多いということである。ひょっとしたら英雄のいた当時の日本では、共通項のおかげで、穏やかな姿勢で互いを理解し、許容し、認め合っていたのではないか、などと思えてくる。社会主義国家を宗教じみているなどと鼻で笑う私がいるのであれば、当然ながら英雄のいない国は可哀想だと考える者たちもいるに違いない。いや、もっというなら、我々の先祖たちすら、今の日本を見ては嘆き悲しんでいるかもしれない———————————————などと脳内をヒートアップさせていたら、この纏わりつくような熱帯モンスーン気候の蒸し暑さに余計腹が立ってきた次第であった。中心地にある繁華街までの距離は7㎞弱ある。こんなことをつらつらと考えてる暇はないのだが、如何せん、思考を止めるのは難しかった。
さて、結果として2時間半近く歩くことになった。
これが想像以上の曲者体験だった。車道を走るバイク台数とクラクションの音量が尋常ではなく、苛立つ前に蹴落とされる感覚に近い。交通ルールは無いに等しく、赤信号でも素通りし、逆走する大馬鹿者すら散見された。歩道の舗装は、申し訳程度であって陥没が多く、路駐されたバイクが度々私の行く手を邪魔した。いつ突っ込んでくるとも知れないあの鉄の塊(日本製であることが皮肉である)に、気を配りながらの2時間半は、体感では倍近くの時間に感じられた。
途中、繁華街まで待ちきれず、一際明るいコンビニエンスストアに入り、値段も見ずにサイゴンビールを買って胃に流し込んだ。最初にこのビールを飲んだのは札幌にあったベトナム居酒屋であった。あのときは、いつか本場で、などと初夏の北海道で涼しげな顔をして友と話していたが、まさかこんな形で叶えることになるとは露も思わなかった。配線の絡み乱れた電柱の下で飲む、サイゴンビールは格別だった。
酢臭さと生臭さが蒸発したような匂いに慣れてきた頃、私はようやく目的地、ホーチミン人民委員会庁舎に到着した。ここはフレンチ・コロニアル様式で建てられている。約120年前にフランスの支配を受けていた時代に建てられた建造物だ。コロニアルと名の付く様式は他にもあり、ブリティシュ、スパニッシュ、ダッチ、ポルトギース、ジャーマン、等々、植民地経営を行った列強国の数だけ存在している(日本が韓国や台湾に造った建物をジャパニーズ・コロニアルと呼ぶ場合もある)。母国の建築様式を現地の材料でもって風土に適するように作る様式は、後世の我々にとっては美しい文化の融合に感じられても、当時を生きる者たちにとっては、まったく違ったものとして見えていたに違いない。私はこの場所に来たかった。ノートを開らき、いくつかの言葉の羅列をメモに残し、出来たのが先の一歌である。
話は少し飛ぶが、和歌には枕詞という概念がある。特定の文字の飾りとして、添えるだけの意味を持たない5文字で、例えば「ひさかたの」。これは「光」を飾る枕詞である。もっと有名なのは、かるた競技の漫画でお馴染み「ちはやふる」。これも「神」を飾る枕詞である。枕詞は約1200語あると言われ、この数だけ見ても日本語の重み、深みを感じてならない。
そんな枕詞だが、現代短歌ではあまり使われていない。そこで私は思った。もっと日本の伝統を取り入れていこうではないかと。
加えて、俳句の季語のように新しく増えることもない。これもなぜだ。新しく作ってもいいだろうと。
私はここに疑問と可能性を感じている。和歌の形式を短歌にも利用している歌人は、現代ではあまり見ない。では、私がやろうではないかと、こういう次第である。昨年、日本をバイクで放浪しているときに「神」という枕詞をなにか面白くできないかとなって、思いついたのが、「女神」であった。これでディアナと読ませた。
ちはやふる
女神の水浴び 見しゆえか
曝しの井戸に跳ねる虫麻呂
これは、茨城の水戸にある曝井での一歌。ディアナは、ギリシア神話から着想。解説は省く。
お次は、「東」に着目した。
鳥が鳴く
坂東太郎の枕香を
焦がるる乙女立つ夏常陸
これも茨城、利根川河畔にて。坂東太郎とは利根川の異名である。
鳥が鳴くは、「東」を飾る由緒正しき枕詞。
さて、話を戻そう。今回の短歌だが、何としても、サイゴン(西貢)の「西」を飾ってやりたかった。だが、1200語の中に存在しない。東があるのは、西がない。けったいな話である。東で鳥が鳴くのは、朝だからであろう。西では?私の中で、夕暮れは、なぜか煙と結びついている。ならば、煙を噴かせばよい。だが、色はなんだろう。ベトナムの煙は、日本の煙とイメージが異なっている。こうして、試行錯誤しているうちに出来上がっていった。フランスと中国の影響を持つベトナムに噴く煙は、目に沁みる紫煙そのものであった。だが、本当のところを言えば、私の前で気だるそうに煙草を吹かしていた、あの越南人のイメージが大きく入り込んだのだと思っている。
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