見出し画像

柳田知雪『たい焼き屋のベテランバイトは神様です』第五話 憧れのカタチ 後編

<前回のお話>
 たい焼き屋『こちょう』のお隣さん、クレープ屋『ちりめん』。
 クレープを上手に作れるように練習している、と結貴に語っていたバイトの真昼くん。しかし、丹後さんから聞く真昼くんのイメージとは、どこか違和感があって……?

 第五話の前編はこちらから読めます!

「いえ……真昼くんにも、あなたのようなチャレンジ精神があればいいのに、と私もつい考えこんでしまいました」
「え?」
 今の言葉は、まるで真昼くんにチャレンジ精神がない、と嘆くようだった。
 でも、彼が警察に怒られることも厭わずに駅前で露店を開く豪胆さを私は知っている。そんな真昼くんと、丹後さんの語る真昼くんのイメージとは、あまりに差があった。
「彼が器用なことは知っています。面接の時に、彫刻作品をいろいろ見せてもらいましたから。なので基本は接客担当として採用しましたが、クレープもいつか作れるだろう、と期待してしまったんです。実際、接客はものすごく助かっています。私はこんな見た目なので、新規客には怖がられやすいのですが、彼はああいう雰囲気なので客入りもよくなりました。ただ、クレープ作りだけは挑戦してみるよう促しても首を振るばかりで、あまり無理強いして辞めたくなってしまったら……と」
 先ほどの溜息の理由は、おそらくこのことらしい。
 接客の話から伝わってくる真昼くんのイメージはまさに、私の知っている真昼くんの姿そのものだった。しかし、クレープ作りを拒む彼だけはどうもしっくり来ない。
 それに、今日の開店前に真昼くんは言っていたはずだ。

──……店長みたいにはまだ全然。でも今、頑張って練習してるからさ!

 確かに、彼は練習していると言っていた。まだ会って日は浅いけれど、あんな晴れやかな顔で嘘をつくとは思えない。
 もし言葉通り受け取るとするなら、真昼くんはきっとクレープがうまく作れるよう練習をしているのだろう。てっきり、私と同じように店の中で実践を兼ねてやっているのかと思ったが、丹後さんの話ではそういうわけではないらしい。
 となると……
「真昼くんは、もしかすると家かどこかでひとりで練習してるんじゃないでしょうか?」
「え?」
「彼、今日言ってたんです。頑張って練習してるって」
「そんなことは一言も聞いていないです。素直な子ですし、大学のどんな他愛ない話だろうと気軽に話してきて……あ、」
 ふいに丹後さんが何かを思い出したように声を上げる。
「そういえば一度、手を火傷していた時がありました。理由を聞いても、その時だけはなぜか妙にはぐらかされてしまって……普段なら聞いてもいない話をいくらでも喋ってくるのに」
 丹後さんの言葉に時折混じる呆れ混じりの言い草が、真昼くんの日常の光景をありありと浮かばせて笑いそうになってしまう。
 そうなると、やはりクレープ作りの練習を隠していることだけが、真昼くんという人物の輪郭をもやもやとぼかしていくようだった。

──……店長が作ってるんだけど、あれ本当にすごいでしょ!

 そう言った時の、まるで自分のことのように誇らしげに話していた真昼くんの顔が浮かんでくる。
 最初はただいかつい男の人だと思っていた丹後さんだったが、バイトの子のことで真剣に悩み、私の失敗作も認めてくれる、という人柄に少しずつ惹かれるものを感じていた。
 きっと真昼くんも、そんな丹後さんのことが大好きなのかもしれない。
「あの、私のただの推測なんですけど、そんなに悩む必要ないかもしれないですよ」
「何か、気付いたことでも?」
 あまり表情は変わらないけれど、鋭い眼光の中にわずかに期待のような色が混じる。そんな彼を安心させるように力強く頷き返した。
「器用な真昼くんのことです。きっと、もうすぐですよ」
 もうすぐ、という言葉を咀嚼するように丹後さんは繰り返す。
 そして、たい焼きを焼く練習ですっかり頭がいっぱいになって忘れていた。
「真昼くんに六千円渡してない……!」
 そんな叫び声が路地裏に響いたのだった。


