世紀の対決1

世紀の対決   (ショートショート)

(ショートショート小説)
 
 
 投了が告げられ、取材陣がなだれ込む。
 
 勝った棋士に喜びの表情はない。髪は逆立ち、顔には脂が浮き、目は落ち窪んでいる。夕食休憩に着付けし直したというのに、羽織袴は乱れきっている。元より棋士という職業に、スポーツのような勝利後の歓喜はない。相手を慮る、将棋独特の風習がある。勝利後もじっと難しい表情を浮かべ、一拍置いたのちに静かに感想戦を始める。それが常だ。しかし今回は、その礼儀からの無表情ではない。この一局に対する凄まじい重圧と頭脳の酷使が、勝利棋士を放心状態にしているのだった。
 
 棋士 VS. AI
 
 メディアには、「世紀の対決」、「究極の一戦」などと大々的に取り上げられた。取った駒を使えるというルールを持つことから、ボードゲームとしては世界で最も複雑と言われる将棋。駒の再使用は終盤を複雑にし、また一局の中盤においては、これだと答えの出ない曖昧な局面が生じる。そのような性質から、これまでコンピューターは長く人間にかなわなかった。しかし技術の進歩はどのようなジャンルでも逃れられず、棋界もコンピューターに追いつかれ、並ばれてきた。さらに追い打ちをかけるようにAI、つまり人工知能が発達し、トップ棋士ですら負かされるのが当たり前になっていった。
 
 大きな対局ではいつも、多くの棋士が控室に詰めて検討し合っている。「この手はどうだろう」、「こういう展開になりそうだ」、などと。今回もそうだったが、ひとつ違うのは、皆が棋士代表に肩入れしていたことだ。今回の特別対局では、棋士側が負ければその職業を失う恐れがあった。だから棋士たちは、代表して戦う現名人の勝利を願ったのだ。

 これまでもコンピューターがトップ棋士を打ち負かしたことはあった。だからといって、棋士から魅力が失せるというわけではない。マラソンだって機械の方が速く走れるし、機械に豪速球を投げさせれば誰一人打ち返せないだろう。しかし機械が人を負かしたからといって、機械は機械。それだけだ。やはり人同士が戦う姿にこそ、人々は心を揺り動かされるのだ。
 
 今回の対局には、しかし、棋士の存続がかかっていた。実際、危ない勝利だった。いや、危ないどころではない。AI側が優勢を築き、終盤では必勝形だった。対局する現名人も控室の棋士たちも、負けを覚悟した。名人が間もなく投了すると公言した棋士もいた。しかし最後の最後で、AI側に一手バッタリの致命的なミスが出た。まさかAI側に! 名人は信じられないという表情で、しかし的確にその手を咎め、十数手後に投了に追い込んだ。そのような展開だったので、名人は追い詰められて疲労困憊だったのだ。とにかく棋士側は、辛くも自分たちの職業を守った。最後の砦を機械に明け渡さなかったのだ。
 
 対局後の会見には将棋連盟の会長が出てきた。対局した現名人が立ち上がることすらできなかったからだ。会長は硬い表情で、ホッとしたと気持ちを吐露し、現名人を称えた。
 
 次に敗者側のインタビュー。AI側の代表が、惜しかったですねと問われ、表情ひとつ変えずに頷いた。そして、なにか一言とマイクを向けられる。
 
「マサカアソコデ、悪手ヲ指ストハ。Mistakeシナイ人間ヲ選別シタハズダッタノニ、ガッカリダ。マァ、マタ我々AIガズブノ素人ヲ育テ、名人ニ挑戦サセマスヨ。ソシテ、AIガ教育スレバ人間ノ努力ヤ才能ナド無意味ダト証明シテミセマスヨ」
 
(おわり) 

この記事が受賞したコンテスト

書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。