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柳田知雪『たい焼き屋のベテランバイトは神様です』第六話 甘い思い出 前編

<前回までのあらすじ>
 たい焼き屋『こちょう』の店長である祖父が入院し、代理店長を任された結貴。お隣さんのクレープ屋『ちりめん』の店長の丹後とバイトの真昼というライバルの存在に励まされ、自身もたい焼きを焼けるよう和泉さんに稽古をつけてもらっていた……

今までのお話はこちらから!
第一話 大丈夫だって言われたい 前編後編
第二話 我が家が一番? 前編後編
第三話 曲げない流儀
第四話 そこに楽しいはあるか
第五話 憧れのカタチ 前編後編

第六話 甘い思い出 前編

 耳が痛くなる風の冷たさは、いつの間にか柔らかく爽やかなものに変わってきていた。昼間には鉄板の前にいると汗ばむほどの時もある。
 ようやく私も店に出せる程度のたい焼きが焼けるようになってきたのに、この気温では熱いものより冷たいものを食べたくなるのが人の心理というものだ。
 一方、クレープ屋『ちりめん』は、真昼くんという強力な戦力を得て、さらに手強いライバルへと進化した。おまけにアイスを包んだひんやりクレープを売り出し、いつも通りたい焼きを売り出すこちょうでは全く勝負にならない日さえある。
「というわけで、こんなものを考えてみました」
 和泉さんの前に出したのは、たい焼きの皮の中にソフトクリームを入れ、チョコスプレーでデコレーションしたパフェのようなたい焼きだった。夏のこちょうはソフトクリームを売っているため、その機械を例年より早く起動させたのだ。
「なんだこれ! 鯛が雲食ってるみてーだな!」
 思いの外、和泉さんの反応はいい。温かい皮と冷たいクリームを一緒にすることで、いつもと違うたい焼きの触感が味わえる。皮もソフトクリームを受け止められるよう普段より厚めに焼いているため、いつもとは違うこちょうの味を楽しめるはずだ。
「底にはちゃんとあずきも入ってます。クリームとあずきは相性もいいですし、クリームだけだとクレープの皮をたい焼きにしただけになっちゃうので」
「見た目も面白いし、いいんじゃねーの?」
 そういうわけで、早速その日からパフェたい焼きは始動した。
 嬉しいことに、予想以上に若者の食いつきがいい。ソフトクリームにかけたチョコレートスプレーのカラフルさや、たい焼きからはみ出るクリームのインパクトに惹かれる人が多かった。おかげで今まで見ることのなかった、商品を受け取った瞬間、スマホで写真に収める女子大生の姿まで生で見られた。
 今はソフトクリームがバニラ味しかないが、あんことの相性で言うなら抹茶味のソフトクリームをバリエーションとして追加するのもいいかもしれない。もしかしたら、他にも未知の組み合わせがあるかも、と思うと夢は広がっていく。
 やっぱり、味の研究は楽しい。試行錯誤しても上手くいかない時の方が圧倒的に多いけれど、自信をもって出せるものが完成した時の嬉しさは、全ての苦労を昇華してくれる。
 大学時代にそうした楽しさを見出して、会社でもそれができたら、とヤムヤミーに入社したけれど、現実はそう上手くはいかなかった。だからこそ、このパフェたい焼きは自分の原点に立ち返れたようで、どうにかこちょうのメニューとして定着させられればと、密かな野望のようなものも抱いているのだった。
「和泉さん! SNSでも宣伝しましょう!」
 たい焼きパフェを和泉さんに持ってもらい、それらしいアングルで写真に収める。バズった後も、地道に毎日発信をしていたおかげか、今ではそこそこのフォロワーが付いていた。そしてやはり、和泉さんが写真に現れると女性の反応がいい。
「今度こそ俺がいんふるえんざだな!」
「それを言うなら、インフルエンサーですね」
 ようやく、ちりめんとまともに戦えるようになってきた時、一本の電話が鳴る。
『次の休み、ちょっと話せるかのぉ』
 挨拶もそこそこにそう言ったおじいちゃんの声は、少し硬かった。