 翌日。その日も真昼くんがシフトに入ってると聞き、封筒に入れた六千円を手に『ちりめん』の窓を覗き込んだ。
「店長!」
 真昼くんの声がして咄嗟に受け渡し口の下に隠れる。
 それは、その声がどこか決意に満ちた声だったからだ。
「今日はあの……クレープ焼くの見てください!」
 続いて聞こえてきた言葉に、我慢ならずちらりと店の中を覗き込む。すると、丹後さんは昨夜の私と対峙した時と同じように、じっと真昼くんを無言で見つめた。
 今だけは商店街の喧騒がひどく遠くに聞こえる。目の前の張りつめた空気を、じっと見守っていると、ふっと丹後さんが息を吐いた。
「……ぜひ、見させてください」
 それは彼なりの安堵の表情だったのかもしれない。丹後さんの言葉に、真昼くんは嬉しそうに頷き、クレープ用の鉄板へと向かう。その横顔は、いつもの彼よりもどこか緊張を帯びていて、つい私も祈るような思いで手を組んでしまう。
 真昼くんがたい焼きよりもさらりとした生地をおたまで掬い、鉄板へと落としていく。すぐに色の変わっていく生地を、手首を捻るようにトンボを使って丸く広げていく。それは素人目から見ても、鮮やかな手つきだった。
 おそらくその工程が峠だったのだろう。そこからは、最初よりも真昼くんの肩から力が抜けているような気がした。スパチュラで生地をすくい取り、空気に晒して冷ました生地にクリームやカットフルーツを乗せていく。そうして出来上がったクレープは、この店の看板商品と同じ、花束のようなクレープだった。
「どう、かな……?」
 恐る恐るという様子で、完成したクレープを真昼くんが差し出す。丹後さんはそれを受け取ると、またその鋭い眼光で隈なく見回し、そしてゆっくりと口に含んだ。
 もぐもぐと動く口を、真昼くんと一緒にじっと見つめる。ごくりと大きな喉仏が上下するのを見て、ぐっと息を詰めた。
「真昼くん」
「うん……」
「合格です。“初めて”でこんなに作れるとは、驚きました」
 丹後さんの労いの一言に、真昼くんは丸い瞳をぱちくりと瞬かせる。
「えーその言い方、もしかして結貴さんから聞いちゃった?」
 突然こちらに視線を移されて、びくりと肩が跳ねる。
「いつから、気付いてたの?」
「クレープ巻いてる時くらいかな。まぁでも、お客さんに見られながら作る練習にはなったよ」
 いつもの晴れ渡るような笑みに、わずかに照れが混じるような、そんな真昼くんの笑顔だった。怒ってはいないようだけれど、勝手に彼の努力を告げ口してしまった後ろめたさはあって、おずおずと六千円の入った封筒を差し出す。
「あ、遅いよー!」
 そうあっけらかんと言い放つ彼に改めてお礼を言いながら、こちょうへと戻っていった。

「なんで、もうすぐだって分かったんだ?」
 たい焼き器に油を塗っていると、和泉さんが不思議そうに聞いてきた。
「何のことですか?」
「昨日、丹後と話してたろ? なんであいつがクレープ焼かないかって」
「え、盗み聞きしてたんですか?」
「俺の社の前であんだけ喋ってたら嫌でも聞こえてくるんだよ」
 まさか、あの社にそんな仕組みがあるとは知らなかった。驚いている私に、和泉さんはそれで、と話の続きを促してくる。
「さっき聞こえてきたけど、実際焼いてみせたんだろ? なんで『もうすぐ』なんて言えたんだよ」
「『もうすぐ』というのは、私が勝手に真昼くんの努力を信じてただけなんです。唯一分かったのは、いつかは丹後さんの前で絶対にクレープを焼くということですかね」
「でも、それをずっと拒んでたんだろ?」
「それは多分、憧れの人の前で失敗するのを恐れていたからだと思います」
 丹後さんの作るクレープを、てらいもなく嬉しそうに褒めていた。それだけ、あのクレープたちを尊敬していたのだろう。真昼くんにとっては、そんな憧れが強すぎたのかもしれない。
 自分が尊敬する人の前で失敗して、失望されたくなくて未熟なままクレープを作る勇気がないのだとした……そんな風に思えたのだ。
 丹後さんは真昼くんに期待を込めて、バイト採用をしたと言っていた。そんな丹後さんの想いを知っていて、真昼くんが期待を裏切りたくない、と自分を追い込んでいたとしたら……
 そんな真昼くんの姿が、会社に入ったばかりの頃の自分と重なった。確かに希望していた研究職ではなく営業職にはなったけれど、先輩たちは期待も込めて熱心に指導してくれた。そんな気持ちに応えられるよう結果を出さなければと躍起になって、それで少しずつ自分の脚元はぐらついていってしまったのだけれど。
「憧れの人の前、ねぇ?」
 私の顔を見ながら、和泉さんはニヤニヤと眼鏡の奥の瞳を歪める。
「何ですか、その眼……」
「いーや、別にー? ま、今日もびしばし鍛えてやるから覚悟しろよ、孫!」
 いつもよりも気合の入った和泉さんに首を傾げる。そして、ふと和泉さんの社の前での丹後さんとの会話を思い出した。

──……和泉さんには言ってないんですけど、あんな風に焼けるようになったら、また少し自信が持てるかもって……勝手に憧れてるんです。

 まさか、あの会話を聞かれたのだろうか。
 かぁっと顔が熱くなっていき、相変わらずニヤついたままの和泉さんに向き直る。
「違いますから! あくまで利便性の問題ですから!」
「あーはいはい。そういうことにしといてやるよ」
「和泉さん!!」
 つい叫んでしまい、丹後さんの『賑やか』という言葉が頭を過る。
 顔の熱は引かないまま、ゆらりと熱の立ち昇るたい焼き器を見下ろすのだった。


次回もお楽しみに!

ここから先は

0字
カフェラテ1杯分の値段で週に2回新作小説やエッセイなど読み物をお届け。通勤時間のお供に、ちょっとした休憩時間の暇つぶしにいかがですか?

「暮らし」をテーマにさまざまなジャンルで活躍する書き手たちによる小説をお届けします。 毎週月曜・木曜に新作を公開予定です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?