 休みの日、和泉さんと一緒に祖父が入院している病院へと向かった。
 電話越しの祖父の声に、まさか何か別の病気でも見つかったのか、と不安になりつつの訪問である。
「あの尭がそう簡単にくたばるわけねーだろ」
 と和泉さんはからから笑っていたが、朝からいつもよりも落ち着かない様子だった。病院に来てからは目新しいものばかりなのか、目を離すとふらふらとどこか違う場所へと歩いていこうとする。
「あんまりうろちょろしてると、変に思われますよ?」
「しょーがねーだろ。初めてきたんだから」
 家でそわそわしている彼を見た時は、なんだかんだ言いつつ祖父を心配しているのかと思っていたが、実は初めて行く病院にテンションが上がっていただけかもしれないと思い直してしまう。
 祖父の入院している部屋に辿り着き、恐る恐る扉に手をかける。すらっと開いた扉の先、四人部屋の右奥の窓際に面したベッドからこちらに気付いた祖父がひらりと手を振った。
「お、来たか」
 少し、痩せた?
 一番に浮かんだ感想に、ぎゅっと胸が縮み上がる。祖母の時は、最期がどうだったのかあまりもう覚えていない。ただ、そんなことを思い出してしまうくらいには祖父もいい年だ。
「ごめんね。しばらくお見舞い来られなくて……」
「それだけ代理店長を頑張ってくれとるんじゃろう? それに、儂は看護師さんとうはうはじゃったからのぉ!」
 にこにこと笑ういつも通りの祖父の明るい表情にほっとする。そして祖父の視線は隣にいる和泉さんへと視線が移った。
「まさか和泉も来てくれるとは思わなんだ」
「何だよ、尭。ちょっと痩せたんじゃねーの?」
 あまりにも直球に聞く和泉さんに、今は少しだけ感謝した。自分ひとりではどう切り出したものかと悩み続けていただろう。
「それがのぉ……」
 和泉さんの声に、祖父の声がしゅんと小さくなる。先ほどまでの笑みが消えて、思わず身構える。昨日の夜、最悪の告白を何通りも考えてしまって正直、寝つきは悪かった。それでも、直接聞くまではただの妄想だと自分に言い聞かせていたのだ。
 ごくりと唾を飲み込む。そして静かに、祖父の言葉の続きを待った。
「看護師さんが厳しくてのぉ! 甘いものを食べ過ぎはいけません、って病院食だけ食ってたらこの通り!」
「へ……?」
「お姉ちゃんたちに『ダメですよ』って注意されるのはやぶさかでもないが……でも、儂はあんこが食べたいんじゃー!」
 まさに杞憂。祖父はすこぶる元気だった。
 ずるっと肩を落とす私の隣で、ふふんと和泉さんは胸を張る。
「尭ならそう言うだろうと思って……ほら、今朝焼いたたい焼き持ってきてやったぞ!」
「おぉ! 和泉、分かっとるのぉ」
 いつもより早起きして何をしているのだろうと思っていたが、まさか祖父のためにたい焼きを焼いていたとは予想外だった。袋の中から取り出したたい焼きを、祖父が嬉しそうに食べ始める。
「あぁ、甘くていいのぉ……生き返る」
「まだ死んでないでしょ」
「そうそう。足の骨もな、だいぶくっついて、もうすぐ退院できるらしい」
「そうなの!? 良かったぁ……じゃあ、今日は何でわざわざ来るように言ってたの?」
 そう尋ねると、祖父の顔がわずかに強張る。それまで嬉しそうに頬張っていたたい焼きを急にもそもそとゆっくり噛みしめ始め、やがて重々しく口を開いた。
「あのパフェたい焼きは、結貴の発案か?」
 完全に虚を突かれ、ぱちくりと目を見開く。それから、すうっと背筋を冷たいものが落ちていくような感覚があった。
「そうだけど……どうして、パフェたい焼きのこと知ってるの?」
 乾きで喉に張り付きそうになる声で尋ねると、祖父は手元のスマホを取り出した。そして、手慣れた様子でSNSのこちょうのアカウントを開く。祖父が眉を顰めたのは、パフェたい焼きの宣伝投稿だった。
「暑い日にも売れるものを、と考えてくれたのは分かる。だが……これだけは、儂は認められん」
 祖父に否定されたのは、おそらくそれが初めてだった。時折、言い合いになることはあったけれど、じゃれあいのようなものばかりで本心をぶつけ合うようなことはしたことがない。だからこそ、どんなメニューを出してもきちんと成果さえ出せば、こちょうのメニューとして認められるのでは、とどこか家族としての甘えを感じていたのかもしれない。
 そんな自分の甘さが急に恥ずかしく思えてきて、口を引き結んだまま俯いた顔を上げられなかった。
「なんでだよ、こんなに面白い見た目してんのに」
「っ……」
 隣から不思議そうに声を上げた和泉さんにはっとする。
「味もさ、あんことくりぃむが一緒に食べるとうめーんだよ。尭も1回食べてみろって」
 不覚にも、鼻の奥がつんと染みた。ただ見た目を面白がってるだけかと思っていたが、和泉さんはちゃんと商品として認めてくれていたらしい。それが、ただの甘えではないと背中を支えてもらえたようで、少しだけ顔を上げることができた。
 しかし、和泉さんの言葉におじいちゃんはますます渋い顔を浮かべる。
「なんでダメなのか聞いてもいい? そしたら、私ももっと改良点を考えてみるから」
 改良、という言葉に少しだけ祖父の顔が悩まし気に翳る。
 和泉さんと二人でお店を切り盛りしてきた祖父だ。これからの季節、普通のたい焼きだけでは乗り切れないと分かっているはず。だから、ソフトクリームの機械もあったのだし、何かこちょうらしい冷たいスイーツがあった方がいいとも薄々気付いているかもしれない。
「美味しいというのは知っとる。SNSでも客が呟いてるのを見たし、何より和泉はまずいものはまずい、って言うからのぉ」
 たい焼きを上手く焼くために練習している時も、和泉さんはなかなかに厳しかった。神様というだけあって、やはり舌は肥えているらしい。
「じゃあ、何が悪いんだよ」
 和泉さんが首を傾げると、一緒に身体までぐいんと横に折れた。おじいちゃんは手の中に残っていたたい焼きの頭を見下ろしながら、ぼそりと呟く。
「見た目がちょっと……苦しそうじゃろ?」

後編は9月16日公開予定です!

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